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大魔術師と助手  作者: 沢凪イッキ
第六章 花の生まれた場所
31/43

-30-


——クライスト城では張りつめた空気が辺りを支配していた。身を寄せ合ってからどれくらいを過ごしているだろう。


 民は城近くへ集められ、大勢の兵の護衛を受けている。アシュリーとニルによって植物の浸食は抑えられていたものの、じわじわとからかうように花は咲き、生まれ出た魔物は骸と魔力と人々の恐怖によって糧を得て、どんどん数を増やしていた。


 ハークヴェルはあからさまに襲ってくる事はせず、まるで何かの時を待つように、わずかに集団を離れた者を狙ったり、隙を見てはアシュリーとニルの術が施された場所の植物の術を解こうと、忍び込んで来たりしている。




「…まったく…ちょろちょろと。思いっきり踏み潰してやりたいなぁ。」


 苛々と言ったのはヴィルジウス。細身の身体に纏う甲冑は様々な濃淡のある緑の色。それが、彼の黄金色の髪と大地の色を宿す瞳によく似合っていた。彼が向かうのは戦場ではなく、舞台なのではないかと思ってしまう程に美麗な姿だった。


「罠を張ろうと思っても、あの植物が邪魔でこの城付近にしか出来ませんし…」


 ニルも、戦場での衣服を纏っていた。闇を象徴するローブにはクライストの紋章。ひとたび敵の前へ立てば、美しい死神のように見えるだろう。だが今、ニルは疲れた様子で椅子に腰掛け、こめかみを揉みほぐしていた。


「大丈夫か?ニルヴァーナ。」


 そう問いかけつつも口元に余裕のある笑みを浮かべるのはオルクス。そんなオルクスに視線を向け、ニルは溜息と共に零す。


「…うるさいんです。あいつが。」


 あいつ、という言葉にユンファが不安気にニルの膝へ手を置く。そんなユンファに笑顔を向けて、ニルはさらに零した。


「アシュリーがもたもたしてるから…。戻って来たら闇界あんかいに閉じ込めてやろうか…」

「ニル様、まだ大丈夫ですよ!」


 暗い目をして呟いたニルに、ユンファは間近で目を合わせてそう笑いかけた。すると、ニルは目が覚めたように瞳から暗闇を消し去った。こうも暗い空気が充満していると、闇の精霊が調子づいて宿主であるニルの身体を借りようとしてくるのだ。


「あ……ごめんね、ユン。」

「私は平気です!」


 不安や孤独を消し去る、明るく優しい笑顔。ニルは縋るようにユンファを抱きしめた。


「ニルヴァーナはまだ闇に勝てんのか。この様子では奴らが攻めて来た時は保たないだろうな。」


 さらりとニルヴァーナを言葉で傷つけ、追い込む。そうしておいてヴィルジウスは、ニル本人よりも傷付いた表情のユンファに言った。


「お前が支えならば、くっ付いていろよ。」

「…!…はい、でんか!」


 一瞬目を見張ったユンファだが、大人顔負けのきりりとした表情で力強く頷いた。


「殿下…暇つぶしに掻き回すのはお止め下さい。迷惑です。」


 言ったのはリディオスで、冷ややかな目で主を見ていた。それを受けてヴィルジウスは一笑した。


「ふん。今のは暇つぶしではなく警告だ。精霊に好かれるというのも、相手によるな。ニルヴァーナもアシュリーも、常々諭しておかなければ精霊の言うなりだからな。」

「黙っていて頂けますか。うっかり殴ってしまいそうなので。」


 言いつつも、見た目だけならリディオスは静かに落ち着いていた。が。長く共にいる者はしっている。これは、切れる一歩手前だと。


「…ちっ。アシュリーめ。遅れて戻ってきたら娼館にぶちこんでやろうか。」

「リディオス様っ、落ち着いて下さい!」


 殴り掛かったリディオスをヴィーグとジルキスが必死に抑える。その横で、ルキセオードはいたって普通にヴィルジウスに訊ねた。


「陛下は何処におられますか?」

「ああ、あれも老いぼれだろう。奥に押し込めてきた。」

「オルクス様はこちらにいらしていて、よろしいのですか?」

「陛下の命でな。動きがあれば即刻片付けて来い、との事だ。」


 つまりは、自分に引っ付いているよりも民を護れ。さっさと敵を倒せるように表へ出ておけ。という事だ。臣下を信頼してくれているのだが、端的な命はこの親子の特徴と言えるだろう。端的過ぎて苦悩する事が多々あるが。


