由綺と征哉
由綺はかなり名の知れた大富豪の一人息子だった。父親は仕事が忙しく、ほとんど口を利いたことはないし、母親はといえば他所の男と浮気ばかりを繰り返して、由綺の面倒は家政婦に任せきりにされていた。
しかし由綺は、そのことについて特に不満はなかった。お金は山ほど貰え、何不自由なく暮らしていたし、学校の友達と遊んでいるだけで楽しかったからだ。家族と仲良く出掛けている友達を見ても、羨ましいとすら思わなかった。
別に両親のことは嫌いではないのだが、だからといって好きでもない。
ただ〈他人〉として見ていただけのことである。
でもある時、そんな両親を意識するようになった。
今までほとんど会話をしなかった二人が、仲良く一緒に出掛けるようになったのだ。由綺は初めて両親から疎外されたように感じていた。
どこへ出掛けているのか気になって仕方なかった由綺は、こっそり彼らの後をつけることにした。
着いた場所は〈神殿〉だった。由綺は訪れたことが一度もなかったのだが、噂はよく聞いていた。綺麗な女の人の姿をした神様と、ここで交流することができるのだ。
由綺も興味がなかったわけではない。学校の友達にも神様と交流をしたと自慢されて気にはなっていたのだが、訪れる機会がなかっただけの話だ。それはつまり、そこまで由綺の関心を引くものでもなかったということなのだが。
中を覗いてみた。神殿は開放されており、誰でも自由に出入りすることができた。
人々が神殿の奥に列をなして群がっており、そこに両親の姿も見ることができた。しかし、肝心の神様は人々に隠れてしまって全く見ることができない。由綺は前へと進んで行き、両親にばれないよう隠れるようにして、端っこのほうから神様の姿を探してみる。
由綺のそれは成功した。
彼女を目の当たりにして、由綺は単純に綺麗だと思ったし、人間離れしているとも思った。神だというくらいだから当たり前かもしれない。
でも、特に魅かれる要素は何もなかった。彼らの会話を盗み聞いてみても、極普通の世間話だし、何と言っても神様の取り繕い方が酷かった。心を感じられない、相槌を打つだけの存在。
『あなた達はこういう私を望んでいるのでしょう?』
そんな声が聞こえてくるような仕草と受け答え。
作り物だ――
由綺は神様に嫌悪感を抱いた。
そして、そんなものに陶酔している両親に対しても同じような思いだった。
馬鹿らしい、くだらない――
それから時が経つにつれ、世間は神様に陶酔していく一方だった。
でも由綺だけは〈神殿〉に立ち寄ることはなかった。遊ぶ友達も神様に取られてしまい、草原で一人、昼寝をすることが趣味になった。
由綺には誰にも言ったことのない秘密が一つある。正確に言えば、誰からも信じてもらえない秘密。
天使が見える体質だったのだ。
『あそこにいるよ』
そう言うだけで、周りの人間から変な目で見られるようになるから、由綺はそれを無視するようになった。神様も天使について公言しているようで、その天使の目で世界を見渡していることは由綺も知っていた。でも、それが見えるのは人間の中で由綺以外、周りには誰もいなかった。
神様を見た時、天使のこともウザったいと思うようになっていた由綺は、いつも彼らを睨み付けていた。
しかしそんなある日、いつものように草原で昼寝をしていると、一匹の天使が近くに寄ってきた。それは由綺の目を引いた。
不思議と心が温かくなる、そんな色をした天使だった。
由綺はその天使が気に入った。だから一方的に話し掛けた。返事が返ってこないことはわかっていたけれど、気持ちは伝わってくる気がした。
いつの間にか両親の愚痴も漏らしてしまっていた。もちろん神様に監視されている以上、彼女に関しては何も言わないよう気を付けた。
そして『明日、またここに来いよ』と言い残し、由綺は次の日も次の日も、天使と会って、一緒に昼寝をしたりおしゃべりをした。
でも突然、天使が姿をくらました。探しても探しても見つからない。
だから〈神殿〉に向かった。
顔も見たくなかったのだけれど、天使は絶対ここにいる。由綺は確信していた。
そこで由綺は、妙な告白を神様から受けることになる。
『由綺を好き』だと言い出したのだ。
冗談じゃない――
由綺がはっきり『嫌い』だと告げたら、逆上されてしまった。
本当に自分勝手な神様だ――
