反抗期
「久崎さん、これ間違えてますよ」
そう声をかけたのは経理の梅井亜弥だ。
交通費の清算書をぴらぴらと振りながら口を尖らせている。
「あ、ああごめん、すぐに直すよ」
彼女から伝票を受け取り訂正している。
その姿をじっと見つめる梅井は、小井戸沙来の三年先輩になる。
小井戸が入社するまでは彼女が天白商事のヒロインだった。しかし小井戸の出現により彼女の地位は落ち過去の栄光として扱われるようになった。
小井戸が妹系だとすると梅井は姉系、どうしても保護欲をそそる妹系のほうに軍配が上がるのだ。
自分の知らないところで勝手に順位が付けられ、さらに敗者の烙印を押される。それを気にしないとは言えないぐらいのプライドが彼女にはあった。
へぇ~この人が久崎ね……。
小井戸が片思いしてるって聞いたからどれほどの男かとおもったけど、普通のオッサンじゃん。
こんなのが趣味なの?
他にも良い男が沢山いるのにバッカじゃない?
顔も普通、身長も普通、体格も普通、ファッションセンスも普通。
こんなバーゲン品ってくらい普通の男のどこが良いの?
もしかして小井戸しか気付いてない良さがあるとか?
ん~、ないない、どう見ても普通のオッサン。
見た目じゃわからない良さが……まさか、夜のテクニックが凄いのか!
初心な小井戸は初めての男がコイツで、未知のテクニックに嵌ったのかな。
あるあるだ~。
始めて見た生き物を親と勘違いするヒヨコと同じ。この男が最高と勘違いしちゃったんだ。
あの真面目で優等生の小井戸が堕ちるテクニックね……どれほどなんだろ~。
「――あの~梅井さん聞いてます?」
彼をじっと見つめたままよそ事を考えていた彼女は、呼ばれていることに気付いていなかった。
「へ?」
「だから、これで合ってますか、って」
慌てて伝票を受け取りチェックする。
「はい大丈夫です」
「息が荒いし、具合悪いなら帰宅したほうが良いと思うけど」
「ちょっと考え事をしてただけ。……ねぇ久崎さん、アナタ噂になってるわよ」
「俺が? どんな」
「小井戸さんと交際してるって」
「それはデマだよ、彼女の片思いだ」
「随分とハッキリ言うのね。社内恋愛は隠す人が多いのに」
「隠さなければいけないほど疚しいことじゃないだろう」
「へぇ~、見かけによらず男らしいじゃない。それとも小井戸さんに好かれて気持ちが大きくなってるのかな」
「それはどういう意味?」
「小井戸さんに好かれて久崎さんの株が上がっているのは知ってるでしょ。だから強気なのかなって」
「君のような他人の評価で生きている人にはそう感じるのか。面白いな」
「意味わかんない」
「有名人が紹介したから美味しい店のはず。フォロワー数が多いからこの人の言うことは正しい。綺麗な人が好きと言ってる、だからこの人は素敵だ。とかね、他人の評価を自分の価値観に置換していると、自分で判断できなくなるんだよ」
「私がバカだって言いたいの?」
「そうは思わないよ。ただ、他人に振り回されて可哀そうだとは思うけどね」
「私が……可哀そう?」
「小井戸さんの話を聞いてきたのは君が初めてなんだよ。アンタッチャブルな話だからね。それでも君は聞いてきた。それって彼女を強く意識してるからじゃないかな。君はとても素敵な外見をしている。おそらく彼女と比べられているんだろう。それはストレスになるよね。だから俺を蔑むことで相対的に彼女の株を下げようとした。違うかい?」
梅井は顔を赤くすると、
「あ、アンタに何がわかるって言うのよ!!」と叫び、久崎の脛を蹴り、部屋から出て行った。
「痛った~」
久崎が脛をさすっていると背後に立つ小井戸に、
「久崎さん、言い過ぎです。謝っておいたほうが良いですよ」と、言われてしまった。
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広さが野球場くらいある空き地を天白商事は借りていた。その中心には大型トラック三台ほどの大きさの隕石が一つ置かれていた。
仮設業者によって敷地の周囲には仮囲いが施工され関係者しか入れないようになっている。
既にマスコミが嗅ぎつけており、高い脚立を用意し仮囲いの上から中を撮影している。
もちろん隕石を搬入したのはアーガルだ。
上空にはマスコミのヘリが旋回しニュース番組で放送していた。
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官邸の総理執務室で光宗朋希総理大臣が成塚好邦官房長官の説明を聞いていた。
「――と、学術的にたいへん貴重な隕石を破壊するのは人類にとって損失だという意見。その貴重な資料を企業が好きにして良いわけがない政府の管轄下に置くべきだという意見。他には――」
「もう報告はいいです」と、総理は大きなため息をつき、
「どうしてこうも騒ぎが大きくなるんでしょうね」
「まあ、過去に例のない事態ですから致し方ないかと。総理も九十九女王に資源の輸出をお願いしたじゃありませんか」
