第三章18『進撃の巨熊』
「君さぁ、よく僕のこと駄犬だのなんだの言うけどさぁ、そんな僕でも今回のことはどうかと思うなぁ」
「お前の返答も聞かずに勝手に魔法使ったのは悪かったよ、でもあの時はマジで緊急事態だったんだ」
「ふーん、しかも僕が来た時には全部終わった後だし、なんなのマジで?」
「だから悪かったって!お詫びにお前の好きなロイヤルドーベルのドッグフード買ってくるから、ね?」
ベッドの上で不機嫌そうに腕を組んで背を向けるマーチに、俺は両手を合わせて謝っていた。昨日はいろんな人に迷惑を掛けたからな、土曜日の今日はその埋め合わせだ。
「確かにあそこのドッグフードは好きだけど、そんなもので僕の機嫌は取れないよ?」
「くっ……じゃあどうすればいい?」
「んー……あっ、そうだ!前に約束したアレ!アレがいい!」
「えっ、何か約束したっけ?」
「ほら、今度ユウカのおっぱい揉ませてって言ったじゃん?」
「いやいや約束してないから!」
「へぇー、じゃあ二度と僕は君のこと許さないよ?一生グチグチ言い続けるよ?」
そう言ってニヤニヤするマーチに腹立たしさを感じながらも手は出せなかった。ていうかこいつ、実はもう大して気にしてないだろ!だがそれを言ったらまた面倒臭いことになるし……
「わ、わかった!でも一回だけだからな?」
「やったー!早く早く!」
「ほんとこのエロ犬は……アフターグロー、セットアップ」
仕方なくユウカに変身すると、さっきまで不機嫌だったマーチがとてもだらしない顔で俺の胸に飛びついてきた。
「おお、これはまた……若菜ちゃんと比べると小さいけど、やっぱりハリがあるね。こういうおっぱいも好きだよ僕は」
「もういいだろ、早く離れろよ」
「待って、まだ生で触った感触を――」
「それ以上やったら生ける蝋人形にしてやるからな?」
そう胸元のマーチを睨み付けると、流石に調子に乗り過ぎたと察したのか大人しくベッドに戻った。全く、人が下手に出るとすぐこれだからな、でも今日はお詫びをするためだからこれ以上は何も言わないでおこう。
お詫びも済んだし変身を解こうとした矢先、どこからか電子音が聞こえてきた。
「何の音だ?」
「あれ、この音ってまさか!」
マーチは慌てて画面を表示して前足を使って操作し始めた。それを横から覗き込んでみると、日本地図の一点に赤い丸が点滅していた。地図はさらに拡大されていき、正確な場所を表示した。
「やっぱり!」
「どうしたんだ?」
「出てきたんだよクマバクが!予想はしてたけどこんなに早く出てくるなんて!」
「とにかく出てきたんならやるしかないだろ、お前はペルソナに連絡しろ!俺は先に行ってなんとかしてみる!」
「そうだね、ルーチェにも連絡して――」
「待て、若菜さんには連絡しなくていい」
「なんでさ!三人で出動した方がアイツも簡単に倒せるんだよ?」
「若菜さんはやっと家族水入らずで過ごせるんだぞ?それなのにバクが出たから来てくれなんて言えるわけないだろ!いいから連絡するのはペルソナだけだ!」
「あっ、ちょっと夕斗!」
俺は窓を開けて空へと飛び出した。
今頃若菜さんは真田先生と幸せな一日を過ごしているだろう、その幸せを俺が奪うような真似だけは絶対にしたくない。そして、ルーチェにもクマバクが現れたことを悟られるわけにはいかない。そうなればきっと若菜さんは俺たちの元に来る。それを防ぐためにも、できるだけ早く倒すんだ!
