俺は言い訳を考えた 『シルヴィアあたりに情報を流しておきましょうか』
ヤバイ奴を発見し、即座に逃走。
カリスのヤツは反応できなかった。
俺の華麗な脱出劇の勝利だ!
──などと思っていたのだがな。
校舎の2階から飛び降りて、厄介事が遠のいたと思っていたが甘かったようだ。
とりあえず短剣を投げつける。
見事に眉間に突き刺さり、紫色の鱗の無いトカゲ男が倒れた。
「避難するぞ」
腰を抜かしているのか、女子生徒は立てないようだ。
なぜ、こんな事になっているのだろうか?
校庭にモンスターを解き放ってサバイバルを体験する。
そんなワイルドなイベントは予定に無かったハズだ。
にもかかわらず、2階から飛び降りたら女子生徒がモンスターに襲われていた。
「あ、ありがとうクレス君」
地面に座り込み、俺を見上げている。
さすがに紳士な俺が、女子を地面に座り込ませておくわけにはいかない。
紳士な俺は、手を差し出して彼女が立ち上がるのを手伝うことにした。
「ごめんね。助けてもらっちゃって」
知り合いだろうか?
なんとなく見覚えはある。
だが、必死に記憶を探ってもボヤーッとしか思い出せない。
遠回しに誰かを訊ねてみるか。
「誰だお前」
口を滑らせてしまった。
遠回しどころか、どストレートな質問になってしまったな。
「ひどい、このキラキラ! ルーレだよ。クレス君が決闘するときにヒュージさんを紹介した!!」
そう言えばいたな。
貴族とのもめごとの時に。
印象が薄すぎて、完全に忘れていた。
ところでキラキラってなんだ?
*
ルーレを拾った俺は走った。
騎士学校には、このような事態になった時のために避難場所がいくつか設けられている。
それらは基本的に独立した施設として存在している。
俺らが目指しているのは図書館。
俺には最も縁の無い場所だ。
「道具は捨てていい。後でケットシーには俺から伝えておく」
途中でフェル達を拾う。
必死に屋台の道具を持っていこうとしていたがな。
さすがに、たい焼きを作るための鉄板が冷めるのを待つわけにはいかないのだ。
残念だが諦める事にする。
「だりゃあああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
鉄板の廃棄を許可するのと同時だった。
なんとたい焼きを作っていた兄ちゃんが、鉄板を放り投げやがった。
宙を舞う鉄板。
それは見事にモンスターの頭部に命中。
酷い。
鉄板の角が頭にめり込んでいる。
モンスターはしばらくピクピクしていたが、やがて動かなくなった。
捨てていいとは言ったが即座に武器として使うとは。
この男、侮れんな。
*
図書館は校舎のすぐ近くにある。
敷地内に校舎自体がいくつかあるのだが、図書館は中央校舎の近くだ。
名前の通り中央校舎は敷地内の中央に位置する。
校舎は広すぎてダメだ。
幾人もの敵が中に入ると、複数個所から同時に侵攻されてしまう。
それに向こうには、イザベラもいるだろうしな。
俺が向かう必要はない。
「無事だったか」
「はい」
図書館に到着すると、第一に目に入ったのは白金の髪。
イリアだった。
そう言えば近くにいたっけな。
女子生徒達に囲まれて。
「そういえば、アレは誰だ?」
思い出した。
イリアは大きなイリアといた。
今は図書館の出入り口の近くで、剣を持っている。
凛としているというかな。
華麗な騎士という感じだな。
それもかなりの腕をした。
あの様子を見るだけで分かる。
強いぞ、アレ。
でもな。
このような事態なのにな。
女子生徒達は、キラキラした目で見ている。
「私の遠縁に当たる方で、エノーラ・アルセナ様です。髪と瞳の色が似ているからと昔からよくして下さいました」
アレがか。
昔、イリアと会う前に名前を確認したことがある。
いまは知らんが、当時は騎士団に所属していたか。
記憶力には自信がないので断言はできんが。
「そうか」