「想定外でした。レイクリスで加工した金属や燃料を輸出するものだとばかり……」
「まさに丸投げですからね」
「大きな球でした。それも規格外の」
「めずらしい物ですと十キロで一億円の値が付く場合もあるとか」
「それが推定で三トンですか……天文学の教授たちが怒鳴り込んでくるのも頷けますね」
「ゾンビ映画のワンシーンのようでした。いつも冷静な教授たちが目を血走らせて襲い掛かってくるなど……夢に出て来そうです」
「あれだけの物を研究できる機会は一生に一度でしょうからね」
「科学の発展のために教授たちの要望も聞き入れたほうが良いと存じますが」
「天白商事から接収するとなると、いったいいくら補償しなければならないのか」
「予算審議が荒れますね。……いっそあの場所に隕石ミュージアムを建て観光地にしてはどうでしょうか」
「入場料や観光の副収入で収益は出るでしょう。しかし隕石そのものの価値に相当するだけの利益となると」
「数十年、いや数百年必要でしょうか。現実的ではありませんね。どうされますか総理」
総理は腕組みをし暫く考えると、
「政府は介入しません」
「九十九女王と会いたくないという理由じゃないですよね」
「心を読まないでください。介入はしませんが依頼は出します。隕石を切り出し希望者へ販売してもらいましょう。天白商事は天文学者に恩を売れ収益も出る。学者は研究できるし、政府としては売買益の税金で潤う」
「名案です。さっそく天白商事へ連絡を入れます」
成塚官房長官が退室すると、総理は痛む胃を押さえながら、
「このような騒動がまだ続くのでしょうか……早く退陣して後任に丸投げしたいですね」と、弱音を吐きつつ、胃薬を飲むのだった。
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隕石が搬入されたことで天白商事と九十九女王の商談が進行しているのは疑う余地がない。しかしスパイたちは尻尾を掴むどころか姿さえ見ていないのだ。スパイのクライアントたちは激しく怒り叱咤する。それはシャニーグループの久下竜介も同じだった。
杉沢秀一は天白商事から少し離れた路地で人目を気にしながら携帯で通話している。
「理由を聞こうか」
「弁明できませんし、する気もございません」
「開き直りかね?」
「仕掛けた盗聴器は全て外されました。それに九十九女王はあれから一度も来社しておりません。そのような状況でどうやって情報を入手すれば良いのですか」
「それを考えるのが君の仕事だろう」
「具体的な策もなく命令だけですか」
「なんだとっ!」
「知っていますか。他の企業は諜報部があり、ライバル企業の情報を入手する方法を常に模索しているのです。そんな連中と素人の私が互角に勝負できるわけありませんよ。責任を個人に押し付けるのではなく、組織として活動して頂けませんかね」
「この私に意見するのかね」
「計画が杜撰なんですよ。今まで誰一人として情報を掴めていない九十九女王に対して、その理由も解明しないまま、安易に人間だけを投入し何とかなるだろうという甘い期待。部長が用意したのは通販でも買える盗聴セット。それでどのような成果を期待しているのですか?」
「盗聴器を使い関係ある人物を割り出すくらい簡単だろう!」
「話を聞いていました? 盗聴器なんて玩具もう残っていませんよ」
「それは君の仕掛け方が悪いのだろう!」
「同梱されていた盗聴器発見器で、素人の私ですら見つけられるのに? 仕掛け方が悪い? 一度くらいご自分で試してみました?」
「私を愚弄するのかね!」
「ようやく気付きましたか。初めからそう言っているじゃありませんか」
「クビになる覚悟はできているようだな」
「その言葉、そのまま返しますよ」
「どういう意味だ」
「私を冷遇するのなら、部長がスパイ活動を命令したとマスコミにバラしますよ」
「証拠もないのにどうする気かね」
「アナタはアホですか、今までも、そしてこの通話も全て録音してるんですよ」
「なに?! ま、待ってくれ、いくら欲しいんだ?」
「その手には乗りません。要求したら脅迫罪になるくらい私でも知ってます」
「くそっ、要求は何だ」
「部長に具体策がないのなら黙って見ていてください。必ず情報は入手しますから」
「信用できるわけないだろう」
「なら別にいいですよ。私の失敗は上司であるアナタの失敗でもあるのです。社長はお怒りになるでしょうね」
「いいだろう、少しだけ待ってやる。成果が出ないときは覚えておけよ」
「ご随意に」
杉沢は震える手を押さえる。上司に反論したのは生まれて初めてだった。
初めは意見する気など無かった。だが例のスパイに上司も無能と罵られ、ふと考えたのだ。部長はそれほどできる人間ではないのかもしれないと。世渡りの旨さだけではないかと。
思い返すと部下を叱るだけの能無しだったと気付いたのだった。
シャニーグループにはもう戻れないだろう、なら天白商事に骨を埋めてもいいんじゃないかと彼は決心したのだった。