天使が由綺の姿を模して襲い掛かってきた。
あんなに綺麗な光を放っていた天使だったのに。神によって汚されてしまった。
由綺は神様に掴み掛かる。
その瞬間、由綺の中にいろいろなものが駆け巡った。
これは――神の記憶。
永い永い時を生きてきた、彼女の記憶。
由綺は混乱し、胸が一杯になってしまった。
神様に突き飛ばされ、再び天使が由綺の前に立ちはだかる。
今のおれなら、天使を助けられる――
由綺は意識を集中した。
そして、自分の〈由綺〉という名を天使に授けた。
神様は由綺を見ると、ひどく怯えた顔をしながら姿を消してしまった。
それから由綺は――〈征哉〉と名乗ることにした。
別にオレは、神を殺す気はなかった。
寧ろ姿をくらまして清々していたんだが、何故か親も一緒に姿を消していた。それだけじゃない、神の信者が次々と姿をくらました。
嫌な予感がしていた。
親の残した金で暮らしに不自由はしなかったが、神が消えて世間は一気に意気消沈。そんな中で真面目に暮らす気にもなれず、かなり自堕落な生活をしていた。勉強もせず、喧嘩をしたり、盗みを働いたり、薬に手を出したり、女遊びも覚えた。
だけど十五になった時、ふらりと親父とお袋が帰ってきた。とても血が繋がってるとは思えないほど、爽やかな表情で。
気持ち悪い。
それが五年振りに見た親への感想だった。
『由綺、父さん達と一緒に来なさい』
とうの昔に捨てた名を呼び、ふざけたことを抜かす目の前の男。
五年間、何の連絡もなしに放っておいたこいつらが、急に何を言い出すのかと。まあ、そこまでならまだ許せた。だが次の言葉で、オレはこいつらの人格を疑った。
『神様のもとへ行こう』
予感は当たっていた。消えた人間は全員、神について行ったんだ。
あの神に肩入れする意味がわからないし、神が一体何を考えているのかもわからない。
とりあえず話だけは聞いてやると、やはり想像通り、それは最低最悪な話だった。
『この世界を神様の支配下に置くんだ』
虫唾が走る。
『一緒に行きましょう、由綺』
こいつらの目は正気じゃない。頭がイカれている。
オレはこの五年、神を探さなかったことを後悔した。こんなくだらない計画を立てていたならば、さっさと殺してしまうべきだったんだ。
少しでもあいつに同情した自分に腹が立つ。無駄に奴の記憶を覗いてしまったから。
神も、すでにイカれているんだ。
あの姿を選んだ時点で。
オレは立ち上がって、ポケットからナイフを取り出した。この五年、だいぶ罪を犯していたから、いつどこで誰に狙われるかわかったもんじゃない。そのために、いつもナイフを所持していた。
だがまだ一つ、犯したことのない罪がある。それを実の親に向けてしてやった。
殺した。刺し殺した。何度ナイフを刺したかわからないほどに。
この時のオレも、もしかすると正気じゃなかったのかもしれない。今でも鮮明に思い出せるが、惨い殺し方をしたもんだと自分でも思う。
オレは家を出た。
その後すぐに神の独裁が始まり、わけのわからない供物とやらを捧げないとならない世の中になった。当然オレはそんなものを捧げるはずもなく、適当に女のところを渡り歩いて生活しながら、神を殺す方法を考えていた。
いや、その方法は知っていた。だが妙な城を築き、神の信者を使って精鋭部隊とやらを作りやがったおかげで、容易く神に近付くことができなくなっていた。
殺すには、あいつに近付く必要がある。
自分がどんな神の力を持っているか、いろいろ試行錯誤をした。オレが持っている神の記憶からすれば神自身、自分の力を完全に理解しているようには思えない。やろうと思えば何でもできるんじゃないかと思うほど、その力は自由自在に変化する。もちろんその分、多少の努力は必要だ。
しかし、それは神にとっても同じこと。勝敗はこの力の使い方次第だろう。奴の力を全て打ち破れない可能性もある。
とりあえず組織を作ることにした。神に反抗する人間をたくさん増やしてやろうと思ったからだ。
焦る必要はない。オレには力があるし、神はオレを恐れている。そういう関係性が続く限り、オレにとっては不都合どころか立場上、すこぶる有利だ。
じわじわと攻めて行ってやる。
そこで組織の一員となる一人目、壮一に出会った。飲み屋で一人、酒を飲んでたから、興味本位で話し掛けただけだったが、神の存在にうんざりしている様子だった。
