対面②
第十七話 対面②
しばらくの間、
誰も口を開けなかった。
湖の上に浮かんでいた幻影たちも、
いつの間にかゆっくりと薄れていく。
司祭は静かに視線を逸らした。
湖の向こう側。
森のさらに奥には、
懺悔の祈りを捧げる場所がある。
司祭はしばらくそちらを見つめていた。
「……本当なら、
あちらにも立ち寄るつもりだったのだが」
言葉を濁す。
レアは相変わらず冷えた表情のまま、
湖から目を背けていた。
司祭は少し沈黙した。
そして小さく息を吐く。
「……今日はやめておこう」
それ以上は何も言わず、
踵を返した。
鏡の森を抜けると、
あれほど鬱蒼としていた景色が嘘のように開けた。
広く踏み固められた巡礼路。
その向こうには、
草原と緩やかな丘がどこまでも続いている。
暖かな陽光。
風が草原をゆっくりと撫でていった。
一行はその中を歩いていた。
だが。
誰も先に口を開こうとはしない。
皆、
何となくレアの様子を窺っていた。
レアはそんな視線を何度か受けると、
ついに額を押さえてため息を吐いた。
「……悪い」
小さな声だった。
「大人げなかったな」
少し躊躇う。
それから。
一番気まずそうにしていたベルへ手を伸ばした。
そっと。
乱れた前髪を整えてやる。
ベルが目を瞬かせた。
レアは視線を逸らしたまま呟く。
「はぁ……」
短く息を吐く。
「ああいうのが出るだろうとは思ってた」
少し舌打ちする。
「でも、
実際に見ると想像以上に気分が悪い」
ベルは小さく首を振った。
「……大丈夫です」
だが。
声は少しだけ弱々しかった。
司祭はそんなレアを見つめ、
ゆっくり頷く。
「誰にでも、
向き合いたくないものはある」
穏やかな声だった。
「理解できる」
エリオンも静かに頷いた。
レアは鼻で小さく笑う。
「……だろうな」
それきり、
また静かになった。
誰も何も言わない。
風だけが草原を渡っていく。
草がさらさらと揺れていた。
どれほど歩いただろうか。
先頭を歩いていたレアが、
突然手を上げた。
全員の足が止まる。
周囲が一瞬で静まり返った。
レアの視線が、
草原と街道脇の森を素早く走る。
「……私の傍を離れるな」
声が低くなる。
「何かいる」
言い終わるより早く――
小さな影が茂みから飛び出した。
「きゃあっ!?」
ゴブリンだった。
棍棒を振り回しながら突っ込んでくる。
だが――
ドゴッ!
レアの蹴りが先に届いた。
ゴブリンの身体が大きく吹き飛ぶ。
地面を転がりながら悲鳴を上げた。
同時に。
レアは剣を抜いた。
シャリン。
短く鋭い金属音が響く。
そしてその瞬間。
街道脇の茂みが次々と揺れ始めた。
三匹。
先ほどの一匹を合わせれば四匹。
レアの視線が素早く動く。
まだ潜んでいる敵がいないか探しているのだ。
腰を落とす。
その時。
ゴブリンの一匹が奇声を上げながら飛び込んできた。
ザシュッ。
ゴブリンの身体が腰から裂けた。
血が舞う。
同時に。
背後から別の一匹が襲いかかる。
レアは身体を起こしながら、
そのまま後ろ蹴りを叩き込んだ。
ドゴッ!
ゴブリンの身体が草むらへ転がる。
だが。
残る二匹は怯まなかった。
牙を見せながら、
気味の悪い笑い声を上げている。
ベルの顔が真っ青になる。
司祭はいつの間にか短剣を抜いていた。
静かにベルの前へ立つ。
その時。
トリーが飛び出そうとした。
だが。
エリオンが慌てて抱き止める。
「離してください!」
「大人しくしてろ!」
エリオンの声が思わず荒くなった。
「今は出る場面じゃない!」
トリーは悔しそうに振り返る。
「俺だってできるのに……」
「駄目だ!」
エリオンはさらに強く押さえ込んだ。
「今は大人しくしてろ!」
トリーはとうとう諦め、
唇を尖らせる。
その時だった。
ドドドドド――
どこからか馬の蹄の音が響いた。
凄まじい速度だった。
音が一気に近付いてくる。
草原の向こう。
土煙を巻き上げながら、
一頭の軍馬が駆けてきた。
そして――
ドォンッ!!
そのままゴブリンへ激突した。
さらにもう一匹。
紙切れのように吹き飛ばされる。
最後の一匹が悲鳴を上げ、
森へ向かって逃げ出した。
その瞬間。
馬上の人物が剣を引き抜く。
躊躇はなかった。
そのまま全力で投げ放つ。
ガッ!!
剣がゴブリンの背中を貫いた。
そのまま地面へ深々と突き刺さる。
静寂。
草原から音が消えた。
全員が現れた人物を見上げる。
巨大な鎧。
全身には太陽の紋章。
豪奢な装飾。
陽光を受けて鋭く輝いていた。
圧倒的な存在感。
その姿を見上げた司祭の目が、
一瞬だけ固まる。
「……聖騎士」




