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大斧が大きく振りかぶられる。それは滑らかな弧を描き、まるで演武のようだ。しかしここは舞台ではなく、大斧を受けた魔物は一撃で瘴気の霧へと還っていった。
「この程度か。」
散っていく霧を無感動に眺めるヴィルジウスの周りには誰も近寄らない。それは命じられているからでもあるが、本心を言えば、助けが必要ないからでもあり、また不用意に近づけばこちらの身が危険だと感じているからだった。
実際、ヴィルジウスが戦う時において傷付く事などあり得ないし、案ずる必要もないのだ。王太子殿下とはいえ、ヴィルジウスを案じている余裕があるなら、自分の身を守る事を先決した方が合理的だ。ヴィルジウス自身もそう考えているから、離れているように命じているのだ。
「……他はどうした?」
「はっ!南門、西門、東門も無事だそうです。」
(…まあ、そうだろうな。)
門の遥か向こう。黒い霧に紛れて見えるハークヴェルの城。それを見据え、ヴィルジウスはじっと様子を伺う。その様子を見て、兵士達も僅かに緊張した。
(……あれは……)
見つめる先、ハークヴェル城の影が揺らいだ。それは霧が風に煽られたせいではなく、城を囲う空気に異変が起こったのだと察した。
「なんだ…?」
兵士の誰かが呟くと、一人、また一人とハークヴェル城へ視線が集まる。そうして視線が増える中、ハークヴェル城は瞬く間に様子を変えていった。
城を中心に黒い霧が渦巻く。完全に風に逆らっているそれは、明らかに魔力の集まりだ。まるで生き物のようにうねりながら城を取り囲み、どんどん膨らんでいく。無限に広がっていくかと思えた矢先、ぴたりと膨張が止まった。
しん、と辺りが静まり返る。音だけでなく、世界が止まったかのような錯覚を受けた。
「どう…なってるんだ…?」
誰かの囁きが聞こえた。それで、世界が止まったわけではないと実感出来た。それにしても黒い霧は止まったままだ。
(…一体…)
ヴィルジウスも首を捻ったその時。
「「っ!?」」
黒い霧は一気に城の中へ吸い込まれていった。そして。一気に飛び出して来た。
「っ…で、殿下!あれは…」
「…………!」
黒い影が、まるで空を覆うようにしてこちらへ迫って来る。
「魔物だ…」
目を凝らせば、その影は大量の魔物の群れだった。様子を見ている間にもどんどん数は増えていき、ハークヴェルの城ごと、空さえ埋め尽くそうとしているようだ。
スピードが速い。もうすぐにでもクライストへ辿り着く。思わず一歩下がった兵士を見て、ヴィルジウスは声を張り上げた。
「ニルヴァーナとユンファを呼べ!クライストを守り抜くぞ!」
「「!……お、おおーっ!!」」
東門にて侵入した魔物を切り捨てたリディオスは、聞こえてきた声にはっと北門の方を見た。
「リディオス様?」
ふっ、とリディオスが笑った。表情が乏しいだけに、こうして笑みを見せられると落ち着かない。
「その、如何致しますか。ハークヴェルが動きを見せておりますが…」
兵士達はすでに次の対戦の準備が出来ていた。隊列を組んで、いつでも動ける状態だ。それを見やって、リディオスが剣を空へと掲げて声を張り上げた。
「クライストの名の下に、剣を掲げよ!」
それが合図だった。高らかに音を立てて剣が抜かれ、空へと掲げられる。魔物を追い払わんと、大きな声が響いた。
「「おおーっ!!」」
南門ではルキセオードが声を聞いていた。兵士達もすでに剣を抜いており、後は号令一つあれば良かった。
「従騎ルキセオードが全師団に命ずる!剣を掲げ、盾を携え、我らが民を守護せよ!」
「「おおーっ!!」」
「クライストを守護せよ!」
「「おおーっ!!」」
西門ではオルクスが、ハークヴェルを見据えていた。
「オルクス様!」
指示を仰ぐ声に振り返り、オルクスは楽しそうに笑う。
「思い知らせてやろう。クライストに仇成すものがどうなるのか…」
「「っ……」」
狂気じみたオルクスの目に呑まれそうになる。が、兵士達は気持ちを奮い立たせて叫んだ。
「「おおーっ!!」」
開け放たれた城の奥から、ゆっくりとニルが歩いて来る。大門には数十の魔術師が左右に列を作り、大魔術師の指示を待つ。やがて見えてきたニルの表情は、ひどく静かで落ち着いているように見えた。隣を歩くユンファも、とても落ち着いた様子だ。
「ニルヴァーナ様。どうかご指示を!」
一人が膝を折ると、他も一斉に膝を折って頭を垂れる。その中を静かに歩いて、ニルは凛とした声で言った。
「まずは守護壁を創ります。準備なさい。」
「「はっ!」」
すぐに動き出す魔術師達を見てニルは奥歯を噛み締める。
(…アシュリーがいない今、私がしっかりしなくちゃ…)
——ニルヴァーナ。
(っ……駄目。…私の力はこの国を守る為にある。敵を苦しめる為のものではないわ。)
——空を覆う程の魔物がくるぞ。
(分かってるわ。さっき確認した。今からそれを迎え撃つんじゃないの。)
くすり、と闇が笑う気配がした。こいつは騒ぎ立てないかわりに、じっとりとニルの隙を誘い、狙っている。
——蹴散らしてやろうか?