『あんたは何のために生きてんだ?』
『お金だよ』
その一言が気に入り、こいつを組織に誘った。力をちょっと見せつけて。
かなりいい拾いものだった。大企業の社員だったとか言う割に、裏の事情にも精通している野心の塊のような人間でかなりの世渡り上手だったから、オレの右腕として丁度よかった。女の扱いに関しては、ある意味オレより上かもしれねえ。
組織のことは、こいつに全部任せてやった。
そしてオレ達は神対抗組織を作ったと、力を示しながら世間に大々的に発表した。
そして当然、オレの力に魅せられた奴らが組織に入れてくれと群がってきたが、やるなら自分達で組織を作れと言ってやった。まあ、大勢で群がるのが好きじゃないってのもある。〈チーム・SEIYA〉とかいうダサい名前は、後から物真似した組織を作った奴らが勝手につけたもんだ。
オレのセンスじゃない。
思った以上に反響はでかく、組織の人数は増えていった。仕事はただのヤクザ仕事が多かったんだが。
そして十八の時、外をぶらりと歩いていたら、精鋭部隊に殺されかけてる男がいた。傍らには死体が二つ。何となく従順そうに見えたから助けてやり、『ついて来い』と言うと素直に頷いたんで拾うことにした。
『犯罪に手を染める覚悟はあるか?』
『あります』
気持ちがいいくらい迷いのない返事。
蒼生はクソが付くほど真面目な性格で扱いやすい男だった。からかい甲斐もあったし、これまたいい拾いものだと思った。ただ犬というほど従順な性格でもなく、多少本気を出して喧嘩したこともあったが、それもまあ退屈しない面白い思い出だ。
大半の仕事を蒼生に任せてやった。オレは気楽な仕事だけしてればよかったから、かなりラクをさせてもらった。
これ以上は人数を増やすつもりはなかったんだが、最後に美影に出会った。あいつは自分の姿を模した天使に追いかけられてた。どういうことか気になったから天使を殺してやると、美影は『神を振った』と答えた。オレはつい笑っちまった。神はまだそんなふざけたことをやっているのかと呆れたわけだ。美影も天使が見えるらしい。まさか神は、オレと美影を被らせたのかと思った。
そうでなければ、面食いのショタコンに決定だ。
『何で神を拒んだ?』
『天使が怖がっていたから』
意外な答えだった。確かに神が独裁者になってから、天使の輝きが鈍っていることは気付いていた。
とりあえず、神によって人生を狂わされたらしい孤児の美影を拾うことにした。単なる気まぐれだ。天使が見える数少ない同類だったからかもしれない。ガキの面倒を見るのは性に合わないが、壮一と蒼生に任せてしまえばいいし、『オレに敬意を払え』と言ったら、ガキながらにその言葉を十分に理解したらしく、かなり使い勝手のいいガキだった。
そしてその時、あることがオレの脳裏を過ぎる。
あいつは――由綺はどうしているのだろうかと。生まれ変わらせたとはいえ、神には居場所がばれているかもしれない。オレにはあいつがどこで生まれ変わったのか、全くわからない。適当に悠々と暮らしているだろうと思い込んでいた。
でも、あの神はガキと変わらない。
もし由綺を見つけたならば、あいつは由綺に何をする?
それから由綺を探すようになった。
遠出の仕事の時なんかに聞き込みをしていたんだが、人一人探すとなると天使の目を持つ神でもないと、すぐには見つからない。
でも、根性で見つけた。
実家を訪ねると、由綺は転校したと聞かされた。由綺の周りでは不幸な出来事が必ず起きるとかなんとか、近所で噂になっていた。
〈天宿学園〉にいると聞いたから、少し覗きに行った。由綺の顔なんざ知らなかったが、一目でどいつか分かった。オレが生まれ変わらせただけあって、幼少の頃のオレに似ていると思った。
そして、由綺の姿を模した天使もいた。こっちに気付いたのか、天使はさっさと姿を消しやがった。
やはり神はガキだ。
オレは七年の時を経て、ようやく動き出すことにした。
神を殺してやる。
その日の内に、精鋭部隊と同等の力を組織の奴らに与えられる力を編み出した。それを壮一に伝え、組織の協力を得られるように根回ししてもらった。
蒼生と美影にも伝えなきゃならないから、最後に残ってる竜の奴と一緒に説明してやった。
これで準備は万端。
そしてオレは〈神の城〉へと出向いた。