「…様子を見て参ります。」

「ああ。」


 ルキセオードは一礼すると、普段は謁見のために使われている広間を後にした。




 今やクライストの様子は様変わりしていた。きっと他の国もそうだろう。空は瘴気である黒い霧で曇り、あの花に侵され、魔物に狙われる毎日。そのうえ、隣国のハークヴェルは衰弱するのを待っているかの様に大きな動きは見せない。


 その城内で大量の魔力を凝縮させているのは分かっているのだが、それをどう使ってくるのか分からない以上、こちらも攻め入る事が出来ないでいた。


(ニルヴァーナ様とユンファ様のおかげで、万が一にも転移はして来られないようになってはいるが…)


 歩廊からハークヴェルの方を見つめる。その目線の先には、不気味に聳える城の姿があった。


(…護らなければ。)


 王師、黒騎を除く全軍の指揮をとるのがルキセオードの努め。それは言い換えれば、ルキセオードが民の盾だという事なのだ。ルキセオードは民を護るべく、歩廊を後にした。




 城下町へ降りればすぐ、サージェスが走り寄って来た。


「今のところ、異常ありません!」

「ご苦労。体調の悪い者などいないか?」


 ルキセオードはまだ若く従える兵の方が年齢は上である。まだ入隊したばかりの者はさすがにそうはいかないが、兵のほとんどはルキセオードより年上だ。それでも、ほぼ全員がルキセオードを尊敬していた。


「何名か。ですがすでに医師に診せており、城内で休ませております。」

「そうか……」


 体調を崩す理由のほとんどは心労だ。今の状況が長引けばどんどん増えるだろう。


「今日、今までのところは侵入者はおりません。魔物は三匹仕留めました。」


 頷いて、ルキセオードは見回りを続ける事にした。


「引き続き警護を頼む。」

「はっ!」


 城下町をぐるりと一周する。それより外にいる民のところにも警備兵はしっかりと割り当てられていて、定期的に連絡も回している。一通り報告を聞いて、今一度城内へ戻ろうとした時だった。


「ルキセオード様!」


 切羽詰まった声に視線を向けると、一人の兵が血相を変えてこちらへ走ってきていた。ただならぬ様子だ。


「何があった?」


 兵士はルキセオードの元まで来ると、崩れるようにそこへ膝をつき、叩頭した。


「申し上げます!たった今、城下町の中へ魔物が入り込みました!南門の方です!」

「なに!?」


 ハークヴェルとラナスとの国境に境界壁が築かれた時から、魔物は数を増やし、どんどんこの城に迫ってきてはいた。だが、絶対にこの城下町にだけは入れないようにしてきたのだ。それが、たった今突破されたと聞いて平静ではいられない。


「被害は?」

「民が数人怪我を負いました!今、第一師団が迎え撃っていますが…身の丈を超える大きな魔物です。どうか!」

「お前はそのまま他から侵入がないが調べ、異常があれば各部隊へ知らせろ!」

「はっ!」


 お互いしかと目を合わせ、一目散に駆け出した。




 南門では数名の兵士が魔物と相対していた。鉄門がひしゃげており、三匹の魔物が入り込んできていた。大きな身体は猶に人の背丈の三倍はあろう。頭から胸にかけて深い毛に覆われており、合間から除く目は血の様に赤い。その頭からは二本の角が生えていた。四肢は太く、大きな鉤爪が血で濡れていた。


(一匹に三人…それでもまだ足りない。外はあまり荒らされていないようだな…)


 さっと状況を確認すると、ルキセオードは一番身体の小さな魔物へ走り出した。


「はあぁっ!」


 ルキセオードに気付いて魔物から兵士が後退すると、その肩を蹴ってルキセオードは魔物へ斬り掛かった。地上で二人の兵士を相手にしながらも、魔物はその禍々しい赤い目をルキセオードへ向ける。しかし、目が合ったのは一瞬だった。


「ギャアアアァアアッ!!」


 その目に愛剣を突き刺すと、魔物が絶叫して暴れる。目から吹き出す毒のある血が顔にかかるが、ルキセオードは振り落とされないようにしっかりと剣の柄を握っていた。その血が目に入らないように気をつけてはいるが、戦闘するとなれば多少は仕方のない事だ。