てっきりイリアの兄が女装しているのかと思っていたが違ったようだ。
少し安心したが、チョット残念な気もする。
「少し校長に連絡を入れたい。図書館に人が周りにいない場所はないか?」
「……それでしたらエノーラ様が1階に集まっているように仰っていましたから、他の階に行けば大丈夫だと思います」
イリアの言葉に一階にいる人間を見て納得した。
戦える人間が彼女以外にいない。
ここにいるのは、戦いとは無縁そうなヤツらばかりだ。
学校の生徒は多少の戦い方は学んでいるが。
他は護身術をかじっているかも怪しいな。
「すぐに戻る」
エノーラが強いのは雰囲気で分かる。
だが複数のモンスターに侵入されたら、守りきれないだろう。
外にいた魔物相手なら、イリアでも十分対処できるだろうがな。
それにフェルや他の生徒も、戦う術があるから自らの身なら守れるハズだ。
問題なのは戦い慣れしていないヤツら。
パニックを起こしたら厄介なことになる。
やることを終えたら、早めに戻ってきた方がいいだろう。
*
太陽の下。
彼が地面を踏みしめるたびに、乾いた土がホコリのように舞い上がる。
だが長らく雨を浴びていない土に足跡が残ることはない。
「しつこいですね」
カリスは忌々しげに舌打ちをする。
クレスの後を追うかのように教室から飛び下りたはいいが、事態は切迫した物になっていた。
「やるじゃねえか。コイツらをゴミ扱いなんてなぁ」
彼らの走り去った後には、いくつもの死体。
ルーレを襲っていた二足で歩く紫色のトカゲのような魔物たち。
リザードマンに似ているが何かが違う。
モンスターと馴染みの深い冒険者ギルド。
そのトップである自分ですら知らないモンスター。
大量に導入されたそれに違和感を感じながらも、始末をしながら走り続けていた。
やがて、数十を超える数をあの世に送ったときだ。
「ひっ」
カリスと褐色肌の男の追いかけっこ。
その先で一人の生徒がモンスターに襲われていた。
だが、その危機はすでに消えた。
「Ga……」
頭部に湾曲したナイフが突き刺さり、モンスターの意思は既に朦朧としている。
だが息を未だにしているのを確認すると、カリスは宙へ飛んだ。
空中高くで、指で円を描く。
刹那、太陽の光に照らされ銀色の線が光を放った。
それは竜糸と呼ばれる極細のワイヤー。
大岩すら一本で持ち上げる強度を誇るそれがモンスターの首に巻きつく。
「走りなさい」
自らの呼びかけに生徒が反応したのを確認すると、カリスは次の行動に移った。
別のナイフを地面へと投擲して突き刺す。
そのナイフに繋げた竜糸を起点にし糸を操った。
「フッ」
息を吐きだすと共に糸を引く。
モンスターの体が高速で褐色肌の男へと飛んだ。
「やるねぇ」
迫るモンスターを叩き落として見せた褐色肌の男が浮かべた笑み。
それは獣を思わせる獰猛な物であった。
その笑みはモンスターを巧みな糸捌きで投げ飛ばしたことに向けた物ではない。
「面白ぇ」
褐色肌の男に迫る。
岩が、木が、無数の凶器が。
辺りに散らばっていた物が、一斉にカリスの武器となって。
ナイフと、それに繋げた竜糸。
その巧みな捌きこそがカリスの技。
かつての大戦で恐れられた彼の力。
「すげえなぁ、オイ」
だがカリスという驚異を前にしても、褐色肌の男が笑みを絶やすことはなかった。
それどころか獰猛さが更に増し、見るだけで恐怖を感じさせる程になっている。
無数の凶器を次々に落とす男。
だが一瞬だけ手を止めた。
その瞬間だけ笑みを固めて。
「危っぶね」
投げ飛ばした岩の背後。
岩にのみ注意をすれば、岩を叩き落とそうとも突き刺さる場所にナイフが飛んでいた。
「これが毒蜘蛛の牙か」
再び獰猛な笑みを浮かべる男。
自分の命が懸かっているというのにスリルを楽しんでいる。
地面に叩き落とされたナイフ。
ソレから出た水分が乾いた地面に広がっていき近くの草を枯らす。
