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冷めたコーヒー

 シャニーグループの久下竜介(ひさかりゅうすけ)部長は午後になってから出社した。

 警察署に一晩拘留され、事情聴取の結果、微罪処分と判断が下され釈放となった。

 部長室に入ろうとすると、

「久下部長、出社したら会長室に来るようにと言付けを預かっております」と、部下が声をかけた。

 久下は大きな深呼吸をすると。

「わかった」と言い会長室へ向かう。




 会長の前で軍人のように直立不動で判決を待つ久下部長。

「わかっていると思うが、今日が君に与えた猶予の最終日だ。早速だが成果を報告しなさい」

「天白商事に潜入させていた者からの報告では、久崎という社員が九十九女王とのパイプ役になっているという話です。昨日、その者の自宅へ話を聞きに赴いたのですが面会叶わず交渉に至っておりません」

「すると何かね、成果は無しと言いたいわけだ」

「誠に申し訳ございません」

 久下部長は九十度のお辞儀をしたまま顔を上げない。

「弁解はないのかね」

「ございません」

 (わら)にも(すが)る思いで頭を下げ続ける。

 会長の機嫌が良くなれば猶予が伸びるかもしれないと淡い期待を強く願うのだが。

「失望したよ、久下君。残念だが本日付けで辞めてもらう。後日、法務部から連絡がいくだろうから身辺整理をしておきなさい」

「クビですか……この私を……」

 久下が顔を上げる。その表情は町のチンピラのように眉間にシワを寄せ口元が吊り上がっていた。

「そう聞こえなかったのかね。用は済んだ退室しなさい」

「今まで身を粉にしてシャニーグループに尽くしてきたこの私を?」

「身を粉にしようが成果が出せなければ、それは徒労だ」

「よくその口で言いますね、あなたが介入したせいで失敗した事業がいくつあると思っているんだ!」

「五つだ」

「自覚あるんだな」

「あたりまえだ。グループ全体を統括するのがわしの責務だからな。五つの事業、あれは担当者に任せておいても失敗が確実視されていたのだよ。だからわしが介入した。担当者が責任を取らないようにな。有能な人材を手放すのは社にとって甚大な損失になる。それを避けたのだ」

「は? じゃあ暴君のふりをしていたと言うのか」

「ハッハッハ。暴君の統治する企業がここまで成長するわけがないだろう。わしを甘く見るなよ無能が」

「この俺が無能?」

語弊(ごへい)があるな。君は課長職までなら誰よりも有能だ。しかし部長の器ではない。視野が狭く、高額の予算を有効に活用するセンスが足りない。課長への降職も検討したが、高圧的な勤務態度はわしの耳にも届いている。新しい部長と関係を築くのは難しいだろう」