飛行を続けてからしばらくして、後方からクレアが追いついてきた。モエナが見当たらないところを見るとマーチは連絡を入れていないようだ。
「先輩!」
「お待たせ、モエナちゃんだったかしら?あの子は来てないのね」
「はい、モエナちゃんはその……ちょっと大事な用事があって」
「そう……わかったわ」
「えっ、理由とか聞かないんですか?」
「何か訳ありみたいだったから。それともしつこく聞いてほしい?」
「いやいいです、お気遣い痛み入ります」
ほんと、こういう時は流石先輩だ。
「……そういえばこの間、友達に先輩と付き合ってるの?って聞かれました」
「な、なんでそれを今言うのよ!」
「あはは、すみません。それで俺はその友達に、ただの先輩後輩関係だって言ったんです」
「まあ、流石に魔法少女仲間なんて言えないものね」
「でもよく考えたら、俺にとって先輩はただの先輩なんかじゃないって思ったんです」
「え?」
驚くクレアに向けて、俺は安西夕斗として笑みを返した。
「俺にとって先輩は、安心して背中を預けられる、言わば相棒なんだって思います」
「安西くん…………ふふっ、確かにそうかもね」
「……それじゃあ、行くよクレアちゃん!」
「うむ!私に付いてくるがいい、我が盟友よ!」
俺たちは並列になって速度を上げた。今の二人ならどんな敵にも負けない、そんな確信のない自信に満ち溢れている。これがフラグになるかも俺たち次第だな。
「むっ、見えてきたぞ!」
クレアが示す先に目を凝らすと、山よりも遥かに大きいヒグマがゆっくりと足を上げていた。もしかして移動しようとしているのか?だとしたら方向的にもマズイ、アイツと俺たちは互いに正面を向いて対面している。それはつまり、奴は東京の東部に向かっているということだ。
「アイツを街に出すわけにはいない!クレアちゃん!」
「任せろ!」
まずは進行を止めるために、俺たちは二手に分かれた。クレアはバクの顔の高さで停止して杖を構え、俺は膝の高さで杖を構えた。
「紅に染まりし断罪の劍よ、数多の星と成りて審判を下せ――スカーレット・ブレードダスト!」
数えるのも億劫になるほど小さな赤い剣たちがクレアの後方に出現し、バクの顔目掛けて一斉に射出された。的が大きいこともあり、剣は全てクマバクに当たった。だが、上がった足は止まることなくゆっくりと降りていく。
「くっ、ならばこれはどうだ!黒き焔は魂を裁く煉獄の使徒。天上へと突き貫け、魔者の槍――ブラックバーン・ランス!」
足元から現れた黒い炎の塔がバクの巨体を包み込む。魔法は魔力を多く消費することで、威力や範囲などを増強することができる、この炎の柱はコマバクノイドに使った時の一〇倍以上の大きさだ。先輩は相当魔力を使ってるだろう。
それがわかっているからこそ、ゾッとする。
黒い炎から足を出しても尚、クマバクは進行を続けているのが。
「馬鹿な……今の魔法は欲望の化身を葬るには十分の威力があるはずなのだぞ!」
「今度は私が……!アクション・シンクロン!」
魔法陣を展開し、光の輪をバクに向かって飛ばす。
リングは問題なくクマバクに当たり、俺と奴の腹回りを囲み込む。これでアイツの動きを――
「ッ!!!?」
まるで大きな地震が起きたような衝撃が全身に走ったと思った瞬間、光の輪が粉々に砕け、クマバクの足が再び動き出した。
「ユウカ!大丈夫か?」
「大丈夫、でも今のは……」
「恐ラクマスターハ、バクノ抵抗ニ耐エ切レナカッタノカト」
「どういうこと?」
「同調魔法ハ相手ノ行動ヲ自分ニ合ワセルコトガデキマス。デスガ、相手ハソレニ対シテ抵抗スルコトガデキマス。相手ノ抵抗ニ発動者ガ耐エ切レナカッタ場合、同調魔法ハ解除サレマス」
「なるほど、そういうことか」
俺がアイツを止めようとする行動よりも、向こうの歩こうとする意志が強かったってことか。だとしたらこいつ、どれだけ食欲旺盛なんだよ。
「だがマズいぞ、同調魔法で動きを止められなかったとなれば、奴の進行を封じる術はもうない」
「おまけに、あれだけの魔力が籠った魔法を食らってもピンピンしてる」
俺とクレアはゆっくりと足を上げるクマバクを見上げながら、どう動くべきかを考えた。だが、どう考えても奴の進行を食い止める方法が見当たらない。
「勝てるのか、こいつに……!」