見ただけで分かる。
猛毒であると。
カリスの異名は毒蜘蛛。
多くの敵対者は、枯れた草のように命を潰やすこととなる。
ナイフと竜糸と毒。
なによりも、それらを巧みに組み合わせた絶技。
だがそれも彼の持つ武器の一つにすぎない。
「少し自信はあったのですが……これも老いという物でしょうか」
柔和な笑みを浮かべたカリス。
彼は余裕すら感じさせる佇まいで男と向き合っている。
「いいや、お前は十分過ぎるほど強えよ。俺が強すぎるだけさ」
カリスの柔和な笑みに対して、男は獰猛な笑みを浮かべている。
柔と剛、もしくは静と動。
対極にあるとしか思えない雰囲気の2人。
だが、双方の想いは同じ。
その想いとは────相手への殺意。
視線が交わり、最初に動いたのはカリス。
まるで手が幾つもあるかのように、辺りにナイフが飛んでいく。
対して男は、ナイフを避け、時に叩き落としながらカリスへと迫る。
いくつもの攻撃を仕掛けようとも、男に届くことなくやがて拳がカリスへと振り下ろされた────が。
「くそっ」
笑みを崩すことになったのは褐色肌の男。
拳を振り下ろした筈が、いつの間にか体が宙を舞ってカリスを見失っていた。
ナイフ、竜糸、毒。
それらを己の体の延長にあるかのように扱えるカリスの絶技。
圧倒的な器用さというべきか。
彼の微細な指先の動きは、あらゆる力を受け流すことができる。
それだけではない。
「すっげーなー」
褐色肌の男の左腕が石のように固まっていた。
肘から指先まで全く感覚はなく、痙攣したかのような筋肉。
僅かに触れられただけでコレだ。
微細な指の動きを活かした近接戦では、触れた相手の筋肉や骨の動きを支配する。
「っと、危ね」
腕に気を取られていると、ナイフを投げつけられた。
不意を突いたハズであったが、まるで日常の一コマであるかのように容易く受け止める。
「はぁー。面倒な方ですね」
溜め息を吐きながら距離を詰めた。
とても不本意な事だ。
自分には、この褐色の男を葬り去る技が無い。
真っ先に逃走したスバル。
いや、今はクレスだったか。彼であれば──そこまで考えた所でやめた。
専門分野が違うのだ。
彼は表舞台の花形。
自分は裏方。
そもそも逃げ切る程度に戦えればいいのだ。
別に敵を倒す事など考えなくても問題はない。
──そろそろ退くとしましょうか?
クレスを逃がしてから時間を稼げた。
そろそろイザベラに連絡を入れている頃だ。
ここは彼女の管轄であり、自分が出しゃばる必要はない。
目の前の男について、もっと情報が欲しいという気持ちはある。
しかし、ここが潮時だ。
サクリファイスの大幹部カーディス。
欲張って長く対峙するのは、賢い判断ではない。
それだけ危険な相手なのだ。
*
イリアの言葉通り、二階に向かうと人は全くいなかった。
下の階からは人の声が聞こえるが、厚い絨毯が大半の音を吸収している。
聞き取れない程度にしか音は存在しない。
周囲を確認する。
やはり誰もいない。
通話石を手に連絡を入れる。
『なんじゃ?』
すぐにイザベラハ出た。
俺が連絡する意味を分かっていたのだろう。
「クレスだ。貴族のガラクタ置き場でカリスといたんだが変な男が来た。俺はすぐに逃げたんだが、外に出たところでその後すぐにモンスターに襲われた」
貴族のガラクタ置き場。
もちろん、あの場所の蔑称だ。
イザベラ自身も口にしていたからな。
これで十分に伝わるだろう。
「恨まれるのも嫌だから、応援に何人か送ってもらえないか?」
「アヤツなら大丈夫じゃろ。引き際を間違えるハズもないからのう」
確かにその通りなんだがな。
即効で脱出劇を決めたから、そのことで後から文句を言われてもかなわん。
アイツ、過去には俺のギルドカードの性別を女子にしたんだぞ。
おかげでクレアちゃんとして、冒険者活動を頑張る羽目になった。
変な扉を開くことになったら、どう責任をとってくれるんだ!
