拓人、覚醒の刻
拓人は基本、幼い頃から引っ込み思案で大人しい性格だった。
逞しい身体をしているのに喧嘩は苦手で、争いを嫌う穏やかな生活を好んでいた。
他人から嫌われるのが苦手で、頼まれ事をすると嫌とは言えない。
誰とも極力波風を立てずに、なるべく中立の立場を保つように心がけていた。
初恋の女の子は遠くから見つめるだけで、話しかける事も出来なかった。
電車で老人に席を譲ろうと思っても、妙に恥ずかしかったり、断られた時の対応が面倒だったりで、結局寝たふりをしてしまう。
中学の修学旅行では班員の希望を優先させて、自分の行きたい場所へ行けなかった。
そんな自分を嫌だと思うけれど、かといって今更性格を変える事も出来ない。
常にもどかしい痛みを心に抱えながら、そうやって拓人は生きてきた。
溶ける事のない情けなさと後悔の雪を、胸の奥へ常に降り積もらせながら。
だから拓人は正しい事も悪い事も、面倒そうな事には極力関わらないようにしてきた。
人生の中で幾つも分岐する枝道の内、楽そうな方、平坦そうな道ばかりを選んできた。
――しかし今、目の前で起きている現実が拓人の心を激しく揺さぶる。
闇朱も義乃も、自分と特別に親しい間柄という訳ではない。
しかし関わった時間と質など関係なしに、彼女達の事を心から案じている自分がいた。
己と歳の変わらぬ少女達が使命を背負い、真っ向から戦う姿は拓人の胸を強く打つ。
争いを嫌う性格の癖に、彼女達が力を尽くす姿は格好良くて、憧れてしまった。
何をどうしたいのか、具体的になんて分からない。
しかしそれでも、堪らなく何かがしたいと思った。
何もしないで怯えて、争いの外から「戦うのはやめろ」と言うしか出来ない自分は嫌だ。
一度完敗したにもかかわらず、折れぬ心で力を振るい、状況を逆転させた義乃の強さ。
既に疲れ切っていたというのに、今日が初めての実戦だったというのに、苺莉亜を逃がそうと頑張った闇朱の姿。
それらが拓人の目に焼き付いていて、心臓はどくどくと痛い位に脈を打つ。
俺も、力が欲しい。
俺も、誰かの力になりたい。
秤音と義乃、苺莉亜。この場に居る全員を助ける為に何かがしたい!
自分で決めて、自分から動きたい!
そう強く願った瞬間、拓人の胸元に紫色の光が浮かび上がった。
光は次第に色濃く鮮やかに、紋章のような形を成していく。
宝石のように神秘的で美しく、それでいて妖しさを秘めた強い光が心臓に宿る。
そんな感覚に支配された瞬間、拓人は全身へ漲る不思議な力を感じて。
雄叫びを上げると共に、力強い一歩を踏み出していた。
「はああああぁぁぁ!」
全身が声帯になって震えたみたいに、拓人はバカでかく叫び声を上げていた。
眼前に迫る黄金の奔流を、何も考えずに繰り出した全力の右拳で迎え撃つ。
すると拓人の拳から紫色のオーラが溢れ出て、衝突した瞬間に黄金の光を四方八方へ飛び散らせていく。
「な、なんて力……!?」
苺莉亜が感嘆の声を漏らし、拓人の広い背中を見つめた。
掠っただけで闇朱を気絶させる、義乃の強力な攻撃を。
真正面から拳一つで打ち砕く拓人の姿を、苺莉亜は瞬きするのも忘れて見入っていた。
「あああああ、……くぅ! ……何とかなりやが、れぇぇぇぇっっ!」
拓人はダメ押しとばかりに更に一歩を踏み出し、今度は左の拳も光の渦へ叩き込む。
喉が枯れそうな位に叫んだ瞬間、拳に凝縮された紫光が凄まじい衝撃波となって爆発した。
それは聖光を貫いて、義乃の手に握られた大剣へ直撃する。
「――う、ぁあああっ!?」
