義乃、乱心の刻
「……ふぅ、てこずらせてくれたわね。でもこれで、自慢の速い動きも出来ないでしょう?」
カツカツとヒールの音を響かせて義乃に近づくと、苺莉亜は半眼で見下ろした。
「はぁ、苺莉亜……さん。……私、そろ、そろ……」
「ああ、もういいわよ闇朱。……ご苦労様。お陰で助かったわ」
「はい、……いえ……」
ずっと後方に控えて苺莉亜の戦いをサポートしていた闇朱が、消耗しきった様子で地面に膝を突いた。
それと同時に、四方で浮かんでいた黒片も元通り闇朱の周りへ集まって来る。
どうやら複数の黒片を操るのには相当な精神力が必要らしく、闇朱の顔は少し青ざめていた。
「さぁて……それじゃあ、どう料理しようかしら」
苺莉亜は転がる義乃の白い頬を爪先でつつき、口端をくっと持ち上げる。
両手から伸びる長爪を交差させ、互いを擦り合せては不気味な音色を響かせていた。
「――ちょ、ちょっとタイム!」
これまで木の影に隠れて事態を見守っていた拓人が、慌てて苺莉亜の居る方へ駆けつけた。
「料理って、何をする心算ですか? もう勝負はついたんだから、やめましょう……よ」
「――ハァ? アナタ寝惚けてる? コイツは私達の敵なのよ。……半殺しにして、二度と盾突けない身体にさせなきゃ……」
恐る恐る提案した拓人の言葉を一蹴し、苺莉亜は爪の先を義乃へ向けた。
その赤い切っ先から庇うように、拓人はしゃがみ込んで義乃の身体を抱き起こす。
不気味な蛇のリングも一緒にだから、気味悪さに一瞬ドキリと躊躇したけど。
「敵って言っても、そこまでする事はないでしょっ? 俺とこの子は……その、友達なんだ!」
「ともだち~?」
「ああ、だからこれ以上酷い事はしないでくれ! ……でないと《夜光》の仲間にはなれない」
「……少年、自分が何を言ってるのか分かってる? ……私達の助けがなきゃ、《大星魔》に身体を乗っ取られるって教えたわよね? それでも良いのかしら?」
とっておきの切り札を切る苺莉亜の視線を、拓人は真正面から受け止めて睨み返した。
「そっちこそ良いんですか? 《大星魔》は普通の《星魔》と違って、覚醒したら世界規模の災厄を振り撒くんでしょ? ……それって世界のバランスを保ちたい《夜光》にとって、避けたい事態じゃないんですか?」
「……何を言い出すかと思えば。……それで脅している心算? この私を」
高校生ごときが自分を脅迫しようなんて甘いと、苺莉亜は鼻でせせら笑う。
しかし拓人は怯む事なく、言葉を続けた。
「それだけじゃない。……あなたは俺を仲間に勧誘する事で、《大星魔》の力も利用する心算なんじゃないですか?」
「……なんですって?」
拓人の台詞を耳にして、苺莉亜の表情から揶揄の色が消えた。
ぴくりと片方の眉を跳ね上げて、拓人の顔を見下ろす。
「だってそうでしょ? もしも《大星魔》を封印する事だけが目的なら、なんの力もない俺を勧誘する意味なんて無い。封じた後で、普通の生活に戻せばいいだけだ。……わざわざ秤音を使って告白とか、魅了の術とか。手の込んだ真似をする必要も無い」
「――麻宮君、それはっ……!」
ゆっくりと近づいてきた闇朱が、拓人の言葉を聞いて戸惑いの色を瞳に浮かべる。
「でもさっき秤音に聞いたんだ、魔人化の事を。力の一部を封じた《星魔》をわざと憑依させて、正気を保ったまま戦う力を得る方法を」
「……あんじゅ~?」
「すみません、苺莉亜さん……つい」
文句を言いたげなジト目で闇朱を見つめる苺莉亜が、軽い溜息を吐いた。
