12 日の出の兆し
翌朝は夜明け前に目が覚めた。
夜遅くに屋根の上で小動物が走りまわる音が聞こえていたけど、今は何も聞こえない。
完全な静寂、そして圧倒的な孤独――ちょっと気持ちいい。
(お腹すいたなあ。)
外に出たら、うっすらと明るくなってきていた。
とりあえず湧水の水をガブガブ飲む。
ついでに顔も洗う。
水が冷たくて、一気に目が覚める。
(あ、そうだ。)
僕は屋上に上がってみた。
江田君が「東向きか?」と言っていたのを思い出したからだ。
明け方に気温が下がる今の時期は、空気が澄んでいて、遠くまで見渡せる。
遥かかなたに街の灯りが見えるのは、たぶん間崎市街だ。
眼下の街道を走る車のヘッドライトも鮮明に見えた。
薄曇りの空が、明るくなってきた。
レモン色から橙色に、東の空の下の方が光り始める。
(日の出かぁ…)
夜はここで夜景を眺めたり、星空を見上げて寝転んだりするけど、早朝に上がってきたのは初めてだ。
地表近くの橙色が、雲を伝わるように広がっていく。
雲の厚い部分は暗い灰色、薄い部分は赤橙色、さらに薄いところは黄色。
息を呑むほど美しい色彩だ。
(江田君だったらきれいに撮るんだろうなあ)
せめてスマホで撮って江田君に送ってあげられればよかったんだけど、スマホがない。
夏の家は電波が届かないから、麓の自宅に置いてきたのだ。
(言葉じゃ伝わらないしね。)
ぼんやりと眺めていたら、朝日が昇ってきて、赤や橙色は青っぽい灰色に変わっていった。
(さて、と。)
今日は高桐さんと約束した日曜日だ。
僕は家の中に戻って、今日持っていくものを再確認。
引出しのレールにする棒、割れた木ダボの代替部品。
あとは紙ヤスリと、木工などの作業をする時に使う小さな木槌も持っていくことにした。
竹炭の欠片たちもビニール袋に入れる。
教室用の竹炭とカンナ屑は昨日、江田君が快く引き受けてくれた。
西野君に借りたICレコーダーは忘れないうちに通学鞄に戻しておこう。
昨夜、紙ヤスリをかけたコースターも明日持っていくことにした。
もともと今日の朝食は麓の自宅で食べるつもりでいたから、荷物を持って山を下りる。
林業の家の朝は早い。
祖母ちゃんはもう朝食の用意をしていた。
「あら、早かったわね。」
「うん、お腹がすいて目が覚めちゃったんだ。」
「じゃあ、先に食べる?」
「うん、助かるー。」
豆腐とタマネギの味噌汁、ルッコラとクレソンのサラダ、イワナの塩焼き。
(うーん…)
やっぱり祖母ちゃんの作る塩焼きは美味い。
この絶妙な塩加減は経験のなせる技なのだろう。
(そういえば、誰かに料理を振る舞うのは昨日が初めてだったな。)
夏の家での一人メシしか作ったことがなかった。
(喜んでもらえてよかった。というか、嬉しかったな。)
納豆に漬物、温かいご飯。
ご飯をおかわりして、二膳目を食べていたら母さんも起きてきた。
「日曜日に珍しいわね。」
たしかに日曜の朝は夏の家にいることが多い。
「今日はあとで出かけるんだ。」
「まあ、それはさらに珍しい。」
週末に出掛ける、ということはほとんどない。
バスも平日しか運行していないし。
「間崎の友達の家に行くんだ。」
あの高桐さんを友達なんて言うのはおこがましいけど、家族に言うだけならいいだろう。
「私も間崎の事務所に行く用があるけど、何時に行くの?」
「お昼過ぎくらいだね。」
「私は十時に家を出るけど乗っていく?」
「あ、うん。」
駅まで歩くと一時間以上はかかるから、僕も十時半には出ようと思っていた。
母さんの車で行けるなら多少時間が余ったとしてもありがたい。
高桐さんには「お昼過ぎに」と言ったから、念のため「今日十三時頃伺っていい?」とメッセージを送っておいた。
食事の後はまったり過ごすつもりだったけど、土壇場になって週末の外出に着る服がないことに気がついたり、いくらかマシなTシャツを引っ張り出して祖母ちゃんにアイロンかけてもらったりしていたら時間はあっという間に過ぎた。
母さんに呼ばれて、急いで助手席に乗りこんだら
「友達の家に行くんだって?」
と、後ろの席から声がして、腰が浮くほど驚いた。
「そんなに驚かなくてもいいじゃない。」
妹の梨乃だった。
「本屋さんと文房具屋さんと百円ショップに行くんだ。」
聞いてもいないことを自分で言うのが梨乃のうるさいところでもあり、すごいところでもある。
「へえ。」
そういえば僕も百円ショップに寄らなくてはいけないのだった。
高桐さんに贈呈する竹炭を入れる布袋が必要なのだ。
「で、お兄ちゃんはお友達の家に何しに行くの?」
「ああ、通販で買った家具の組み立てを手伝いに行くんだよ。」
「えー、女の子の家に行くんだ!」
「なんでだよ。」
まあ、たしかにそうなのだけど。
「だって高校生男子だったら家具くらい自分で組み立てられるでしょ?」
なるほど。
高桐さんの家を訪問する正当な理由があることで安心していたけど、そういう風には考えていなかった。
「まあね…。」
嘘や言いわけを考える時間すらなかった。
「しかも、一人暮らしなんだぁ。」
考えてみたらそれもそうだ。
家族に手伝ってもらえるならクラス最下層の男子に頼む必要などない。
「……。」
「あー、黙っちゃった、ふーん、そうなんだ。」
梨乃、中一のくせに妙に鋭い。
「梨乃、やめなさい。」
運転している母さんが梨乃をたしなめる。
そうだぞ、相手が兄とはいえ、妙な詮索をするのは行儀が悪いぞ。
「佑登は、…そうね、頼られるというのも大事だけど、頼ることも覚えていきなさいね。」
母さんの言うことはときどき、すごく重くて迫力がある。
「う、うん。」
そうなのだ。
林業という仕事は一家でなんとかできるようなものじゃない。
親戚もだけど、会社の従業員やさまざまな人に上手に頼ることができなければ成り立たない。
母さんは市街地や国道を避ける裏道をよく知っていて、日曜日の渋滞に巻きこまれることもなく、車は実にスムーズに間崎駅前に到着した。
「お兄ちゃんはこれからどうするの?時間がまだあるんでしょう?」
「ああ、買い物があるからまずそれだな。」
「ふーん、どこに行くの?」
「え、ああ…百円ショップ…」
梨乃が「じゃあ一緒に行こう」と言い出したのは必然だった。
なんだかんだと梨乃の買い物にも付き合わされ、ようやく解放されたのは十二時半過ぎだった。
高桐さんからは「はい、よろしくお願いします」と返信が来ていて、約束の時間が三十分後に迫った。
僕は大きなタブノキのある広場で竹炭を小さな布袋に移す作業をして、訪問の準備を整えた。
そして十分前になったので、マンションの入口でインターホンのボタンを押した。
「はい」
「檜山です。」
「あ…檜山君、十階まで上がってきてもらっていいですか?」
「うん、わかった。」
自動ドアが開いたので、エレベーターに乗り、十階で降りる。
高桐さんの姿はなかったので、そのまま部屋の前まで行き、もう一度呼び鈴のボタンを押した。




