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どくどくと心臓が脈打つ。
自分のものではない感情の高ぶりが、自分のもののように感じられる。
「……っ!……——っ!」
怒りに震える声が口をついて出そうになる。
自分の思考がかき消されそうになる。
ほんの少しでも気を抜けば、“自分”が消えてしまいそうだ。
——アス!我を解放せよ!この不自然な国を滅ぼしてやろうぞ!
厳かな声が意識を揺さぶる。
目を開けているのに現実が見えない。
何かを探して視線を彷徨わせるのに、それが見つからない。
——アス!あの歪んだ存在も許せぬ!お前とて怒っておるではないか!
「……——っ!」
駄目だ。
清浄過ぎる魔力が辺りを包んでいる。
それが、さらにあいつの意識を強めている。
このままじゃ意識を保てない。
もしあいつを解放してしまったら——
『……さ…!』
「……っ?」
声だ。
『ど…し………!』
声だ。
この声。
この声が今、必要なんだ。
——アス!アス!あれは忌まわしいものぞ!滅すべきであろうが!
この声じゃない!
——忌まわしい!おぞましい!なんと不愉快な生き物だろうか!なんと不愉快な国か!
厳かな怒りの声が意識を震わす。
自分が消されてしまいそうで、怖い。
ああ……声、が。
『ア………様!』
求めていた声が聞こえて、ぼんやりと目に色が戻る。
何かが側にある。
もっと、ちゃんと見ておきたいのに、うまくいかない。
この声の持ち主だ。
この人が俺を現実に引き戻す。
『アシュ………様!』
放って置けない。
そんな危ない事、出来ない。
あいつを抑えなければ。
解放なんてしたら、“彼女”は為す術がない。
だって”彼女”は、魔術はからきし駄目なのだ。
——アス!我があやつを滅してやろうぞ!この国ごとな!女神なぞ蹴散らしてくれるわ!
駄目だ!
そんな事しなくていい!
そんな事しなくても、俺がなんとかするから!
『ア……リー様!アシュリー様!』
「——っ…」
ああ、そうか。
この声は、フィフィの声なんだ。
まるで夢から覚めたように、目に色彩が戻る。
ぼやけていた景色がはっきりとしてきた。
「アシュリー様!しっかりして下さい!アシュリー様!」
「………い」
自分の声が聞こえた。精霊の大声が薄れていく。代わりに、フィフィの大声が聞こえる。
「アシュリー様!どうしたんですか!?」
はっきりと見えた視界には、ぼろぼろと涙をこぼすフィフィの顔があった。
「アシュリー様!どうしたらいいんですか!しっかりして下さいよ!」
「……さいっての」
「アシュリー様!……って、え?」
ぼろぼろと涙をこぼしながら、フィフィの目が丸くなる。それを見たら笑えてきた。
「うるさい…」
「は……え…?」
まだぼろぼろと涙が落ちてくる。それに気付いていないのか、フィフィは目を丸くしてアシュリーをじっと見ていた。
「だから…うるさいって。」
いつもなら怒ったり呆れたりするのに、呆然と泣くフィフィが面白くて、つい笑ってしまう。今さっきまで自分が消えそうで怖かったのが嘘のように、フィフィの顔を見ているだけでそれが消えていた。
「あ……その………アシュリー様…?」
間抜けな質問に、さらに笑えた。
「俺じゃなかったら、なんなの…」
フィフィが、さらにきょとんとした顔になった。まだ涙が顔に降ってくるのだが、やはり気付いていないのだろう。
「え…あ…それは、そうなんですけど。」
言ってから、不安気に顔を歪めた。その顔にとっさに手を伸ばそうとして、身体が少しだるいのに気付いた。
「……顔。」
「へ?」
ようやく涙が収まってきたらしい。
「顔。」
「……?」
手を伸ばすと、不思議そうにしながらその指先に顔を寄せてきた。素直過ぎて、変だ。
「……泣き過ぎ。」
「…は?」
指先で涙を拭うと、フィフィが驚いて自分で頬を撫でた。
「えっ!?」
「…気付いてなかったわけ?」
驚いたフィフィにこっちが驚く。あれだけ豪快に泣いていたのに、少しも気付いてないだなんて、あり得るのだろうか。
「あ……なんか、気付きませんでした。」
「………」
ぱちぱちと瞬きしている様子を見ると、泣いているなんて少しも思わなかったらしい。フィフィは慌てて涙を拭って、アシュリーが起きるのを手伝った。
「…あの」
いやに遠慮がちにフィフィが訊ねてくる。
「なに?」
聞き返すと、じっと顔を覗き込まれた。
「…大丈夫なんですか?」
こんな殊勝なフィフィは見た事がない。
「なんとか。」
笑って立ち上がると、フィフィはまだ不安そうにしていた。可笑しくてつい聞いてしまう。
「なんでそんなに不安そうなの。」
「なんでって…アシュリー様、なんか、消えそうな気がしたから。」
「…………」
なんだって、こんな事が言えるんだろう。
「………やっぱ、変だ。」
「ってそれはあたしの事ですか。」
「……そう。君って、変。」
