十四話 三人目の聖女
「ま、まじかよ! あんな化け物、聞いてないぞ!」
「サジャ副隊長が、あんな一瞬で!」
「おい、どけ! あんなのとやったら、命がいくつあっても足らない!」
逃げていく神官や騎士団の背中を、ルクスはただ見つめるだけだった。
特にルクスは人を殺すことに快楽を抱くわけではない。逃げるなら手間が減る。それだけのことだった。
痛みに悶えるサジャ、遠巻きにルクスを見つめる神聖騎士団長のフェルディナンドと、高台から見下ろすジークルーン。そして、神聖騎士団の精鋭達だけがその場に残る。
「アルミン、立てるか? ヒルデを取り返したんだ。さっさと逃げるぞ」
「あ、ああ。だが、そんなこと簡単じゃねぇだろ。あのフェルディナンドとかいう騎士団長。お前の兄貴よりできるだろ?」
「騎士団長は神聖皇国最強」
アルミンとカレラは、じっとフェルディナンドを睨みつけていた。その睨みを何事もなく受け流しながら、フェルディナンドは穏やかに近づいてくる。
「あの時とは見違えたのだな」
「あの時……あぁ、勇者の仲間の」
「剛腕と呼ばれている。あの時はむしろ助けられてしまったがな。人間相手ならそう遅れは取らない。簡単に逃げ出させると思ったのか?」
おもむろに剣を抜くフェルディナンド。その手に持つのは悪魔と戦った時とは違う、白く輝く長剣だ。
「あのサジャをこうも簡単に……。油断など、している暇はないのだな」
「俺はベッカー家のできそこないだからな。油断してくれるくらいがちょうどいいと思うけど」
「戯言を。おい、お前達。俺は今からこの者と戦う。教皇様をお守りするのだ」
「はっ」
ルクスとやり取りをしながら、フェルディナンドは残った騎士団へと指示を飛ばす。
ようやく、教皇の守りを固めたあたりで、フェルディナンドはゆっくりと腰を沈めていった。
「死神の。悪魔討伐という名誉を捨ててまで、神聖皇国に歯向かうのか?」
「じゃあ、逆に聞くけど、親友の妹を助けるのに、大義名分が必要かな?」
互いに視線を逸らさない。
緊迫した空気に、アルミンがごくりと唾を飲み込んだ。
しばらくの沈黙の後。
唐突にフェルディナンドが地を蹴った。
「ぬぅっ――」
呻くような声をともに繰り出されたのは、空気を切り裂く斬撃だ。
常人であれば刃の動きさえ目で追えないが、ルクスは当然のようにそれを躱した。
だが、一太刀で終わるフェルディナンドではない。
次の一歩で一太刀。すぐさま切り返し上段からの振り下ろし。背後に回ったルクスへの振り向きざまへの横なぎ、後ろに飛んで逃げるルクスを負いながら、これでもかと突きを繰り出した。
ほぼ一瞬で繰り広げられた攻撃に、アルミンやカレラは目を見開いた。
「これを躱すか」
「まあね。でも、本気じゃないんだろ? 手を抜くつもりなら逃げるけど、いいかな?」
「させると思うか」
そういうと、フェルディナンドの身体と剣が淡い光を纏っていく。アルミンは、見覚えのあるその光景に思わず身を乗り出した。
「き、気をつけろ! 剣技だ! しかも、俺よりも数段格上の――」
ルクスはアルミンの言葉とともに、親友の技である剣技を思い出す。
魔力を込めたそれは、すさまじい威力を生み出すはずだ。
「身体強化と剣技の合わせ技だ。俺はこれしかできなくてね」
フェルディナンドはそういうと、さらに全身に魔力を込めていく。ルクスは、試しに肺を水で満たそうと水魔法を使うが、それはなぜだか弾かれてしまった。
「……やっぱりだめか」
「身体強化時はある程度の魔法が弾けるようになる。まあ、そんなことを学んでも、すぐに必要なくなるのだがな」
「楽はさせてくれないってことか」
言葉を交わしつつ、フェルディナンドはどんどんと全身にこめる魔力を高めていった。
その魔力の圧力に気おされそうになるも、ルクスは自らの手のひらに水球を作り出すと、水の刃を生み出した。そして、それと同じものを、空中に何個も並べていく。
「力に対して数。悪い選択肢じゃないと思うけど――」
「あとはやってみなければわからん」
ルクスとフェルディナンドは互いにそう言い合うと、すぐさま剣を振り下ろす。
十数個の水の刃を、フェルディナンドは剣技で切り落とす。水の刃は決してフェルディナンドへは届かないが、絶え間なく襲い来る水の刃の対応に追われながら、じりじりと後退していった。
「くっ――このような遠隔魔法など聞いたことがないっ!」
「かなり特殊らしいからさ。でも、結構魔力が厳しいから、さっさとけりをつけないと、ねっ!」
ルクスがそう言うと、フェルディナンドの顔の前に突然亀裂が入った。
その亀裂から飛び出してきたのは水の刃。発射されるように飛び出てきた刃を、フェルディナンドは身をよじってぎりぎりで躱す。地面に崩れ落ちたその隙を、いくつもの刃が襲い掛かった。