我が身に襲いかかる圧倒的なプレッシャーに、義乃は堪らず悲鳴を上げた。
膨大な力を具現化した大剣は、紫のオーラを受けた瞬間にあっさりと砕け散る。
神社の境内どころか、周囲の森をも呑み込んで広がる紫光の爆発。
衝撃から庇うように闇朱を抱き抱えながら、苺莉亜はぎゅっと瞼を閉じた。
「…………う、ン……」
どれ程の間、うずくまるようにして耐えていただろう。
衝撃波によって天空へ押し返されていた雨粒が、ざああぁぁ、と勢い良く降り注いだ。
激しい雨が石畳を打ち、細やかに跳ね返って地面の近くを霞ませていく。
苺莉亜が視線を辺りへ彷徨わせると、社の前に立つ黒い人影が瞳に入り込んだ。
影は自分の両手を見下ろして、呆然と立ち尽くしているように見える。
「……一体、何が……起きて……?」
影の主である義乃が、信じられないといった顔で声を漏らす。
怒りに我を忘れ、法具の力を全開放させた筈。
しかし打ち放った黄金の奔流は、具現化させた大剣ごと消滅させられてしまった。
こんな事は初めてで、地面の上にうつ伏せで倒れている拓人の姿を恐る恐る見つめた。
一体何が起きたのか。言葉にした疑問を、心の中でもう一度繰り返す。
紫色の光が拓人の身体から溢れ出して、それが全てを吹き飛ばした。
――理解はできるが、納得はできない。
しかもあれ程の威力だったのに、周囲の人や物に一切の被害を出していない事実も驚愕だ。
一方疑問を持っていたのは、苺莉亜も同じだ。
自分と闇朱を救った拓人の力に思い当たる節があるとすれば、たった一つしかない。
「……まさか、覚醒した……?」
不安と怖れが声色に混じり、湿った空気に乾いた呼気を漏らす。
濡れた石畳の上に倒れ伏して、ぴくりとも動かない拓人の身が妙に不気味だ。
苺莉亜は無事でいて欲しいと思う反面、そのまま倒れていて欲しいとも思ってしまう。
「でも……ここは退く、しか」
苺莉亜は両腕に抱いた闇朱の具合を気にした。衰弱した身体に、ザンザン降りの雨は毒だ。
魔人化もそろそろ限界にきている。解けてしまうのも時間の問題だろう。
力を無くした女の細腕では、高校生男子を一緒に抱えて逃走する事は不可能だ。
「……ごめんなさい」
哀しみを一匙まぶした面立ちで、苺莉亜が横たわる拓人に小さく告げた。
すると素早く闇朱を横抱きにし、鎮守の森の奥へ消えていった。
「――待っ……!」
気付いた義乃が制止の声を投げかけるも、時すでに遅し。
苺莉亜達の姿は無い。
限界を超えた力を使ってしまった為か、どっと重い疲労感が義乃を包み込んでいく。
苺莉亜達から受けたダメージも、まだ身体の芯に残っていた。
「不覚……ね」
怒りに我を忘れた事も、呆然として敵を逃がしてしまった事も。
冴えない表情で呟き、義乃は俯いた。
手首に巻き付けた銀色のチェーンが、雨に濡れた肌の上を冷たく滑る。
法具である片翼のペンダントは微かに温かい。
まるで頑張りすぎて熱を出してしまった子供のように。
「……ぁ、う……」
ふと。雨音に混じって義乃の耳に届く、低い呻き声。
全身ずぶ濡れの拓人が微かに指先を蠢かし、砂利を掴んでいる。
「…………麻宮……」
拓人の名前を呟きながら、義乃が傍に落ちていた竹刀を拾い上げる。
きびきびと素早かった動きも、今は疲れ切って緩慢な動作だ。
今すぐ座り込んでしまいたい衝動が、みしみしと義乃の背骨を軋ませる。
それを懸命にこらえながら、少女は一歩ずつ拓人へ近付いていった。
穏やかさが戻った境内に、その後の全てを紛らわせるように大粒の雨が降りしきっていた。