「だから私をクビに……」

「そうだ。一度の失敗で社員を解雇する血も涙もない鬼だと思っているだろう。しかしな、解雇される奴にはそれなりの理由があるのだよ」

 久下の体から力が抜け、ガクンと膝から崩れ落ち、その場に座り込んでしまった。

 内線で呼ばれた社員たちは、引きずるようにして久下を会長室から連れ出したのだった。



△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



 天白商事から少し離れた場所に建つ賃貸オフィス。

 元自衛隊の西窪隆志(にしくぼたかし)は双眼鏡を覗きながらノミが来ないか見張っていた。

 張り込みを始めてから二週間は過ぎている。

 大きなビニール袋には、コンビニ弁当のトレイやカップ麺の器などが詰め込まれていた。

 座りっぱなしで尻は痛むし、双眼鏡を覗く目は疲れる。

 決意というのは何日も持続しないもので、自問自答の時間が長ければ長いほど、なぜ自分が九十九女王を襲わなければならないのか考えてしまうのだった。


 床に置いていた端末が振動する。

「はい」

箱守(はこもり)です」

「これはこれは、坊ちゃん。お久しぶりです」

 嫌味ではない。誰とも接触せずに一人で生活していると時間の経過がとても遅く感じるのだ。

「お待たせして申し訳ない、九十九の情報が手に入りました。三日後に遺伝子解析ラボに来ます」

「急ですね」

「ラボの都合でね。協力者が案内する予定の応接室は窓から見える位置にソファーがあります」

「なるほど、そこを狙えば良いのですな」

「はい。近くに建つビルの一室を借りました。今日中に部屋の場所と鍵をそちらへ届けさせます」

「わかりました。受け取ったら移動しますわ」

「よろしくお願いします。西窪さんだけが頼りです」

「任せてください坊ちゃん、先代の御恩は必ず返してみせますわい」

「期待してますよ」

 通話が切れた。




 期待?

 いったい何に期待しているんだ。

 九十九女王を殺害することなのか?

 それとも国民の未来なのか?

 ニュースでは九十九女王に対して好意的な意見ばかりだった。

 坊ちゃんが話すような危険人物には到底思えない。

 確かに彼女の所有する戦力は自衛隊の総力をもってしても(かな)わないだろう。

 だが敵対するような事態に陥るだろうか。

 もし彼女に野心があるのなら、日本はすでに戦火に包まれていると思うのだが……。

 しかし、だからと言って彼女の真意を確かめる(すべ)はわしにはない。

 もし彼女をやれるチャンスが今回限りだとして、失敗などしたら、私は罪人(つみびと)になるだろう。

 どうすれば……いったい、どうすればいいんだ……。




 西窪は誰にも相談することができず、自問自答を延々と続けるのだった。



△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



 古い日本家屋の和室。(たたみ)には温かい日光が差し込んでいた。

 座卓の上にはお茶漬けと筑前煮が置かれている。

 のんびりと一人で昼食を取る倉原佳代(くらはらかよ)

 ノミのモデルとなった藍川瑠子(あいかわるりこ)の伯母だ。


 TVには昼のニュースを伝える牧嶋絵里佳(まきしまえりか)が映っている。

「――次のニュースです。レイクリスの九十九女王と故人の藍川瑠子(あいかわるりこ)さんが同一人物ではないかと憶測が広がっています」

 倉原は溜息を漏らす。

 例の週刊誌が発売されてからニュースはこの話題でもちきりだ。取材の問い合わせも滝のように押し寄せ、心身ともに疲れていた。

 別のチャンネルへ変えようとリモコンに手を伸ばそうとすると。

光宗(みつむね)総理はこの件について、九十九女王からDNAを提供して頂ける運びとなり、近々、藍川さんの祖母のDNAと比較する話が決まったと発表されました」




 比較?

 母方の祖母かしら。

 弟が死んでからあちらの親族とは疎遠になってしまった。

 いたかどうか記憶にないわ。

 あ! まさか前に来た秘書が……。

 歯ブラシと櫛がなくなって、私もボケたかなって思ってたけど盗んだのかしら。

 ありえるわ、帰り際の様子が怪しかったもの。

 警察に!