思わず“あたし”と言った事に気付かず、フィフィは不服そうに睨んできた。それに安堵して、気持ちが落ち着いてきた。精霊の感情の高ぶりはまだ感じるものの、それで意識が揺さぶられる程ではない。
「レイフィス陛下は?」
「あ、命に別状はないですよ。」
そのままレイフィスの側へ行こうとすると、フィフィが慌てて止めた。
「あ、待って下さい!」
「…なに?」
引っ掴んで止められて、思わず不機嫌になる。
「すいません。涙ついてます。」
「…っ!」
フィフィに顔を拭われて、思いがけず緊張した。指先が顔の上を滑り、離れた。
「いやー…なんか俺が泣いたんじゃなくてアシュリー様が泣いたみたいですねー。」
「っ君のせいだろ!」
思いっきり手を叩き落としてレイフィスの元へ向かった。
「すいませーん…」
悪いと少しも思っていない声が追いかけてきて、いつものように腹が立った。
幸い、レイフィスは頭を打って気を失っていただけだった。しかし、あの男に掴まれた利き手は骨が折れ、出血もひどかった。一応フィフィが止血していたのだが、これではこの先が不安だ。
「面目ない。」
折れた腕を見つめ、レイフィスが苦しげに言葉を吐いた。
「あれは魔物と大差ありません。…それに、この怪我なら治せます。」
「えっ!?だって、折れてるんですよ?結構細かく…」
「フィアニス殿。言ってくれるな。余計に辛い。」
「うっ、すみません…」
アシュリーは深呼吸一つして、怒り狂う光の精霊に呼びかけた。
「——我と時を共にする者、光の王よ。汝の大いなる力を持って、この傷を癒し給え——」
(光の王………アシュリー様って、やっぱり意外にすごいんだな…)
唱え終えたアシュリーの身体から光が溢れ出す。それは粒子となって、導かれるようにレイフィスの腕へと吸い込まれていった。
「っ…!」
光が消えた後、一瞬顔をしかめたレイフィスだったが、その腕は、すでに動くようになっていた。
「すごい…!」
「見事なものだな…」
フィフィもレイフィスもまじまじとその腕を眺める。それに溜息一つついて、アシュリーは何故か通路を逸れて、城の外へと歩き出してしまった。
「あっ、ちょっとアシュリー様!」
慌てて追いかけるフィフィに続き、レイフィスも腕の動きを確かめながら追いかける。
「一体なんだ?」
訊ねられるも、フィフィにも分からない。
「さあ…いつも唐突なんですよね。必要な事ではあるんですけど…何も言ってくれないので。」
「そうか…」
前を行くアシュリーの背を眺め、レイフィスが呟く。
「従者も苦労するな。」
「全くです。」
アシュリーは外へ出ると、また、深呼吸をした。後ろを振り返って二人を確認する。
「なるべく私の側にいていただけますか?」
「分かった。」
「君も。」
「あ、はい。」
二人が側まで寄ってくると、側を離れないように念を押した。ちゃんと頷いたのを見てから、アシュリーは天を仰いだ。
「——光の王よ。汝の主である我が命ず。」
ふわり、と周りの空気が変わった。
(これ…この空気。アシュリー様が倒れてた時と同じだ…)
アシュリーの髪が、服が、魔力を孕んで浮き上がる。ちらりと横を見ると、レイフィスがどこか居心地悪そうにアシュリーを見ていた。
(そうなんだよな…この空気…綺麗過ぎて、居心地悪い。)
恐ろしく感じる程の、清浄な空気。存在を否定されているような清らかさ。
(これは…光の精霊の気配だったのか…)
それでも、目の前のアシュリーがちゃんと“アシュリーとして”存在しているからか、どこか安心出来た。
「夢から出し現の緑を消し去り給え——」
そう唱え、アシュリーが天へ手をかざし、振り下ろす。
すると——
「「!?」」
派手な音を立て、天から光が落ちてきた。それはまさしく、光の槍のように、いくつもいくつも振ってくる。地響きが鳴り響き、美しい島の緑を瞬く間に消し飛ばしていく。
神々しい光と音に思わずよろめくと、レイフィスが支えてくれた。レイフィスもただただ驚愕して光の槍を見ている。
(すごい…これが光の精霊の力!?)
アシュリーは天を見つめ、静かにそこへ立っていた。強い魔力を孕んでいるからか、全体が仄かに光り、ゆらゆらと髪や服が浮いて揺れていた。その姿は、気高く、力強い。華奢で面倒臭がりのアシュリーとは思えない程だ。
光の槍は、まるでこの島を憎むかの如く容赦なく降り注ぐ。その痛烈なまでの勢いを見ていると、女王の悲しむ顔が浮かんでくるようだった。
(その女王は…緑が枯れて、国が閉ざされ、娘の幸せも叶えられない事が、よっぽど悲しくて悔しかったんだろうな…)
これほどまでに美しい国が、形は違えど、こうやって滅んでいくのは、見るに耐えない事だったのだろう。
(でも…女王。姫はこんな国望んでなかった。貴女が夢に囚われてるのを悲しんでる。)
フィフィは、降り注ぐ光りに消されていく景色を、しっかりと目に焼き付けた。