(…………)
ニルの心さえ乱れなければ、精霊は大人しくて協力的だ。しかし、心が乱れれば嬉々として身体を奪おうとしてくる。しばらく考えて、ニルはそっと傍らのユンファの髪を撫でた。
「ニル様…?」
見上げてくる幼い瞳を優しく覗き込む。
「ユン。一緒に戦いましょう。」
その言葉からユンファは、ニルが不安がっている事を悟った。一見堂々としているこの人は、常に身の内の闇と闘っているのだ。
「はいっ!いっしょに、たたかいます!」
そう言ってぎゅっとニルの手を握った。そうするとニルも握り返してくれる。しっかり目を見つめ合ってから、二人はハークヴェルを見据えた。
守護壁は完璧に創られた。魔物はそれによって阻まれてはいるが、その数が魔力の安定を揺らがせている。地上ではハークヴェルの兵が押し寄せ、魔物までも入り乱れ、数で劣るクライストは劣勢かと思われた。しかし、劣勢なのはむしろハークヴェルのほうだった。
戦場の真ん中で敵をなぎ倒しているのはヴィルジウス。その人間離れした力と技は、“戦神”と呼ばれるに相応しいだろう。
「あれが…戦神…!」
勇猛果敢に立ち向かうハークヴェルの兵士達も、その脅威を目の前にして怖じ気づく。恐れて後退する者もいた。
「あれが人間…?」
「いや…化け物だ……!」
ハークヴェルの兵士達が見つめる先、大斧を優雅に振り回すヴィルジウスは、その言葉が聞こえたのか、くすりと口元を緩め、ゆっくりと目線を合わせた。
「っ……!」
その途端、ヴィルジウスの視線の先にいた兵士達が後ずさる。
「に、逃げろ!こいつに構うな!」
蜘蛛の子を散らすように逃げ始めた兵士を見て、ヴィルジウスはすっと目を細めた。
「クライストに手を出しておいて、逃がす訳ないだろうが。」
大斧の柄を片手で掴み、大きく振りかぶった。
大勢の兵士がヴィルジウスが逃げ出す中、リディオスは魔術師の一団と対峙していた。
「黒騎、リディオス=ローグだな。」
「一人で我らに立ち向かうなどと…少々見くびり過ぎではないのか?」
にやりと笑う魔術師達を一瞥し、リディオスは無言で剣を鞘から引き抜いた。その足下に、陣を描く光が走った。それを気にも留めないリディオスを見て、魔術師達はますます笑みを深める。
「愚かな…」
「お前がな。」
一言。リディオスは魔術師を切り捨てていた。
「なっ…」
音もさせず、目にもとまらぬ速さだった。
「!?」
気付けばもう一人倒れていた。
「な、何故…!魔術が効いておらんのか!?」
リディオスの足下で光ったのは、確かに運動能力を鈍らせるものであったというのに。それが効かなかったのは、リディオスが“戦神”と言われるヴィルジウスの黒騎だからだ。主に効かないものは、黒騎にも効かない。しかしそれをわざわざ教えてやる気はない。青ざめる魔術師達を眺め、リディオスは無言で剣を振るった。
ヴィルジウスやリディオスを避け、やっとの思いでクライスト城へと辿り着いた兵士達の前に、オルクス率いる王師一団が待ち構えていた。
「よく来たな。」
たくさんの血が流れる戦場で、オルクスは悠然と敵の前に立っていた。武装してはいるが、緊張した様子はない。
「オルクス=ファイセラ。お前の腕は聞いてはいるが…まさかその少人数で、我らに勝てるとでも?」
怒りをみなぎらせるハークヴェルの兵士を見て、オルクスは愉快そうに笑った。
「ああ、十分だとも。」
「!」
次の瞬間、ハークヴェルの魔術師達が雷を放った。まさしく電光石火の速さでオルクスを穿つ筈のそれは、当たったと思った瞬間に弾かれていた。
「なっ…」
驚愕する兵士達に、オルクスは悠然と微笑む。
「おや。私の噂を聞いていたのではないのかな?剣術士ならば魔術に対抗出来る事など、知っているだろう?」
微笑むその目にはいつの間にか、獲物を目の前にした蛇のような不気味な光が宿っていた。
ニルはユンファと共に、戦場が見渡せる塔へ来ていた。城から離れてはいるが、冷静に戦況を見るのにこちらの方が都合が良いのだ。
「——我が身のうちに生きる闇の結晶よ。汝の主、ニルヴァーナが命ず。」
ニルが詠えば、その身体を淡い闇が包み込んでいく。そうすると精霊の声が近くなる。存在をより近くに感じる。
「我が敵を討ち滅ぼせ——」
声が響き渡った。それに気付いた敵兵が猛然と塔へ集まってくる。それを見たユンファが天魔を喚んだ。
「兄さん!」
叫ぶ声と共に空中に陣が出現し、そこから地上へ、一匹の天魔が飛び出していった。