 ……いや、やめておきましょう。

 もし九十九さんが瑠子(るりこ)なら嬉しいもの。

 生きていてくれた。それだけ知れれば十分よ。

 もし同一人物でないのなら大臣を訴えてやりましょう。

 世間を騒がせた罰よ。




 倉原はクスクスと愉快そうに笑う。

 取材ストレスで落ち込んでいた気分も少しは解消できたようだ。



△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



 牧嶋絵里佳(まきしまえりか)キャスターは夕食の食材を買い自宅マンションに戻って来た。

 一階のエントランスでスカートのポケットからルームキーを出していると。

「牧嶋さんですよね」と、男が声をかけてきた。

 彼女は芸能人なので一応マスクをして顔を隠している。

「違います」

「とぼけなくていいですよ。探偵の牛久保悟史(うしくぼさとし)、ご存知でしょ?」

「さあ」

「あいつから携帯の代金一億円を受け取ったはずだ」

 男は元シャニーグループの部長、久下竜介(ひさかりゅうすけ)だ。

「あの携帯があなたの物だとは調べがついていた」

「あなた、シャニーグループの社員なのね」

「会社にね、金を返さないといけないんだ。そうしないと俺は逮捕されてしまう。なあ、返してくれよ、頼むよ」

「嫌よ、あれは結婚資金なんだから。あなたもビジネスマンなら済んだ商談が清算できないことは知っているでしょ」

「ハハッ、もうビジネスマンじゃないんだ、俺ねクビになったんだ、部長だったのに今は無職さ」

「あらそう、私には関係ない話よ」

「関係あるだろうが!! あの携帯を俺に売れと命令したのはあんただろ、あそこから俺の人生は狂ったんだ。おまえが原因なんだよ!!」

 牛久保の案だと言えば彼に危害を加えるかもしれない。なので彼女は嘘をつくことにした。

「まさか携帯に一億払うとは思わないでしょ、あれは九十九女王をおびき出すための罠だったのよ。それなのにどこぞの無能が買うから計画がパ~だったわ」

「無能だとっ……」

「常識的に考えてそうでしょ。盗聴器が仕掛けられているからといって一方通行の通信機器に何の利用価値があるのよ。相手が聞いている補償なんて無いでしょ。買ってどうする気だったのかしらねえ~」