 魔物は叫びながらしばらく暴れ回り、やがて動きが弱くなったところでルキセオードは剣を引き抜き、飛び退いた。引き抜く時、魔物は一際大きく叫び声を上げた。


「その二匹も早々に仕留めるぞ!」


 地上に降り立つなり、剣を振るって血を落とし、兵士に命を下す。


「「おおっ!」」


 ルキセオードが一匹を倒したのを見て、一気に士気が上がったようだ。今だ弱く動いていた魔物に止めを刺し、ルキセオードは次の魔物へと駆け出した。




「……?」


 ニルが不愉快そうに顔をしかめた。それを見て、ユンファが心配になって覗き込む。


「ニル様…?」


 ユンファの呼びかけに、ヴィルジウスを始め、全員の視線がニルに集まる。


「……何事…?」

「ご報告申し上げます!」


 ほとんどニルの言葉に被せるように、兵士が広間の扉を開け放って走り込んできた。もつれるようにヴィルジウスの側へ平伏する。


「どうした。」

「申し上げます!四門から魔物が襲来!現在南門でルキセオード様が戦闘中です!」

「!」


 それを聞いたヴィルジウスの決断は早かった。


「西門はオルクス。東門はリディオスが向かえ。」

「「御意」」


 二人とも、深く叩頭してさっと走り去る。


「北門は?」


 ニルが不審そうに訊くと、ヴィルジウスが傲然と頬んだ。


「俺が行く。」


 言って、驚くヴィーグとジルキスにも命を下した。


「お前達は怪我人を運び込め。」

「「はっ!」」


 走り出したヴィルジウスに続いて二人も駆け出して行った。




 そうして二人だけになった広間で、ニルが弱々しく呟いた。


「……忌々しい…」

「ニル様…」


 そっと温もりを与えてくれる小さな手を、なるべく優しく握り返した。ニルの脳裏には、闇の精霊の声が響いている。


『ニルヴァーナ。我の気持ちが分かるだろう?魔物を蹴散らしたくて仕方ないのだろう?』

 うるさい、と念じる。


『堪えずとも良い。我に委ねよ。そなたから平穏を奪うハークヴェルを滅ぼしてやろうぞ。』

 うるさい黙れ。


『ああ…禍々しいこの気配。感じているのだろう、ニルヴァーナ。殺戮を求めるこの欲望…。』

 うるさいうるさいうるさい。


『ニルヴァーナ。我が愛し子よ。敵に恐怖を与えてやろうではないか。一思いに殺すのは優しいと思わぬか?』

 駄目だ。耳を貸しては駄目。


『ニルヴァーナ。お前の同胞をハークヴェルがいたぶり殺すのを黙って見ているのか?今も創り出された魔物が襲っているのだろう?』

 大丈夫大丈夫大丈夫。あの四人がいったのだもの。大丈夫大丈夫大丈夫。


『ああ、ほら…。魔物がお前の民を食い殺していくぞ?あの四人は無事であっても、民は非力なものだな。』

「……!」


 見開いたニルの目には、不安そうなユンファの顔が映っていた。











 孤島には見事な花が咲き乱れていた。


 小鳥のさえずりが聞こえ、海が静かに波打つ。


 美しい草花をかき分けて進むと、やがて華奢な城が見えてくる。




 その城の王座に、女王は腰掛けていた。傍らには白いフードを被った男がおり、女王にやさしく囁きかけていた。


「女王。もうすぐですよ。もうすぐ、あの方がここへいらっしゃるでしょう。」

「ええ、そうね。この国が…かつてのように美しく蘇ったのだもの。きっとあの方が足を運んで下さるでしょう。」

「ええ、そうでしょうとも。姫もさぞお喜びでしょう。」


 男は優しく、優しく女王に囁きかける。女王は嬉しそうに頷いた。


「あの子ったら、待ちきれずに城の外を駆け回っているの。」


 美しい笑みに、男は眩しそうに微笑み返した。




 女王の部屋は花に埋め尽くされ、そこには美しい骸骨が横たわっていた。真っ白な骨は、まるで芸術品の如く無垢な美しさだった。


 その骸骨に寄り添うように、同じく美しい白骨があった。寝台に上半身を乗せ、下半身は床へ投げ出されている。


 それを悲しげに眺め、王女は踵を返して歩き出した。


 母は突然現れたあの男に誑かされ、自分が見えなくなってしまった。自分も、母へ声を届ける事が出来なくなってしまった。




 どうしたらいいのか分からない。あの男に見つかってしまえば、自分も母のように惑わされるのだろうと思い、ずっと、ずっと隠れ過ごしてきた。


