畏敬
第二十一話 畏敬
しばらく呆然と教会を見回していた一行は、
ようやく外へ出た。
だが、
誰もすぐには口を開けなかった。
まだ余韻が残っている顔だった。
……一人を除いて。
レアだけは、
有名な観光地を見て回った後のような顔をしていた。
感嘆の声を漏らし続けるトリーを見て、
小さく笑うだけだった。
一行は再び司祭の後を追って歩き始めた。
次の目的地は東教会だという。
そこへ続く道には、
長い屋台通りが広がっていた。
あちこちから煙が立ち上り、
焼ける肉の匂いと甘い香りが混ざり合っている。
商人たちは声を張り上げ、
客を呼び込んでいた。
大勢の人々が屋台の間を絶えず行き交っている。
トリーは何度も辺りを見回した。
「うわ……
すごい匂いですね」
司祭はそんなトリーを横目で見た。
そして懐から硬貨を取り出す。
チャリン。
一人ずつ硬貨を渡しながら言った。
「好きな物を一つ買ってこい」
トリーは硬貨を受け取った瞬間、
顔を輝かせた。
司祭は人差し指を立てる。
「遠くへ行くな。
この辺りで買え」
「はいはい!
やったー!」
トリーはそのまま屋台へ駆け出していった。
ベルは両手で丁寧に硬貨を受け取る。
そして深く頭を下げた。
「あ、ありがとうございます……」
そう言うと、
小走りでトリーの後を追いかけていく。
司祭はエリオンにも硬貨を差し出した。
「……俺は大丈夫です」
司祭は聞こえなかったふりをして、
そのまま押し付ける。
「いいから受け取れ」
「……いや、
本当に……」
「受け取れ」
短く言うと、
司祭は視線を逸らした。
エリオンは困った顔で硬貨を見下ろした。
元々、
食事以外で何かを買って食べる習慣はない。
少し悩んだ後、
レアへ視線を向けた。
レアはすぐに気付いて笑う。
「何だよ。
私にでも奢るつもりか?」
エリオンは硬貨とレアを見比べた。
そして小さく頷く。
「……何か食べたい物あります?」
レアは答えずに踵を返した。
そして通りの端にある串焼き屋へ向かう。
エリオンもその後を追った。
「いらっしゃい!
何にしますか――」
屋台の主人が元気よく声を上げた。
レアは並んだ串を一通り眺める。
そして言った。
「焼き置きじゃなくて、
今焼いたやつをくれ」
主人は一瞬だけ困った顔をした。
「え?
あ、でもこちらに焼いてある物が……」
レアは少し不機嫌そうに答える。
「時間が経ったのは美味くないだろ。
嫌なら他へ行く」
エリオンはレアと主人を交互に見た。
主人は少しだけ迷った。
やがて小さくため息をつく。
「……分かりました」
結局、
新しい串を焼き始める。
ジュウッという音とともに、
濃厚な肉の香りが立ち上った。
レアは店主を気にしているエリオンを見て、
小さく笑った。
「そういう生き方してると損するぞ」
エリオンは気まずそうに咳払いをした。
しばらくして。
レアは焼きたての串を受け取った。
そして一口かじる。
そのまま残りをエリオンへ差し出した。
「ほら」
エリオンは戸惑った。
「そんなに腹減ってないんですけど……」
レアは無理やり串を握らせる。
そして笑った。
「一人じゃ多いんだよ」
エリオンはしばらく串を見つめる。
やがて小さく笑った。
「……その台詞、
前にも聞いた気がします」
レアは肩を竦めた。
その様子を見ていた司祭が、
小さく微笑む。
一行は再び歩き出した。
やがて東教会へ辿り着く。
外見だけなら、
西教会との違いはほとんどなかった。
高く伸びる尖塔。
白い石造りの外壁。
太陽の紋章が刻まれたステンドグラス。
トリーは首を傾げた。
「何だ。
西教会と同じじゃないですか」
ベルも小さく呟く。
「……そうですね」
司祭はそんな二人を見て笑った。
「入れば分かる」
レアも肩を竦める。
「入ればな」
エリオンはもう一度東教会を見上げた。
外から見れば、
本当に違いは見えなかった。
司祭はそれ以上説明しない。
「行こう」
そう言って教会の中へ入っていく。
一行もその後を追った。
そして――