「つまり《夜光》は《大星魔》の力を持った俺を仲間に引き込んで、《聖血教会》に対して有利に立ちたい……違いますか?」
拓人の問いかけに対し、苺莉亜は眉間に皺を寄せ、闇朱は眉尻をへしょんと下げる。
どうやら拓人の考えは当たっているらしい。
「……意外だわ。図体がデカイだけで流されるままの、弱々しい草食系男子だと思ってたけど……結構頭も回るんだ?」
「オタク脳だから、こういうブッ飛んだ設定を把握するのは得意なんですよ」
「それで? 私達の仲間になる代わりに、そのオトモダチを見逃してくれって?」
「はい。……そっちにも都合はあるんでしょうけど、この通り。――お願いします!」
迷う事無く拓人はその場に土下座して、必死に喉から声を絞り出した。
「義乃の事だけじゃない。秤音もあなたも、結構消耗しているように見える。――これ以上、目の前で傷付く所なんて見たくないんだ。誰かの苦しむ顔なんて、見たくないんだ……オレ」
ぎゅっと指先で砂利を掴みながら、拓人は自分の想いを告げる。
――傍から見ている事しか出来なかった自分が情けなくて、歯痒くて。
知り合い同士が戦う姿を止めたくても、どうすれば良いのか分からなくて。
結局義乃がこうなってしまうまで、飛び出す事も出来なかった。
体格ばかりに恵まれて、肝心な時に怖気づいてしまう。
そんな己自身に対する悔しさを噛み締めながら、拓人は一生懸命に願っていった。
太陽は完全に海の彼方へ沈み、灰色がかった雲からぽつぽつと雨が降り始めてくる。
「……麻宮君……」
「……分かったわよ」
「えっ……?」
軽い溜息を漏らしつつ、苺莉亜がぽりぽりと頭を掻いた。聞き返すように拓人は顔を上げる。
同時に義乃を締め上げていた蛇輪が緩み、しゅるしゅると回転しながら苺莉亜の背中へ戻っていった。
「何だかヤル気も削がれたし、色々と面倒臭いし。いいわよ、見逃すわ、その子」
「あ、……ありがとう!」
「別にいいって。それにアナタのお願いを聞いてあげてって、闇朱も潤んだ目で私に訴えかけてきてるしー?」
「――め、苺莉亜さん!? 私、潤んだ目なんて別にしてませんてっ……!」
慌てた闇朱が首を横に振って否定を表すが、真っ赤になった顔が真実を雄弁に語っていた。
「それよりも、男が簡単に土下座なんてするもんじゃないわ」
「……はは、簡単にじゃないです。……心から頼みたいから、こうしただけで」
ふっと目元を緩ませながら、拓人は安堵の笑みを浮かべる。
その顔は降り注ぐ雨粒を受けながらも、穏やかに輝いていた。
「……ヘンな男。……まぁいいわ、それじゃお開きとしますか。魔人化も結構疲れるしねー」
「はい。私も初めての実戦で、疲れました」
くるりと踵を返す苺莉亜がコキコキ首を鳴らすと、闇朱が拓人を見て淡い微笑みを浮かべる。
その微笑みに目を和ませ、拓人は横たわる義乃の身体を抱き起こしていった。
「……おい。おい義乃、大丈夫か?」
軽く揺さぶりながら名前を呼ぶと、義乃は閉ざした瞼と睫毛を震わせ……。
――次の瞬間、カッと目を見開いて拓人の胸を突き飛ばす。
「うわっ!?」
尻餅をついた拓人を尻目に、義乃は落ちていた竹刀を素早く拾い、立ち上がった。
義乃の手首に巻き付いている片翼型のペンダントが、煌々と輝きを放ち始める。
気付いた闇朱と苺莉亜が振り向くと、黄金色の長剣が再び義乃の手に握られていた。
「――っ、そんな!?」
「ちっ、しぶとい!」
驚く闇朱と、すかさず臨戦態勢を取る苺莉亜。
しかし構えられた苺莉亜の赤い爪は、突然根元から折れて粉々に砕け散った。
「――なっ……きゃあぁぁっ!?」
