第11話 「管理者権限(ブラック・ボックス)」
【地下遺跡・中層 試練の間】
巨大な質量が崩れ去る音が、鼓膜に残響していた。
土煙が晴れていく。
そこには、瓦礫の山となった「古代守護像」の残骸が転がっていた。
「……はぁ、はぁ、はぁ……!」
カイルが聖剣を杖にして、荒い息を吐く。
その顔は泥と埃にまみれ、決して美しい英雄の姿ではなかった。
だが、その瞳には生気が満ちていた。
「やった……。やったぞ、レイ!」
「……ん。勝てた。レイのおかげ」
カイルが、ルナが、シリウスが、リリィが。
全員が俺の元へ駆け寄ってくる。
俺は右腕の激痛に顔を歪めながらも、へたり込んだまま彼らを見上げた。
「……お前ら、詰めが甘いぞ。俺の指示がなきゃタイミングも合わせられないのか?」
「うるせぇよ! 生きててよかった……ほんとに、生きててよかったよぉ!」
カイルが俺に抱きつき、子供のように泣きじゃくる。
その体温が、俺の冷え切った体に染み渡る。
ああ、戻ってきたんだ。
あの暗くて臭い、孤独なゴミ捨て場から。
『……ふん。人間にしては、悪くない幕引きね』
右手のルミナスが、脳内で少しだけ感心したように呟いた。
俺は安堵の息を吐こうとした。
これで終わった。あとは地上へ帰るだけだ。
――そう、思ったのに。
パチ、パチ、パチ。
不協和音が、頭上から降ってきた。
それは乾いた拍手の音だった。
場違いで、無機質で、背筋が凍るようなリズム。
空気が、一瞬で変質する。
歓喜の熱狂が、絶対零度の緊張へと塗り替えられる。
「誰だ……?」
カイルが反射的に剣を構え、空を見上げる。
中層の吹き抜け。
そこに、一人の男が浮いていた。
重力を無視して空中に立ち、黒いローブをはためかせる男。
「素晴らしい。……実に素晴らしい『異常』だ」
男がゆっくりと降下してくる。
その足元には、空気の階段があるかのように、黒い波紋が広がっていた。
敵意も殺気もない。ただ、道端の虫を観察するような、不気味なほどの「無関心」。
「何者だ、貴様!」
カイルが叫ぶ。
だが、俺の反応は違った。男を見た瞬間、右腕のルミナスが、かつてないほど激しく脈打ったのだ。
『……ッ!』
ルミナスの絶句。
そして、脳髄を焼き切るほどの憎悪が流れ込んでくる。
『あいつよ……! レイ、あいつがこの遺跡の管理者! 千年もの間、ここへ落ちてきた英雄たちを弄び、希望を与えては絶望の底に突き落としてきた……諸悪の根源ッ!』
(なっ……こいつが、管理者……!?)
『名前はヴァリウス……! 逃げて! 今の貴方たちじゃ、あいつの「視界」に入っただけで死ぬわ!』
精霊ルミナスの警告。
だが、もう遅かった。
ヴァリウスはすでに、俺たちの目の前に降り立っていた。
「まさか、廃棄区画から這い上がり、私の最高傑作を『理屈』だけで破壊するとは」
ヴァリウスが、興味深そうに俺を見る。
「初めまして、と言っておきましょうか。イレギュラー諸君。私はこのクレイドルの管理者、ヴァリウス」
「管理者……だと?」
「ええ。君たちを英雄へと導くための『教育者』ですよ。……まあ、少々『雑音』が混じって失敗しましたが」
「ふざけるな……! 教育だと? 俺たちを殺そうとしたくせに!」
カイルが吠える。
英雄候補の威圧が、通路を揺らす。
だが、ヴァリウスは微動だにしない。
「殺す? まさか。不要なデータを削除しようとしただけです」
会話が通じない。
こいつは見ている世界が違う。
俺たちは「人間」だが、こいつにとって俺たちは画面の中の「数字」でしかないのだ。
「カイル! 来るぞ、構えろ!」
俺の叫びと同時に、カイルが動いた。
「問答無用ッ! そこを退けぇぇぇッ!!」
カイルの神速の踏み込み。
ゴーレムすら粉砕した聖剣の一撃が、ヴァリウスの首を狙って閃く。
速い。以前よりも格段に鋭さを増した、必殺の剣閃。
だが、ヴァリウスは避けようともしなかった。
ただ、指先で空中に何かを描くように撫でただけ。
【 System : Attack_Range = 0 】
キィィィィン……。
「な……ッ!?」
カイルの剣が、ヴァリウスの鼻先数センチで「止まった」。
いや、止まったのではない。
剣を振るっているのに、刃がそこから先へ進まないのだ。まるで、空間の距離が無限に引き伸ばされたように。
「な、んだこれ……!? 届か、ない!?」
「『距離』を再定義しました。私の周囲1メートルは、君にとっての無限です」
ヴァリウスが、困惑するカイルの胸に掌を当てる。
「下がりなさい」
ドンッ!!