全員が足を止めた。
「……え?」
トリーの間の抜けた声が響く。
静かだった。
あまりにも静かだった。
足音さえ大きく響く。
西教会のような豪華な聖画はない。
天井を埋め尽くす絵もない。
柱ごとの彫像もない。
広く高い空間には、
冷たい灰色の石壁だけが続いていた。
中央通路の両側に並ぶ木製の長椅子。
あるのはそれだけだった。
だが――
不思議と息苦しかった。
人々は誰もが息を潜めている。
目を閉じる者。
手を組んで祈る者。
衣擦れの音さえ聞こえるほどだった。
トリーは思わず声を潜めた。
「……何か静かですね」
司祭はゆっくりと中を見回す。
「……そろそろ始まるな」
そう言って長椅子の一角へ向かった。
一行も静かに腰を下ろした。
しばらくして――
カーン。
遠くで鐘が鳴る。
静寂だった教会がわずかに揺れた。
人々の視線が一斉に入口へ向く。
そして――
カチャリ。
遠くで金属音が響いた。
ベルの肩がぴくりと震える。
扉がゆっくり開いた。
白い祭服を着た者たちが入ってくる。
チリン。
チリン。
歩くたびに、
香炉が澄んだ音を鳴らした。
香の匂いが静かに広がる。
その後ろから、
数多くの司祭たちが整然と続いていた。
乱れのない歩調。
揃った間隔。
そして――
行列の両脇には、
甲冑姿の騎士たち。
ベルの顔が強張った。
トリーも息を呑む。
「……聖騎士?」
見覚えのある鎧だった。
数日前に見たものとよく似ている。
司祭の表情も一瞬だけ固くなる。
だが。
すぐに双子の肩へ手を置いた。
「心配するな」
低い声だった。
「本物の聖騎士ではない。
儀礼用の騎士だ」
ベルがほっと息を吐く。
「……よかった」
トリーも胸を撫で下ろした。
「びっくりした……」
行列はゆっくり中央通路を進んでいく。
小さな鐘の音。
漂う香。
そして――
低く重いオルガンの音が響き始めた。
その瞬間。
人々が自然に歌い始める。
誰かが合図したわけではない。
だが最初から決まっていたかのように、
声が重なった。
重厚な歌声が教会全体を満たしていく。
エリオンは静かに息を呑んだ。
豪華な装飾はない。
それなのに――
目の前の光景は人を圧倒していた。
何百人もの人間が、
同じ動きをし、
同じ歌を歌い、
同じ沈黙を守る。
その光景は異様なほど神聖だった。
やがて先頭の人物が壇上へ上がる。
後ろに続いていた司祭たちが左右へ分かれた。
中央通路に残った騎士たちが、
同時に剣を抜く。
ガキン。
金属音が重なる。
彼らは両手で柄を握り、
剣先を床へ立てた。
それ以降は微動だにしない。
まるで彫像だった。
オルガンの音がさらに大きくなる。
壇上の人物が口を開いた。
低く落ち着いた声が響き渡る。
人々は息を潜め、
その言葉に耳を傾けていた。
エリオンも。
トリーも。
ベルも。
誰一人として口を開かない。
そして――
司祭もまた黙っていた。
視線はずっと壇上へ向けられている。
その表情には、
言葉にできない感情が静かに浮かんでいた。
しばらくして。
鐘がもう一度鳴った。
行列がゆっくり動き出す。
騎士たちは剣を納めた。
壇上の人物を先頭に、
彼らは中央通路を歩いていく。
カチャリ。
扉が閉まった。
その瞬間だった。
先ほどまでの厳粛な空気が嘘のように消えた。
あちこちで話し声が上がる。
人々は慣れた様子で席を立った。
笑う者。
欠伸をする者。
冗談を言い合う者までいる。
先ほどまでの光景が夢のようだった。
トリーはまだ呆然としている。
ベルも中央通路を見つめたままだ。
そして。
司祭でさえ、
まだ壇上から視線を外せずにいた。
しばらく誰も言葉を発しなかった。
レアはそんな一行を見回す。
そして小さく笑った。
「……そろそろ戻って来いよ」
そう言って先に立ち上がる。
「ここに根を下ろすつもりじゃないなら行くぞ」
トリーが慌てて立ち上がった。
「あ、はい!」
ベルも慌てて後に続く。
レアは先に出口へ向かった。
俺たちも慌ててその後を追い、
教会を後にした。