「なんだあれは——ぎゃあぁっ!」
「避けろー!」
天魔は地の上を滑るように敵兵の間を飛び交い、瞬く間に屍を増やしていく。愕然とする敵兵から一旦離れ、塔の壁に足をつけた姿を見て、息を呑んだ。
その姿は龍のようでありながら、目は禍々しく赤く輝き、腕と翼が一体となっていて不気味に写る。しかし、純白の体毛は美しく、その動きは滑らかでしなやかだ。魔物のようでいて異なる存在。それが天魔。
「天魔…」
「天魔だ!召喚者を探し出せ!」
いきり立つ敵兵を冷酷に眺め、ユンファの兄である天魔は、塔を蹴って再び宙を飛び始めた。
「大丈夫なんですか?」
もう何度目かにフィフィに訊ねられ、アシュリーはうるさそうに顔をしかめた。
「何度言ったら分かるの。平気だって。」
「そりゃああのアシュリー様が倒れたら、不安になりますって!」
「……どういう意味。」
女王の間へ向かう最中、フィフィのアシュリーのやり取りを黙って聞いていたレイフィスは思わず笑った。
「まあ、それくらいにしたらどうだ、二人とも。」
「「………」」
諌められて黙り込む。
「お互い無事で良かったじゃないか。」
「「まあ……」」
言いながら不服そうな二人を見て、レイフィスは笑う。
(よく似た主従だな…)
「先にあの魔術師を始末した方が良さそうだな。」
「ええ。そうですね。…女王と引き離しておかないと…レイフィス陛下、女王をお願い出来ますか?」
アシュリーの問いかけに、レイフィスは頷いた。
「分かっている。………」
その目がふいに切なげに揺れて、行く先を見据えた。
「……私の身体にも女王の血は流れているのだ。なんとしても、納得して頂こう…」
「………」
その凛とした横顔に惹かれ、フィフィはしばらく見つめていた。そんなフィフィを、アシュリーは不思議そうに眺めていた。
エイシャントの城は思ったよりも広く感じた。階数は少ないものの、平面の広さはかなりとってあるようだ。アシュリーの魔力感知にまかせ、三人はもくもくと足を進めていた。
「……アシュリー様?」
ふと、フィフィが声をかけた。アシュリーはいつも通り反応なしだ。レイフィスがそれを気にしてアシュリーを見つめた。フィフィは慣れたもので、気にせずに続ける。
「ここが広いってのは分かってるんですけど…それにしても結構歩いてますよね?」
フィフィの質問に、レイフィスはますますアシュリーを見つめた。実のところレイフィスも気になっていたのだ。いくらアシュリーに任せてあるとはいえ、なんだかこのままでは目的地につかないような気がしていた。
「アシュリー様。」
ちょっと強めの呼びかけに、アシュリーはようやくちらりとフィフィを振り返った。
「……“迷い道”だ。」
「迷い道?なんですかそれ。」
首を傾げるフィフィを見て、アシュリーは面倒くさそうに前を向いてしまった。苦笑してレイフィスが説明する。
「迷い道というのは、その道を進むものが求める場所へつけないように、魔術で細工されている道の事だ。」
「へえ……ってじゃあ迷ってるんですか!?俺たち…」
「迷ってない。」
慌てたフィフィの声にアシュリーが即座に反応した。
「………迷ってないんですか?」
「迷ってない。」
「………」
どうして迷ってないと言い切るのか分からず、フィフィは思わずレイフィスに意見を求めた。アシュリーを先頭に二人は並んで歩いていたから、レイフィスを見上げる形になる。レイフィスは視線に気付いて、くすりと笑った。
「…まあ、アシュリー殿がこう言っているのだから、黙ってついていくのがいいだろう。」
「はあ……そうですか…?」
不安気に呟いたフィフィの声に、アシュリーが振り返って若干睨みをきかせた。
「あいつは俺たちを誘導してるんだ。」
「誘導?」
よく分からず、フィフィはアシュリーの隣へ小走りに移動した。
「どういう事ですか?」
視線を前に戻しながらもアシュリーは説明してくれた。
「自分に都合の良い場所へ来させようとしてるんだ。」
「…都合の良い場所、ですか?」
また首を傾げる。
「……おそらく、魔物と同化したあいつが一番力を発揮しやすい領域だ。」
「……………え、それって…どういう?」
「もういい。黙ってついて来て。」
「…はーい…」
睨まれて、フィフィはすごすごと後ろへ下がってレイフィスと並んだ。笑う気配に顔を上げれば、レイフィスが可笑しそうに笑っていたのだった。