見えない衝撃波が炸裂し、カイルが後方へ吹き飛ばされる。
「カイル! ……ん。燃え尽きろ、『獄炎』!」
ルナが即座に反応し、極大魔法を放つ。
通路を埋め尽くす紅蓮の炎。回避不可能な範囲攻撃。
【 System : Fire_Resist = 100% 】
炎がヴァリウスの体を包み込む――が、彼は涼しい顔でその中を歩いてきた。
服の端すら焦げていない。
「熱くありませんね。設定温度を下げましたから」
「……嘘。私の魔法が、ただの『絵』みたいに……」
ルナが愕然と杖を取り落とす。
「物理も魔法も通じない……!? そんな馬鹿な!」
シリウスが矢を構えるが、射つ手が震えている。
彼の「計算」が告げているのだ。勝率が0%だと。
俺は歯を食いしばり、スキルを発動させた。
魔法がダメなら、理屈で対抗するしかない!
【 スキル発動:『一般常識』 】
【 対象:ヴァリウスの防御障壁 】
「どんな障壁も、エネルギー切れはあるはずだ! 維持にはリソースを消費する! それが常識だ!」
俺のスキルが、世界の法則に干渉しようとする。
だが。
【 Error : Access Denied 】
【 対象は管理者権限により保護されています 】
「が、はッ……!?」
脳内でガラスが割れるような音がして、俺は鼻血を吹いた。
弾かれた。
俺のスキルが通用しないんじゃない。俺のアクセス権限が低すぎて、干渉することすら許されない。
「無駄ですよ、レイ」
ヴァリウスが、哀れむように俺を見た。
「君のスキルは『世界のルール』を利用するもの。……ですが、私は『ルールを管理する側』です」
彼が両手を広げる。
空間が、不気味なノイズ音と共に歪み始めた。
「君たちの抵抗は堪能しました。……そろそろ、終わらせましょう」
【 管理者権限:空間掌握 】
空間に、無数の「黒い立方体」が出現した。
バグった映像のように明滅する、不気味な黒い箱。
それが雪崩のように、俺たちに向かって降り注ぐ。
「――ガ、ァ……ッ!?」
ズドォォォォォォォォォンッ!!
