学園編・終
「由綺、そこのガムテープ取ってくれよ!」
「え、これ?」
朔に声を掛けられ、由綺は段ボールをカッターで切る作業を一旦止めて、床に転がるガムテープに手を伸ばす。
それを逃さず、朔は素早く由綺の手の上に自分の手を置いた。
「え、何?」
「いや、運命を感じる二人的なものを演じようと……どひゃ!?」
朔の奇声と共に、由綺の目の前は一面段ボールによって塞がれる。
「アホ、時間ないんだから真面目にやれって」
ムスッとしながら奈津雄が朔の背後に立っていた。どうやら段ボールで朔を横から思いきり、どついたらしい。
「そうだぜ、由綺も困ってんじゃん!」
「変態朔~」
周りのクラスメイトも口々に朔を弄り始める。もちろんこれはいつもの情景。冗談交じりの何気ない会話である。
天宿学園ではもうすぐ文化祭が近づいており、由綺達は教室でその準備をしていたのだ。
一体何の出し物をするのかと言えば、定番も定番の〈お化け屋敷〉だ。結構、競争率が高く、どこのクラスも〈お化け屋敷〉をやりたがっていたのだが、そこはやはり朔と奈津雄の功績によって当然の如く、由綺達のクラスに権利が渡った。
今は放課後で、懸命に段ボールと格闘している最中だった。教室に道を作るための仕切り作りである。
由綺はその様子を楽しそうに見つめる。
神様が消滅した後、残っていた〈由綺〉の姿を模した天使も消え去った。
そして唖然と見つめる群衆の中、征哉は蒼生をつれて、さっさとその場を離れてしまった。
由綺はもう一度だけ征哉と話をしたかったのだが、倒れた朔と奈津雄を放っておくわけにもいかず、竜達の手を借りて城を後にしたのだった。
城を出た瞬間、白い光を放っていた〈神の城〉は瞬く間に真っ黒な廃墟と化してしまった。由綺は何とも言えない悲しい気持ちになったのだが、朔と奈津雄の笑顔に救われた。
幸い、二人は軽い打ち身で済んだのだ。翌日にはすっかり治ってしまい、クラスの誤解も解いてくれた。最近起こっていた不祥事の犯人が、由綺ではないかという疑惑のことだ。
ただ事実を述べた。もちろん、そんなに詳しく話してもややこしくなるだけなので、『神様に目をつけられてしまった由綺が苛めを受けた』という簡潔な説明である。信じてくれないのではという不安もあったのだが、神様を倒した瞬間に立ち会ったことを話したら、あっという間に皆は信じてくれた。朔と奈津雄の話術の賜物でもあるかもしれない。
世界は神様から解放されたのだ。
由綺の心境は複雑ではあったけれど、これでよかったのだと思う。世界を救うにしても神様を救うにしても、この方法が一番だったに違いない。あの状態を作り出した神様自身も幸せだったとは言えないのだろうし、征哉によって幕を引くことができたことが何よりよかったように思う。全ては由綺の個人的な見解に過ぎないのだけれども。
「そういえばさ、竜さんとミナさんって結局どうなったの?」
由綺は何気なく、床に突っ伏す朔に訪ねた。
実はつい先日、朔は〈神の城〉に連れて行ってもらった借りとして、竜から相談を受けていたのだ。ミナとの仲を取り持ってくれと。
朔はすぐさま起き上がり、ニッと白い歯を見せて笑う。
「俺に不可能はない! 何だかんだ言って今回の件で、姉ちゃんの竜の兄貴に対する株が上がったみたいだからな。とりあえず〈神の城〉でいかに勇敢に戦っていたかを演説しといた」
「あの二人、喧嘩は多いけど相性バッチリだと僕も思うし。さっさとヨリ戻せばいいのに」
「何か姉ちゃんにも変なプライドがあるみたいでさ。まだ駄目みたいなんだけど、俺がもうちょいつついてみせれば、なんとかなると思うよ」
由綺も竜にはお世話になったし、幸せになってほしいなと思う。
ふと、由綺は窓の外に視線を移した。
真っ赤な夕日が半分見える。夕暮れ時だ。
下へと視線を向けると、校門が見えた。
「っ!」
黒い人影が目に留まり、由綺はどきりとする。
「ごめん、すぐ戻る!」
由綺は皆にそう言って、教室を出て行った。
息を切らしながら由綺は走った。とにかく無我夢中で走った。
辿り着いたその先は、先程目に留まった校門の外。
目の前には夕日をバックに、長身の男が佇んでいた。由綺は鼓動が早まるのを感じながら、彼のもとへと駆け寄った。
「ゆ――」
「ぶん殴られたいのか?」
不機嫌そうな低い声に、由綺は慌てて口をつぐんだ。
「せ、征哉……」
慣れない呼び方に、由綺はどもりながらもその名を呼ぶ。
男――征哉はクックッと笑って由綺を見下ろす。
「学園の生活はどうだ?」
「う、うん……楽しいよ」
たくさん話したいことがあったはずなのに。いざ本人を目の前にすると言葉が出ない。
でも何か話さなければ、征哉が行ってしまう。
「あ、あのさ、おれ――」
頭にぽんっと征哉の手が置かれた。由綺は驚き、彼を見上げる。
「お前の居場所、ちゃんとできたんだな」
一瞬、〈由綺〉の笑顔と重なった。
征哉の手が下げられる。
「元気でやれよ」
由綺に背を向け、彼は言う。
「征哉!」
歩き出す彼の背中に、言葉を放つ。
「――ありがとう」
それは、ずっとずっと言いたかった言葉。
征哉は由綺に背中を向けたまま、片手を振って応えてくれる。
顔は見えなかったけれど、笑ってくれている気がした。
またどこかで会えるといいな――
そんなことを思いながら彼の背中を見送っていると、宙を舞うふわりと光る球体が由綺の視界に飛び込んだ。
天使だ。
一対の白い翼を携えて、夕暮れの空の中を優雅に飛んでいる。神様はいなくなってしまったけれど、彼らだけは残っていた。
「由綺ー!」
その時、朔の声が校門の向こう側から聞こえてきた。奈津雄と一緒に由綺のもとへと駆け寄ってくる。
どうやら心配して追いかけて来てくれたようである。
「今の、征哉って人……だよな?」
奈津雄の言葉に、由綺はそっと頷いた。
「なあ、由綺……」
すると朔が深刻そうな顔で由綺の顔を覗いてくる。
「ど、どうしたの?」
「まだあの人のこと好きなの?」
「えっ」
泣きそうな朔に、由綺は虚を衝かれる。
確かに天使の時は魅かれていたけれど、今は彼をどう思っているかなんて考えたことはない。でもやはり天使の時に見た彼と、今見た彼とでは印象も違うし、彼に対する感情も違うと思う。
前世の記憶を持ってしまったが故に由綺の心もかなり乱されていることは事実だ。でも、今は他の誰でもない由綺という一人の人間なのである。
「朔の心配するようなことにはならないよ」
由綺の言葉に、朔が喜びに満ちた表情になる。
「だっておれ、男だし」
朔が一気に悲しみに満ちた表情になる。
「由綺! 性別なんて関係ないだろ!?」
「いや、一般論だと思うぞ」
奈津雄がすかさず援護射撃をしてくれる。
由綺は爽快に笑って、夕焼け空を仰ぎ見た。
おれの宝物は。
あの人からもらった命。
彼からもらった名前。
二人から与えられた友情。
まだまだ他にもたくさんあるけれど、全てを大切に大切にして生きよう。
与えられたこの人生、きっと幸せに生きてみせるんだ。




