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『国が…花達が…』
女王は呆然と、玉座の後ろにある硝子窓から見える光景を見つめていた。美しい国が、突如降り注いだ光の槍によって無惨にも荒らされてしまった。それは女王が眠った後の正常な光景ではあったが、夢を見ている彼女には受け入れ難い現実であった。
『ああ…どうして……?』
窓に手を着いたまま、女王はずるずるとその場に崩れていく。玉座の隣に置かれた椅子には王女が眠ったままで座らされているが、女王がそれに気付いた様子はない。
『何故なの……美しい国であったのに…穏やかな国であったのに…』
その伏せられた瞼から、一筋、涙がこぼれた。
『幸せな国であったのに……一体どうして滅んでいってしまうの?』
泣き崩れる女王の後ろに、青い肌の女性がそっと寄り添った。
『泣かないで、私の女王』
女性はそっと女王の髪を撫でた。
『あの子が作り上げたこの国は、あの子の血縁であるお前のもの。お前達だけのもの。それなのに…』
女性はその、深い深い海の底を思わせるような瞳を外へ向ける。
『お前達が遊び易いようにと、国交がしやすいようにと海を鎮めたというのに……外界の人間はお前達の血を薄れさせ、あまつさえこの国に住み着こうとする』
青と緑に色彩を変える不思議な髪を払い、女性は女王を包み込んだ。
『だから関わりを持てぬようにしたのに…人は脆いな。閉ざされた事を憂えたお前達はどんどん弱っていってしまった。どうしてなのだろう?始めは閉ざされた国であったのに。お前達にとって外界と接触を断つ事は、そんなにも憂うべき事だったのか?』
女王は泣くばかりで答えない。いや、そもそも女王には声が届いていないのかも知れない。女王は、女神と知り合ったあの女王ではないのだから。
『教えてくれ、ネイリ。お前の望んだ通りお前の子孫を守った筈なのに、何故アーヴィもレイシアも死んでしまったのだろう?お前の国が消えてしまう。滅びてしまう…』
泣き崩れる女王を抱きしめ、女神は返ってくる事のない答えをただ待っていた。
アシュリー達は仄暗い階段を下りていた。灯りはウィルペルの光りだけで、ふと後ろを見れば、今降りていた入り口など最初からなかったかのように感じる。
(……ほんとになくなってたりして。)
自分で想像しておいて、ちょっと怖じ気づく。
「アシュリー様ー……魔術でなんとかならないんですか?」
(ぱぱっと。)
すると、アシュリーがぴたりと足を止めた。ゆっくりとフィフィを振り返る。
(なんかあったのかな…)
なんて思っていたら恐ろしい事に、アシュリーが……うっすらと笑った。
(っ!!)
ぞわりと背筋が冷えて、慌ててフィフィは笑顔で両手を振った。
「い、いや!なんでもないです!黙ります!」
「…………」
すっとアシュリーが階下へ視線を戻して歩き出す。その後ろ姿に、フィフィは長く息を吐いた。
「…今のは効いたな。」
レイフィスが苦笑しながらフィフィの肩を叩いた。
「はあー…普段笑わないからすごい怖いです…」
「………」
ほっと息を吐いてから、フィフィはレイフィスの手が肩に置かれたままなのに気付いた。
(ん…?)
隣を見上げると、どこかきょとんとした顔がある。
「…どうかしましたか?」
問いかけると、レイフィスは数度瞬いてから、ぎこちなく微笑んで手を離した。
「……いや。」
「?…そうですか。」
(あたしなんか変な事言ったか?)
思い返してみるが、特に変な事は言ってない気がする。
(アシュリー様が普段笑わないってとこか?)