驚愕の表情で舞い散る爪の破片を見つめる苺莉亜の全身から、途端に赤い血飛沫が迸る。
「め、苺莉亜さ――き、ああぁっ!?」
悲鳴を上げる苺莉亜に手を伸ばしかけた闇朱の身体も、突然真横に吹き飛ばされた。
黒片でガードをする暇もなく、訳も分からずに木の幹へ叩き付けられる。
……その間、ほんの数秒の出来事。何が起こったのかを理解出来ている者は、誰も居ない。
ただ一人、平井義乃を除いて。
「……はぁ、はぁ……。この汚らわしい魔人どもめ! よくも私に恥をかかせたなっ……!」
「よ、よしの! お前ッ……?」
黄金の剣を手にした義乃が、鬼神の如き気迫を放っている。
沈着冷静だった先程までの様子と、明らかに違う。
無様に地面へ這い蹲らされた屈辱に、義乃は我を忘れていた。
黄金色の光が剣だけでなく、義乃の全身までを包み込んでいる。夜の闇を否定するみたいに。
「貴様ら全て、正義の名の元に粛清してやるーっっ!」
両手に掴んだ長剣を高々と天に掲げ、義乃が叫んだ。
すると身体中から立ち上る黄金のオーラが炎のように揺れて、剣に収束していく。
義乃の激情に呼応するかのように、見る見る内に巨大化する黄金の大剣。
片刃から両刃に変化したシルエットが凄まじい威圧感を放ち、見ているだけで拓人の肌はビリビリと震え、焦げ付くような錯覚を覚えた。
「ま、まて! 義乃! もう戦いは止めよう! これ以上、傷つけ合う事は無いって!」
「ちぃっ! 何が『小夜啼鳥』よっ。ぶちキレた途端、これじゃあまるで『怪鳥』じゃない!」
神速の攻撃に少しも反応できないまま、鱗鎧や肌を切り裂かれた苺莉亜が吐き捨てる。
「あ、くっ……苺莉亜さん、逃げて下さい!」
「闇朱っ!?」
黒き翼を大きく羽ばたかせ、上空へ飛翔した闇朱が両手を眼下の義乃へ向けて突き出した。
そして周囲に浮いていた全ての黒片を分離させ、義乃に向かって矢のように次々と降り注がせる。
「同じ手を何度も……鬱陶しいぞおぉぉ!」
雨に混じって殺到してくる黒片に対し、ぎらりと目を光らせた義乃が大剣を構え、叫ぶ。
するとヘアゴムが弾け飛び、ばさりと散った義乃の黒髪が突如として赤茶色に染まった。
「焼滅しろおおぉおっ!」
洗練された剣技とは正反対の、ただ力任せに振り払う一撃を義乃は空へ向かって放った。
刹那、巨大な光の帯が空へ伸びて、降って来る黒片の全てを吹き飛ばす。
剣圧が巻き起こす風と聖なる光が渦を巻いて、そのまま闇朱の直ぐ側を掠めていった。
「きゃああああぁぁっっ!?」
直撃せずとも凄まじい威力に悲鳴を上げ、黄金の炎光に身を焼かれる闇朱。
曇り空を一瞬だけ晴らした光の柱が消えた後、翼を焦がした闇朱が地上へ落下してきた。
「秤音!」
「闇朱っ!」
受け止めようと走る拓人を追い越して、大きく跳ねた苺莉亜が闇朱を宙で抱き締める。
少女の魔人化は既に解けていて、苺莉亜の腕の中で気絶していた。
生気の乏しい肌があちこち汚れているが、幸い酷い火傷などはしていない様子だった。
「馬鹿……無茶するんじゃないっての、この子は……」
呼吸に合わせて上下する闇朱の胸を確認し、苺莉亜は安堵の溜息を吐いた。
「これでとどめだーっ!」
「――――!?」
息つく暇も無く、再び大剣を振り被る義乃。
恐るべき炎光の第二撃が、疲労の色が濃い苺莉亜と闇朱めがけて放たれた。
絶体絶命。苺莉亜の脳裏にそんなフレーズが浮かんだ、その瞬間。
「やめろおおおぉぉぉぉ!」
黄金の光が苺莉亜と闇朱を呑み込もうとした時。
二人の前に割り込んできた拓人の叫びを、苺莉亜は聞いた。