「おまえに~、おまえに俺の気持ちがわかるものか!」

「バカの考えがわかるわけないじゃない」

 プツンと何かが切れる音がする。

「きさま! きさま! きさま! きさまあぁぁ~~~~!!」

 激高し顔を真っ赤にした彼は、スーツの内ポケットから(さや)に入った包丁を取り出す。

 彼女は青くなり一歩下がる。

 包丁が抜かれ、(さや)が床に落ちる音と同時に久下は牧嶋めがけて突進した。

 彼女は恐怖で声も上げられず固く目を閉じる。


 ドンと何かが当たる音がした。

 恐る恐る目を開くと、そこには緑色の大きな背中が見えている。

 緑のヒーロースーツを着た京本宣裕(きょうもとのぶひろ)だ。

 包丁の刃を片手で掴んでいる。

 ヒーロースーツを切り裂くことなどできはしない。

 腰に装着しているガムテープ捕獲機のスイッチを押すと、まるでドローンのように久下の周囲を飛行し拘束してしまう。

 まるで芋虫のように床の上で暴れる久下。口にもガムテープが貼られているので何か叫んでいるが聞こえはしない。

 京本は腰に装着している催眠スプレーを取ると久下にひと吹きする。すると嘘のように静かになり寝てしまった。


 緊張の糸が途切れ、牧嶋は床にペタリと座り込んでしまう。

「大丈夫ですか? 怪我はありませんか?」

 振り返る緑の男。

 顔を上げる牧嶋。TV局を襲撃した犯人と同じデザインのマスクだと気付く。

「やっぱり、ね。彼女にお礼を伝えてください。助けて頂いてありがとうございました、って」

「何のことでしょう」

「いいですよ。秘密なのは理解できますから。安心してください誰にも言いません」

「……伝言です。『毎回助けられるとは限りません、無茶はしないでください』だそうです」 

「そうね……。今まで襲われた中で一番怖かったわ。やっぱり大金が絡むと人は狂暴になるのね」

「僕も同意見です。危険に身を投じる行動は避けて頂きたいですね」

「少し前に同じ台詞を吐いた警察官がいたわ、もちろん断ったけどね」

 牧嶋はじっと緑のスーツ男を観察する。

「その刑事ね、熊みたいな体格してたのよ、まさにあたなみたいな」

「し、知りませんよ!」

 牧嶋は笑いながらため息を漏らす。

「あなたねぇ、彼女の仲間ならもっと上手く嘘をつきなさいよ、それじゃあ自白しているのとかわらないわ」

 牧嶋が手を上げる。『引っ張って起こしてよ』というジェスチャーなのだが鈍い京本に伝わるはずがない。

「女性に手を差し伸べることもできないのかしら、この正義の味方さんは」

「あ! すみません」

 慌てて手を引き彼女を立たせた。

「あの時のは言い過ぎたわ。あとから凄く反省したの。あなたの立場も考えず勝手を言ってごめんなさい」

 彼女は京本の手を放さない。

「もう気にしていません。僕も芸能人の苦労を知りませんでした」

「ハハッ、ひっかかった~。言質頂きました! もう少し人を疑うってことを覚えなさいよね~」

「え~~っ!!」

 京本は慌てて手を放そうとするが彼女はがっしりと握っている。

「あなたのことも誰にも言わないから安心……そうね、これからも私を守ってくれるなら秘密にするわ」

「……伝言です。『了解しました。もし牧嶋さんから情報が漏れたら牛久保君との情事を音声付で公開します』だそうです」

「えっ!! あ、そうか~盗聴してるんだもの聞かれてるわよね。いいわ約束する」

 彼女は彼の手を放すと、

「じゃよろしくね、ボディーガードさん」と言い、彼の厚い胸板を軽く叩いたのだった。



△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



 牧嶋(まきしま)キャスターが久下に襲われる少し前。久崎はファーストフードのチキンを買い自宅マンションへ戻る途中だった。

『主殿たいへんじゃ』

『どうした?』

『牧嶋ちゃんの所へシャニーグループの久下があらわれたのじゃ』

『携帯絡みだよな』

『そうじゃろうな。念のため京本をマンションに向かわせといたぞ』

『間に合うのか?』

『新開発の亜空転移装置で一瞬じゃ』

『へぇ~。まあ牧嶋が安全ならいいよ。こっちも問題発生だ』

『なんじゃ?』

露守(つゆもり)がマンション前にいる。また後でな』


 久崎は何食わぬ顔でマンションへ入ろうとする。

「久崎さん、少しお話を聞かせてくれませんか」

 彼はびくっと驚いた演技をする。

「どなたですか?」

「前にお伺いさせて頂いた刑事ですが、勤務時間外なので警察手帳は持っていません」

「ああ、思い出しました。時間外なら職務質問ではないのですね」

「はい。あくまで個人的なお話をしに来ました」

「なら聞く義務はないわけだ。チキンが冷めてしまうと不味くなるんで失礼しますね」

 彼はマンションへ入ろうとする。

「待ってください。少しだけ、少しだけでいいんです!」

「つい先日もしつこい男が来たばかりで、手に追えず警察を呼んだのですよ。社会人として他人に迷惑をかける行為は(つつし)んだほうが良いと思いますけどね」

「知った事じゃないわ。私情が優先よ!」

 理性を失った人間ほど怖いものはない。

 なるべく嫌味を言い帰ってもらおうとしたが失敗した。