そんな前科のあるヤツなんだ。
即効で逃走した事を、いまは少しだけ後悔している。
*
「まさか、逃げようなんて考えてねえよなぁ」
カリスが、カーディスから距離をとった瞬間であった。
「こんなに盛り上がっているのによーーっ!」
突如として膨れ上がった魔力。
出所は分かっている。
だが、この質は──
「魔王だったのですか。しかし……」
そのような情報はなかった。
だが、現実として目の前でそれが起こっているのだ。
魔王であるという事実を疑いようはない。
しかし気付いた。
魔王を目の前に据えようとも、情報を探ろうとしたが故に。
カーディスの歪さに。
「残念。魔王じゃねぇ……似ているだけさ」
カーディスの右手は変質している。
明らかに人の手ではない。
冷え切った石を削り取って作ったかのような硬質な指先。
手の甲から奥、服の袖から奥は溶岩のような赤銅色。
まるで活火山を象徴するかのような外見をしている。
「興味深い。それもサクリファイスの技術ですか」
平静な声だ。
しかし、目の奥では前にした敵の脅威を的確に捉えている。
「ちいっとばかし違うが、そういう事にしておいてくれや」
カマを掛けてみたが、目の前の男が個人で持っている力ではないようだ。
他者による腕の移植による結果か?
「今、魔王の腕を移植したとかって思ってんだろ? だがそれはハズレだ」
一周り太くなった指を動かし、状態を確認している。
褐色肌の男が指を動かすたびに、嫌な予感が増していく。
まるで獲物を狩る準備をしているかのような錯覚を受けさえする。
否定をする気はない。
相手は強者であり、こちらは弱者だ。
分かっている。
だからこそ、腕を振り上げると共にヤツが見せた笑み。
それがマズイ物であると、すぐさま理解できた。
「コイツは、ちぃとばかし痛ぇぜ!!」
手が振り下ろされると一瞬であった。
地面が砕け、足元から巨大な灼熱の炎が喰らい付いてきた。
全身を襲ったのは、体の芯まで沸騰させるかのような熱。
まるで死に侵食されるかのような感覚。
この瞬間。
間違いなく眼前に死があった。
だが咄嗟の判断が幸いした。
危険を察知し、炎の勢いに身を委ねていた。
カリスの身は若干の火傷こそしたが、爆発とも呼べる炎の勢いで宙に投げ出されたのみ。
派手な事になったが、ダメージはそれ程ではない。
「やるねぇ」
カーディスが漏らしたのは、感心したような言葉。
だが、その顔にはまだ獲物を甚振れるという、嗜虐に満ちた笑みが貼りついている。
コチラの無事を確認した男は前へと出る。
戦いよりも情報収集が得意なのですが──と内心で愚痴りながら隙を待つ。
一歩、二歩と近付いて来る男。
こちらが先制を掛けるのは向こうも予測しているハズ。
なら、次の一手が勝負を決める。
息を潜ませタイミングを計る
そして───男の足が止まった。
「ちっ、いい所だったのによー。時間切れだ」
カーディスから、戦意が消え去っている。
そうだった。
この手の男というのは、こういうヤツだった。
ルールはキッチリと守る。
例え戦いに没頭していようとも。
この手の男にとって戦いはゲームだ。
ルールを無視すればゲームは成立しない。
だからこそ、ゲームを楽しむために時間というルールもキッチリと守る。
ここでいうルールというのは、カーディスが仲間としたものだ。
これほど大規模な襲撃なのだ。
何か目的のあっての物であることは明白。
その目的が達成されたのであろう。
故に時間切れ。
「次は、もっと派手な祭りで戦り合おうぜ」
先程まで殺し合いをしていたにもかかわらず、男は背中を見せて去っていった。
ヤツが目的を達したかどうかは分からない。
だが命拾いをしたのは確かだ。
「私も歳ですかね」
こんなギリギリの戦いをさせられたのは久しぶりだ。
やはり自分には、事務仕事の方があっている。
こういった体を動かす仕事は、もっと若い者に押しつけよう。
ギルド内の人事を頭の中でイジくり、一息ついた。
次の問題に目を向ける。
同時に一つの想いが燃え上がるように胸を熱くさせた。
「それにしてもスバル……」
かつての戦友に強い怒りを感じた。
厄介事であると判断するや否や、即座に逃走したあの最強。
いくらなんでも理不尽すぎる。
これでは、先程まで戦っていた狂戦士の方がまだ理知的だと言える。
クレスに関する情報を脳内から引きずり出し、カリスは愉悦の表情を浮かべた。
「シルヴィアあたりに情報を流しておきましょうか」
どうやらクレスの粛清方法が決まったようだ。
抱いたのは怒り。
だが久しぶりに抱いたこの想いには、密かに懐かしさと温さを感じていた。