 どうしたらいいのか分からない。考えても考えても、自分はただの魂だけなのだと思い知らされる。


 どうしたらいいのか分からない。母を救いたくて、この国を自然な形に戻したいのに。


 どうしたらいいの分からない。


 助けて。


 助けて。愛しい人。貴方の勇気と知恵を、私に授けて。


 助けて。助けて。


 この国が、母が、壊れてしまう——。






「ここが…」


 フィフィ達は無事、孤島へと辿り着く事が出来た。あの花の道は、フェルウェイルからひたすら真っ直ぐにここへと続いていた。


 花は、不思議とアシュリーから魔力を奪おうとはしなかった。


「どうして魔力、吸われなかったんでしょうね?」


 振り返って問いかけると、不思議そうに来た道を振り返っていた。


「さあ…。ここだけ特別だったのかも知れない。」

「なんにせよ、奪われずに済んで良かったな。」

「…そうですね。」


 フィフィに続いてレイフィスもさくさく進む。アシュリーは二人の背中に問いかけた。


(なんで警戒しないの?)


 とはいえ、黙って後についていく。


(ああ…二人とも魔力がないから、これを感じないのか…)


 孤島は異様な程濃い魔力が充満していた。それも、髪や精霊が持つような、純粋な魔力。


(身体の中をゆっくり掻き回されているようで…気分が悪い。)


 自然と歩みが遅くなってしまう。


(清浄な魔力…あいつが好みそうな…)


 ふわふわと視界が揺れる。


(……休みたい…けど、そんな場合じゃ…)


「アシュリー様、どうしたんですか?」

「…?」


 気がつくと、フィフィとレイフィスに支えられていた。間近でフィフィが覗き込んでくる。


「なんか、目がとろんとしてますよ。疲れたんですか?」

「………」


(いい気なもんだな…)


 頭を振ってアシュリーは足に力を入れた。


「いや、大丈夫。」

「本当か?もしや、何か魔力の影響があるのか?」

「え?そうなんですか?」

「………」


 何故か、一緒に覗き込んでくる二人に腹が立った。


「…清浄な魔力が充満していて、少し動きづらくはあります。」

「清浄な魔力…?」


 わざとレイフィスに向けて言ったのだが、フィフィは特に何も感じなかったようで、そう聞き返してきた。


「そう。…この魔力なら、魔物は生まれないでしょう。」


 言って、歩き出す。フィフィとレイフィスは顔を見合わせて、アシュリーの後を追った。


 アシュリーの足下で、唐突に水が跳ねた。


「?」


 見下ろすと、あの海の精霊が姿を現していた。




「あ!あの精霊…」


 フィフィもアシュリーの足下を覗き込む。アシュリーは精霊に問いかけた。


「どうしたの?」


 精霊は、ぽこぽこと音を立てながら、不安定に形を保とうとしている。


『泣いてる』


「それは、誰が?」


『姫が泣いてる』


「どこにいる?」


『姫は助けて欲しい。あの王子を探してる』


「あの王子とは…フェルウェイルの王子だな。」


 そう言ったレイフィスの声に、海の精霊がぶるりと震えた。


『王子?王子が来た。姫が泣き止む』


 どうやら精霊はレイフィスがその王子だと思ったらしい。フィフィは思わずレイフィスを見た。レイフィスは困って、アシュリーを見る。


「…この方は違う。けど、その王子の血縁だ。」


 アシュリーが少し言いにくそうに言う。


『王子。姫を助けて。私では助けてあげられない』


「………」


 精霊はもう、レイフィスしか見ていないようだった。


「……私はその王子ではないが…助けたいとは思っている。」


『こっち』


 返事を聞くな否や、精霊はぽこぽこと音を立てて形を崩しながら移動を始めた。


「追うべきか?」


 レイフィスが困ってアシュリーを見ると、アシュリーはしっかりと頷いた。


「追いかけましょう。姫に協力してもらえると助かります。」

「よし。では行こう。」


 三人は小さな海の精霊を見失わないように、急いで駆け出した。




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