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ノミが姿を現さないことに業を煮やす男がまだいた。防衛大臣の箱守烈だ。
天白商事の近くに元自衛隊員の西窪隆志を待機させているが、高齢者の体には長期間の監視は心身共に辛い。なるべく早く彼を解放してやりたいがノミの動向が予測できない。
そこで箱守は自ら表に出ることでノミを誘い出そうと企むのだった。
週刊雑誌の越前明彦編集長は防衛省の庁舎内にある応接室で箱守と対談していた。
「越前さんの書かれた記事、読ませて頂いた。天白商事と九十九女王の関係、とても興味深い内容だ」
「大変恐縮です。ですが世間の反応は妄想の類だと馬鹿にする声ばかりで、歯がゆい思いをしております」
「確かに、二者の関係だけピックアップしていたら歯牙にもかけない記事だろう、しかし隕石プロジェクトをスクープしたことで信憑性が向上した」
「突撃取材の甲斐がありました」
「実はね、私も同じ考察をしていたのだ」
「ほぅ、それは嬉しいですね」
「あのような若い娘にロボットが作れるわけがない。必ず背後に企業が関係しているのだと、産業ロボット博覧会で初めて姿を見せた時から疑っていたのだ」
「六菱重工かシャニーグループが関与していると予想していましたが、まさか天白商事とは思いもよりませんでした」
「あまり有名ではなく、かつ海外とも取引のしやすい商社。隠れ蓑としては申し分ない」
「おそらく対外的な窓口として用意された会社で、技術開発は別の場所に存在しているのではないかと予想しております」
「ふむ同意見だ。ところで、九十九に関する噂なのだが、瓜二つの女性がいたという話は聞いたことがあるかね」
「もちろんです。ですが、そのような話を本誌に掲載しますとオカルト紙扱いされ他の記事の信憑性も疑われますからね。噂の出どころまでは調査しておりません」
「そこでだ、越前さんに依頼がある」
「と、言いますと?」
「九十九をマスコミの前に引きずり出して欲しいのだ」
「それができれば苦労しませんよ。私どももインタビューしたいのは山々ですが」
「手はある。まず九十九が瓜二つの女性と同一人物なのではないかと騒ぎを起こし疑う者を増やす。そして騒ぎを鎮静化させるにはDNA検査が必要だと誘導する」
「なるほど、九十九が話に乗りさえすれば検査時にインタビューができるわけですね」
「そうだ」
箱守は立ち上がると自分の机の上から封筒を取ってくると、
「これをやろう」と、封筒を越前に渡す。
「拝見します。――これは藍川瑠子と祖母の倉原佳代の情報。高校、大学の写真と事故死の経緯まで……。頂いて宜しいのですか?」
「かまわない。なんなら謝礼も用意しよう」
「それは結構です。代議士の先生にはお金を貰うのではなく恩を売るほうが大切ですから」
箱守はニヤリと笑うと、
「君とは良い関係が築けそうだな」と言い、握手を求め手を前に差し出す。
越前はその手を固く握り、
「こちらこそよろしくお願いいたします」と、作り笑顔で応えたのだった。
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潜水艦の脱衣場でお風呂に入る準備をするノミ。
ゆっくりと服を脱いでいく。
『主殿よ、小井戸ちゃんにつきまとう男の話は覚えておるかのう』
『ん? ああ、杉沢だっけ、それがどうした』
『まだ続けておるようじゃ』
『へぇ~』
『気にならんのか?』
『他人の恋路を邪魔するほど俺は無粋じゃないよ』
『当事者じゃろがい!』
『好意を持たれているのは知っているが交際しているわけじゃない、言わば他人だ』
『小井戸ちゃんが不憫でならんわい』
『ノミが原因で誘拐されそうなら俺は責任を感じるが、アプローチを受けているだけなら放置案件だよ』
『もし二人が付き合うことになっても良いのかね?』
『相思相愛なら同僚として祝福するよ』
『小井戸ちゃんの何が気に入らないんじゃ?』
『例えばだ、目の前に二百円のハムと、一万円のステーキが並べられている。殆どの人は高いステーキを選ぶだろう。だが俺は値段ではなく食べたいほうのハムを選ぶ』
『女性を肉に例えるのは最低じゃが、まぁ言いたいことはわかる。女性を選ぶ基準は美しさではないと言いたいのじゃな』
『その通りだ』
『じゃがな主殿よ、いつまで待ってもハムが目の前に現れないとは考えないのかね』
『ノミさんよ、それはステーキに失礼だろう。食べたくないのに次のメニューが来ないから選ぶなんて、妥協じゃないか』
『社会人は妥協しながら生きているもんじゃないかのう』
『まさかオマエから社会人論が出るとはな、確かにそうだが……』
『好き嫌いせず、まずは味見してみるが良い』
『おいおい、食品を例にした俺も悪いが、味見とか誤解を生むようなゲスな発言はやめろよな』
『言葉の通りじゃ、一晩抱いてやれ。何ならワシが練習相手をしてやるぞい』
『もう黙ってろ高級ラブドールが!!』