逃げる間もなかった。
カイルの体が、シリウスが、ルナが、リリィが。
見えない巨大なプレス機で潰されたように、地面にめり込んだ。
「ぐ、ぅぅぅ……ッ!?」
俺もまた、泥水の中に顔を押し付けられていた。
呼吸ができない。
背中に山脈を乗せられたような重圧。
「な、んだ……これ……」
シリウスが、床に這いつくばったまま解析を試みる。
「重力魔法……? いや、違う。この黒い箱……構造が解析できない……!」
「ジョブ鑑定……不能……。該当データなし……」
混乱するシリウスに対し、ヴァリウスは優越感たっぷりに答えた。
「私のジョブは【黒魔道士】。……君たちの知る『英雄ジョブ』や『戦闘ジョブ』の枠組みには存在しない、管理者のみに与えられた権能です」
「黒魔道士……?」
シリウスが絶句する。
「聞いたことがない……! ギルドのデータベースにも、古代文献にも、そんなジョブは……!」
「あるわけがないでしょう。これはシステムの外側から与えられた力なのですから」
ヴァリウスが右手をかざす。
黒い立方体が収縮し、俺たちの空間がさらに狭まる。
骨が軋む音が響き、血管が悲鳴を上げる。
『……ああ、知っているわ。この黒い棺』
ルミナスの声が、絶望に震えていた。
『私の前の契約者も……その前の英雄も。みんな、この理不尽な箱の中で、手も足も出ずに圧し潰された。……やめて。もう見たくない……!』
絶望だった。
俺がどれだけ理屈をこねようと、相手は「理屈そのもの」を削除できる。
「さて。これ以上のバグは世界の害悪だ」
ヴァリウスの瞳から、完全に感情が消えた。
彼は事務処理をするような手つきで、指先を俺に向けた。
「まずは発生源から消去しましょう」
ヒュン、ヒュン、ヒュン。
周囲の黒い立方体が、カイルたちを無視して、俺一人の座標を目指して集束を始める。
「存在消滅」の輝きを帯びた、漆黒の立方体群。
「レイッ!! 逃げろぉぉぉぉぉッ!!」
カイルが絶叫する。
体中から血を噴き出しながら、彼は無理やり剣を掴もうとする。
「動けぇッ! 俺の体ぁッ! 友達一人守れなくて、何が英雄だッ!!」
「いやぁぁぁっ! レイさんッ!!」
リリィが泣き叫ぶ。
……ああ、こいつら。
本当に、いい奴らだな。
こんな状況でも、自分の命より俺のことを心配してくれるなんて。
俺は動かない体で、それでも必死に顔を上げた。
逃げられないなら、せめて最後まで睨みつけてやる。
『イヤ……! 死なないでレイ! お願いだからッ!』
ルミナスの悲痛な叫びが脳内に響く。
「……ワリィな、ルミナス、みんな」
俺は掠れた声で呟いた。
立方体が、視界を黒く塗りつぶしていく。
「どうやら、ここまでのようだ」
ヴァリウスが、無慈悲に宣告する。
「さようなら。……哀れなエラーデータ」
黒い闇が、俺の全身を飲み込んだ。
音も、光も、痛みさえも消える虚無。
完全な死。
――その瞬間だった。
ズドォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!
世界が、悲鳴を上げた。
魔法の爆発音ではない。
もっと原始的で、暴力的で、デタラメな破壊音が、通路の奥から響き渡った。
「……あ?」
ヴァリウスの手が止まる。
俺を消滅させようとしていた黒い立方体が、横薙ぎの衝撃波に吹き飛ばされ、ガラス細工のように粉々に砕け散ったのだ。
パラパラと、黒い欠片が舞い散る。
そして、ゴーレムの死骸で完全に塞がれていたはずの通路が、内側から弾け飛んだ。
巨大な岩塊が、まるで小石のように吹き飛ばされ、粉塵となって舞い上がる。
カツン。カツン。
静寂の中に、重々しい足音が響いた。
瓦礫の山を割り、土煙を踏み越えて、誰かが歩いてくる。
ヴァリウスが展開していた「事象の拒絶」の壁を、まるで薄いカーテンを開けるかのように、素手で引き裂きながら。
「相変わらず陰気臭ぇ場所だぜ。……俺がここをブチ壊して出ていった20年前と、何一つ変わってねぇな」
不機嫌そうな、だが猛獣のような低い声。
闇の中から現れたのは、一人の男だった。
赤銅色の髪。野性的な髭。
そして、全身から立ち昇る黄金の『威圧』。
その男が、ヴァリウスを一瞥する。
ただそれだけで、管理者の黒い立方体が、恐怖したように震え出し、勝手に崩壊していく。
「よぉ、ヴァリウス。元気にしてたか?」
男は、気軽な口調で言った。
だが、その背中から放たれるプレッシャーは、この場の全員が理解していた。
理不尽なシステム(絶望)を、さらに理不尽な暴力(最強)が塗り替える。
最悪で最高の「イレギュラー」が、正面から乱入した。