「はああぁぁぁぁぁ!」
その猛追さえも、フェルディナンドは身体強化と剣技で一つずついなしていく。
ルクスも、先ほどと同様の攻撃を隙をみて繰り出すも、ことごとく躱されてしまう。
あと一押し。あと一手が、今のルクスには足りなかった。
勇者とともに戦った剛腕として。
神聖騎士団として戦った団長として。
常に最前線で戦ってきた経験を突き破るには、今のルクスにはあと一歩が足りなかったのだ。
だが、ルクスもこういった事態を考えていないわけではなかった。
今のルクスに足りないのは経験。それを埋めるのは至難の業だ。だからこそ、ルクスは自分以外の何かに、その一歩を求めた。
「フェリカ! 今だ!」
「分かってる!」
ルクスのその叫びとともに、再び空中に亀裂のようなものが走る。
先ほどよりも大きいそれにフェルディナンドは警戒を強めようとするも、たくさんの水の刃の対応に追われ何もできない。
直後、亀裂から飛び出てきたのはフェリカだ。
フェリカはありったけの魔力をその両手に込めながら力の限り叫ぶ。
『地獄の爆炎』
赤さを通り越した、黒い炎の渦がフェルディナンドへと襲い掛かった。
その炎はすべてを食らいつくし消滅させる地獄の炎。かつてのフェリカでは到底使うことのできない魔法。
その魔法と同時に、再びルクスは空中の亀裂から刃を発射する。
二つの脅威にさらされたフェルディナンドは、なすすべなく、炎をその身に受けることとなった。
「やったぁ!」
「よし!」
ルクスとフェリカの喜びの声と、フェルディナンドを燃やし尽くす炎の唸りが大聖堂に響いた。
「ま、まじかよ……。まじでやっちまいやがった」
「ん。さすがはルクス。かっこいい」
唖然とするアルミンと、目をキラキラとさせているカレラは、ぼんやりとその光景を見つめていた。
反対に、ルクスとフェリカは険しい顔を浮かべている。
ルクスは、いくつもの水の刃と新たな技により、フェリカは大魔法により魔力を大きく失っていたからだ。既に二人に先ほどと同じように戦う魔力はない。二人は慌てて二人に駆け寄った。
「この隙に逃げるぞ。後ろの騎士団まで相手にするのはさすがにきつい」
「ほら、カレラも立って。剛腕は大丈夫かもしれないけど、ここには手練れが山ほどいるんだから」
二人の声かけに後押しされるように、二人はすぐさま立ち上がる。
が、立ち上がった二人の様子がおかしい。
ルクスが後ろを振り向くと、そこにはぶすぶすと煙をあげつつも、五体満足で立っているフェルディナンドがいたのだ。
「なっ――」
ルクスの水の刃と、フェリカの地獄の爆炎。それらの同時攻撃をも耐えきった剛腕は、荒い息ながらたしかにその命を繋いでいたのだ。
「まさか……あの魔法を耐えるなんて」
「さすがは勇者パーティーってことか」
そんなルクスとフェリカのつぶやきに、異をとなえたのはカレラだ。
「違う。あそこ」
そういって指さしたのは、大聖堂の入口だ。
そこには、いつの間に入ってきたのは一人の少女が立っていた。
まず飛び込んできたのは黒真珠のような輝く髪だ。ひざあたりまで伸びたそれは、毛先まで輝きを失わずに保っている。
細く、華奢な体躯に似合わず、すっと伸びた背筋は貫禄さえ漂うほどだ。
その少女はサジャのもとに近づくと、そっと右腕の付け根に手を添えそして魔力を込めた。
その魔法の輝きはあっという間に切り落とされたはずの腕が蘇る。それは、圧倒的な治癒魔法だった。
「フェルディナンド様。大丈夫でございますか? 見たところ、ご無事なようですが」
「ああ。助かった。礼を言う」
「いえ。当然のことですから……それにしても、この神聖なる大聖堂に、虫にも劣る屑達がいるようですね。嘆かわしいことです。そうは思いませんか? 教皇様」
そういって少女はジークルーンに微笑みかけるも、彼は何も言わずに視線を返すだけだった。
「さて。教えていただきたいのですが、どうしてカレラ様やヒルデ様がいて、フェルディナンド様を危険にさらすのですか? 聖女たるもの、常にディアナ様の教えの元、清い行いをしなければなりません。それができないなど聖女にあらず。少しばかり、お仕置きが必要かもしれませんね」
そういって微笑む少女だが、彼女から湧き出る圧力は、それこそ剛腕に勝るとも劣らない。
ルクスがカレラを一瞥すると、その意に応えるかのように言葉を発した。
「あれは、東の聖女。クロエ・デュバルク。聖女の中で最も魔力が強くて最も気高いって言われてる、聖女の中の聖女。さっきのも、クロエの守護魔法で防がれた」
ルクスはその言葉にごくりと唾を飲み込んだ。
あと一歩で逃げ出せるはずだったのに。
そう、心の中でぼやきながら。