もう一度見上げてみるが、レイフィスはじっとアシュリーの後ろ姿を見つめたままだった。
と、突然階段が終わりを告げた。
「っ……!」
「うわ…」
「これは…」
ぼろっ、と石階段が崩れ落ちていった。その先は、奈落の様に真っ暗で音がしない。
「………アシュリー様…これ…」
アシュリーの後ろから覗き込む。
「………ここだ。」
「…って何もないですよ!」
思わず叫んだフィフィに、いつもの通りアシュリーは耳を塞いだ。
「うるさい。ほんとにうるさい。」
「すみません、でも…どうするんですか?」
ただ普通に城を歩いていただけならアシュリーは迷うだろうが、魔術が絡んでいれば違う。
「これは幻覚だ。」
「幻覚!?だって…普通にモノが落ちていってますよ?」
フィフィが指差す先。突如終わっている階段の石が、指先程ではあるが崩れていっている。それは真っ直ぐに暗い底へと吸い込まれていった。
「…幻覚に囚われたままここから落ちれば、多分死ぬ。」
「えっ!?」
再び叫んだフィフィを睨み、アシュリーは静かに目を閉じた。
「幻覚を解く。静かにしてて。」
「は、はい…」
言われてフィフィはレイフィスの横まで下がった。
「——我に住まう色彩の輝きよ。戯れる霧を晴らせ——」
アシュリーが唱え終えると、途端に階段の終わったところから水平に陣が輝いた。
「!」
フィフィとレイフィスが呆然と見つめている間に陣は輝いて弾け飛び、そこに床が現れたのだった。広い広い広間のような空間に、あの白いフードを被った男がいた。
「!お前…」
床の出現に驚く間もなく、フィフィとレイフィスはさっとおそれぞれの武器を構えた。するりとフードを落とした男は、その禍々しい赤い目でくすりと笑う。
「大人しくこちらへ来て頂けるとは思いませんでしたよ、アシュリー様。」
「お前は無駄に賢いから、この方が早いと思った。」
「おや…買い被りですよ。」
にこりと微笑まれると、アシュリーは苛立ちを隠さず、唄うように詠唱を始めた。
「気が早いですね…」
くすくす笑う男に、フィフィが我慢出来ずに矢を放つ。
「てめぇが愚図なんだよ!」
高い音を立てて飛んでいった矢は、はやり男をかすりもしなかった。男の姿は掻き消え、フィフィは目で探り、気配で探るがすぐには見つからない。
(どこだ!?)
焦るフィフィのすぐそばで、何かがぶつかった音がした。
「ぐっ…!」
「陛下!」
レイフィスは男の一撃を剣で受けていた。その威力は凄まじく、一瞬押しとどめたかに思えたが、レイフィスの身体は弾き飛ばされ、壁に叩き付けられた。
「陛下!」
案じてはいるがフィフィもそれどころではない。男の姿は、今や魔物と化していた。ほとんど白に近い金色の毛並みから、赤い目が覗く。馬のような顔つきに獅子のような身体、蠍のような尾を持った魔物は、にやりと笑うように薄く口を開いた。
(くそ…!どこに弱点があるんだ!?)
フィフィは一気に三本の矢をつがえて放った。それでも魔物には当たらないが、そのおかげで動きは少しだけ限定出来る。
フィフィよりも背丈の大きな魔物は、胸の高さで水平に飛んだ矢を避け、上へ飛び上がる。フィフィは短刀を引き抜いて魔物へ飛び上がった。
(とりあえず首でも刺してみるか…!)
着地の為に伸ばされた両前脚をかいくぐり、魔物の首を掴もうとした時だった。ふっとその姿が消えたかと思うと、すぐ目の前にあの男の顔があった。
「っ!」
くすり、と笑った男は、一瞬の間に短剣を構えていたフィフィの手首を掴んでいる。
「…残念だったな…」
そう言ったかと思うと、フィフィを床へと叩き付けた。
「っあ——!」
背中から叩き付けられ、頭も打って、目の前がぐらぐらする。それでも、立ち上がれない程ではない。必死で起き上がって男の姿を探すと、魔物と応戦するレイフィスが目に入った。
「陛下…!」
魔物が向かおうとする先を見て、はっと息を呑む。
(アシュリー様!……あいつ、アシュリー様を先に殺る気か!)
そう思った瞬間にウィスペルが耳飾りを飛び出していった。アシュリーへ向かって一直線だ。フィフィはふらつく頭を振って、気合いで立ち上がる。矢をつがえる事はせずに、せっつかれるようにアシュリーの元へ走り出した。しかし、フィフィが一歩踏み出してすぐに、魔物の尾にレイフィスが脇腹を刺し抜かれ、放り出された。
「レイフィス陛下!」
駆け寄る間に魔物はアシュリーへと飛び跳ねていく。
(このままじゃ…駄目だ!)
「アシュリー様!!」
失いたくない。
そう、強く思ったその瞬間。
白い光が視界いっぱいに広がった。
(…なんだ!?)
光はすぐに薄れていく。目を庇っていた手をゆっくりとどけて、瞼を恐々開いていく。そうして見えた光景に、フィフィは思わず呟いた。
「は……?」
間抜けに口を開けてしまう。そこは、時が止まっていた。暗い室内の床が、何故か真っ白に輝いて、ゆっくりと波紋が広がっている。
「なん…だ…?どうなって…?」
きょろきょろと見回す。すると魔物がアシュリーに飛びかかる途中で止まっていた。
「!」
慌ててそこへ走りだす。と——
『待ちなさい。』
「っ!」
背後から、聞き慣れてきた声が聞こえた。