表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/8

1話

「レオン、明日の準備はいい? ……少し無理したけど、もう大丈夫だから」

僕が声をかけると、彼はいつものように不敵な笑みを浮かべて頷いた。幼い頃からずっと、僕は彼の背中だけを見て歩いてきた。……そう思っていたのに。


――だが、その日常は、あまりにも呆気なく壊れた。


宿屋の食堂は、いつものように騒がしかった。

無骨な重戦士サイラスが酒を煽り、斥候のミラが今日の収穫について笑い、俺の隣ではエリアスが「明日の装備の点検、もう終わってるよ」と、いつもの穏やかな顔で俺の肩を叩く。

そんな、数年間繰り返されてきた「日常」を、俺は一言で切り裂いた。


「――抜けてくれ、エリアス。お前はもう、俺の隣に立つ資格はない」


静寂が、冷たい水のように広がった。

エリアスは、手に持っていた収支報告書を握りしめたまま、凍りついたように俺を見つめている。


俺には、時間がないんだ。

『天頂の塔』――かつて英雄と呼ばれた父が辿り着けず、その最期を「無謀な敗北者」と嘲笑われた場所。父の葬儀の日、親戚たちが「無能な男の息子も、どうせ無能だ」「血は争えないな」と囁き合っていたあの声を、俺は今も忘れていない。

父の汚名を晴らす。その焦燥だけが、俺の心臓を動かす唯一の燃料だった。


「……本気で言ってるの、レオン」

エリアスの声は、どこまでも静かだった。

だが、俺を見つめる瞳には、これまで見たこともない「色」が宿っていた。


「あぁ。俺はもっと過酷な階層へ行く。お前のような非戦闘職を連れていては、いつかお前を死なせることになる。それは俺のプライドが――」

「プライド、か……」


エリアスが言葉を遮り、小さく笑った。

何かを言いかけ、唇が小さく震える。あいつの手が、俺の肩に触れようとして――途中で、力なく止まった。


「レオン。君は、一つだけ大きな勘違いをしてる。君が『自分の力』だと思って誇っているその全部、本当に君だけのものかな?」

「……何が言いたい」

「ううん。……わかったよ。君がそう決めたなら、僕はもう何も言わない」


エリアスは立ち上がり、ゆっくりと出口へ向かった。扉に手をかけたところで、その背中が僅かに、耐えきれないように震えた。


「……本当は、全部言い合って、また笑いたかったよ。……さよなら、レオン」


一瞬だけ漏れた、震える本音。

その泣き出しそうな声を、俺は「弱者の泣き言」として脳内で処理した。



翌朝。食堂で待っていたサイラスとミラの態度は、俺の想像を超えるものだった。


「二人とも、エリアスは外した。今日からは俺一人で火力を担う。効率は上がるはずだ」

「……あぁ。そうか、レオン。お前は、あいつを切ったんだな」


サイラスが、重々しく、けれどどこか悲しげな口調で言った。


「サイラス、あんたまで何なんだ。俺は父さんを超えるために――」

「親父さんはな、レオン。……背中の仲間に命を預けて、初めてあの高みまで行ったんだぞ。今のままのお前と一緒に地獄へは行けない。それはエリアスを殺し、お前を自滅させる道だからだ」


突き放すような言葉。だが、その瞳には「これ以上お前が壊れるのを見ていられない」という、年長者ゆえの苦渋が滲んでいた。


隣のミラは、泣き腫らした目で俺を睨みつけ、絞り出すように言った。


「……レオンさん。エリアスさんが、どれだけボロボロになって君の『覇王の心』の尻拭いをしてたか、一生知らないまま……独りで戦えばいいんだ!」


二人は俺を置いて、食堂を去った。

逃げるように、独り(ソロ)で街を飛び出す。


脳裏には、半年前の『深紅のワイバーン』戦の記憶が浮かんでいた。


あの時、俺の剣は間違いなく神がかっていた。

サイラスの盾が突進を受け止め、俺の「道」を作った。

ミラの『魔流の眼』が死角を看破し、俺に「好機」を伝えた。

そして何より、右腕から溢れ出す狂気的な魔力を、背後のエリアスが抑え込んでくれていた。


(……いや、違う。あの時、俺が決めた最後の一撃がすべてだった。俺の才能が、あいつらの不足を埋めていただけだ)


そう、俺のギフトは万能だ。そうでなければならない。



独りになって数日。俺は塔の難所『黒曜の森』で、鋼の皮膚を持つ巨熊『アイアン・ベア』と対峙していた。

以前の俺なら、瞬きする間に終わっていたはずの相手だ。


「――『覇王の心』、駆動ドライブ!」


右腕に魔力を込める。


その瞬間、全身の血管に「溶岩」を流し込まれたような激痛が走った。


「が、はぁっ!? ……っ、なんだ、これ!?」


身体が、鉛のように重い。

脳は「回避」を命じているのに、足が地面に張り付いたように動かない。


サイラスの盾はない。同じ感覚で受け止めた衝撃が、そのまま俺の骨を砕かんばかりに響く。


――ドォォン!


「あ、ああああああ!!」


熱い。右腕が、自分の魔力で内側から焼け焦げていく。

ミラの警告もない。死角からの二撃目が、俺の脇腹を容赦なく抉った。

エリアスの「加護」がない右腕は、もはや制御不能な爆弾のように、俺の神経を一本ずつ焼き切ろうとしていた。


「くそっ、クソッ!! なんでだ、なんで動かない!!」


叫び、なりふり構わず剣を振り回し、泥を舐め、無様に転がり、鼻血を流しながら、俺はただの一頭に、文字通り「命を削って」ようやく勝利した。


静まり返った森の中で、俺は膝をつき、激しく嘔吐した。

全身の震えが止まらない。剣が、泥の塊のように重い。


(……おかしい。こんなはずじゃない)


「……ああ、クソ……。あいつら、呪いでもかけていきやがったのか……!?」


俺は、認めない。

あいつらのサポートが凄かったなんて、口が裂けても言えるか。

エリアスが何をしていたかなんて、知りたくもない。


「明日になれば、また元に戻る。……俺は、あの『無能』と呼ばれた男の息子で終われるかよ……っ」


溢れ出す恐怖と焦燥を、他者への怒りで塗りつぶす。

俺はボロボロの剣を引きずり、一歩、また一歩と、地獄のような重さのなかを歩き出した。


――その一歩が、致命的な破滅への始まりだと、この時の俺はまだ知らない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