 彼は大きなため息をつくと、

「わかりました。(うち)に来ますか? 帰宅時間にマンション前で長話も邪魔になるでしょうから」

「はい、お願いします!」




 リビングのフローリングの上にじかに座る露守。クッションや座布団などの洒落た物はこの家にない。

 久崎がコーヒーを二つ運んでくる。

「何か飲みますか?」なんて気の利いた台詞はない。ついでに彼女の分も入れただけだ。

「ありがとうございます」

「俺の分のついでだ。チキン冷めると不味いんで食べますけど良いですよね」

「どうぞどうぞ」

 彼はビニール袋からチキンの入った紙の箱を出すと、テーブルの上に広げ食べ始めた。

「それで、話とは?」

 彼女はハンドバックから一枚の写真を取り出す。

「京本と言います。同僚の刑事でした。見覚えはありませんか?」

「さあ? 記憶にないですね」

「先日、レイクリスの輸送機に荷物を積み込む作業をニュースで見ました。そこには久崎さんも映っていました」

「ええ、天白商事が請け負った仕事ですから」

「そこでこの男性と会話しませんでしたか?」

「覚えてないですね、あの場では十人以上の作業員と話しましたから」

「黒いスーツにサングラスとマスクをした男性です」

「その人なら覚えていますが、サングラスとマスクですよ。同一人物かは判断できませんね」

「よく見てください! きっと彼が京本君なんです!」

 彼はチキンを紙ナプキンの上に置くと溜息を漏らす。

「仮に、同一人物だと断言したとして、あなたはどうするのです? レイクリスの関係者なら会えませんよ」

「久崎さんなら連絡がつくのではないですか?」

「何の冗談ですか、俺は知りませんよ」

「コンビニ前での半グレ退治。空き巣・銀行強盗捕縛。TV局襲撃犯。どれも九十九女王との関係を疑う事件ですが、私は久崎さんが裏で糸を引いていたと考えています」

「いったい何を根拠に」

「後輩の酒田(さかた)君と、ずっと被疑者のプロファイリングを続けていたんです。どの犯行も稚拙(ちせつ)。でも子供の犯行とは考えにくい。ドラマの犯人にいるそうなんです。精神が成長できず、ずっと童心のままの大人が。ピーター・パン・シンドロームと言うらしいです。症状の一例に、無理に大人びた言動をするのだそうです。久崎さん『社会人として』が口癖ですよね。あなたは社会人はこうあるべきだと常に自分に言い聞かせていた。違うかしら?」

「そっ、それは……」

「TV局の襲撃犯。鹿熊彩由美(かくまあゆみ)さんが病室から連れ出された時、会話の途中で違和感を覚えたんです。黒い姿の人物も『社会人として』と言っていました。あれは久崎さんだったのでしょ?」

「び、病室? いったい何の話ですか」

「ドラマでは幼少期の初恋が実らないのが原因で、精神の成長に障害が生じてしまう犯人が描かれているそうです。あなた、藍川瑠子(あいかわるりこ)との初恋をこじらせているんじゃないですか? 美しい記憶が忘れられず、ずっと心の奥にしまっていた。九十九女王には自分を博士と呼ばせていましたが、実はあなたが博士で彼女は作られた人形なのではないですか? 美しい彼女に触れられず、(けが)すことができず、彼女を女神にするために善行を行わせた。作ってしまったことへの贖罪(しょくざい)なのでしょう?」

「あなたはいったい何を?!」

「あくまで推論(すいろん)です。たぶん三割も一致したら良いほうじゃないかしら。でもね、警察の前でその動揺は致命的ですよ」

荒唐無稽(こうとうむけい)すぎて驚いているだけです!」

「私はあなたと九十九女王を捕まえたいわけじゃない。むしろ好きなだけ善行を続けたらいいとさえ思っています。けどね、京本君を巻き込んだのは許せない。彼の意志かもしれない。でもあなたは断るべきだった。あなたたちは動乱の中心なんですから、彼に危険が及ぶのは目に見えているわ」

「あなたの話は酷い妄想だ、その男性は恋人で、逃げられて心が傷ついているんだ。だから似た人を見かけて混乱してるんだよ」

「恋人なんて言う陳腐(ちんぷ)な関係じゃないわ。彼は戦友よ」

「その戦友から連絡が来ないのなら、あなたは相手から戦友と認められていないんだ」

「連絡を禁止されているんじゃないかしら。レイクリスは秘密の宝庫ですからね」

「空港で会話をしたのがお目当ての戦友なら、俺と会話をするのも禁止されていたはずだ。だがあの場では呑気に雑談をしたんだがな」

「そうですか。なら発言の自由はあるようね、良かった」

 彼は紙ナプキンの上に置いてあったチキンを持ち上げる。

「あ~もう、チキンが冷めてしまった」

「莫大な富を得られるでしょうに、チキン一つで騒ぐなんて滑稽(こっけい)だわ」

「あなたもお腹がすいたでしょう、ぶぶ漬けでも食べますか?」

「……長居したようね。京本君に連絡をくれるよう伝言お願いできるかしら」

「妄想なら夢の中でどうぞ」

 露守は何か言いたげな表情をしたが、ぐっと我慢する。

「時間を割いてくれてありがとう」

 軽く会釈をし、彼女は帰っていった。

 テーブルの上には、一口も飲まれず冷めてしまったコーヒーが残されていた。


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