第一話 外の世界へ
俺には、誰にも言えない趣味がある。
それは──
「俺、今日も可愛い」
鏡の中にいるのは、どこからどう見ても可憐な女の子だった。
新調したばかりのフリルのついたパステルカラーのブラウスに、ふんわりと広がるフレアスカート。
入念に調合したファンデーションは我ながら完璧な仕上がりで、毛穴ひとつ見当たらない。アイラインは目尻をほんの少し跳ね上げ、うるんだような瞳を演出してみた。
ウィッグの髪の毛一本にいたるまで、ミリ単位の妥協もなく調整されている。
スマートフォンを掲げ、部屋の照明が一番きれいに当たる角度を探す。
「ん、この角度がベストだな……」
カシャ、カシャと、静かな部屋にシャッター音が小気味よく響く。
小首を傾げてみたり、少しはにかんだような笑みを浮かべてみたり。画面の中に映し出される「理想の美少女」の姿に、胸の奥から湧き上がるような充実感が満ちていく。
撮ったばかりの写真を指先でスクロールしながら、一枚一枚チェックする。どれもこれも、普段の冴えない男子大学生としての自分からは想像もつかないほど輝いていた。
この変身のクオリティを高めていくプロセスと、完成した瞬間の達成感こそが、何にも代えがたい至福の時間だった。
「……よし、完璧。今日も最高に可愛いわ、俺」
満足感に浸りながら何十枚目かの自撮りを保存したその時、ふと、窓の外から吹き込んできた心地よい風がカーテンを揺らした。
いつもなら、このままメイクを落として終わりだ。しかし、今日の仕上がりはこれまでにないほど上出来だった。
……これだけ完璧なら、外の光の下だとどう見えるんだろう?
自分のこだわりが、現実の街の中でどこまで通用するのか試してみたい。そんな好奇心と少しの欲が、頭をもたげた。
一度そう思うと、もう引き返せない。
そうと決まれば行動は早かった。
クローゼットからお気に入りの白い厚底スニーカーを取り出し、丁寧に足を通す。
玄関の鏡でもう一度、全体のバランスをチェックした。うん、どこからどう見ても、休日の街を満喫しに行く普通の女子大生だ。
カチャリ、と鍵を閉める音が、いつもより妙に重く響く。
一歩、外の世界へ足を踏み出すと、肌をなでる空気の感覚がまるで違って感じられた。
「……すう、はあ……」
小さく深呼吸をして、あえて堂々と歩き出す。
すれ違う人が自分を見ているような気がして心臓がバクバクと脈打つが、それは決して嫌な緊張感ではなかった。むしろ、自分の「可愛い」が白日の下にさらされているというスリルが、心地いい高揚感へと変わっていく。
しばらく歩き、緑豊かな近所の公園へと差し掛かった、その時だった。
「わっ……!」
少し前方から、幼い子供の声が響いた。
見れば、小さな男の子が派手に転んで地面に突っ伏している。近くに親らしき姿は見当たらない。
あちゃ、大丈夫か……?
反射的に体が動き、駆け寄ろうとしたところで、俺はハッと息を呑んで足を止めた。
待て、俺、いま女装中じゃん
この格好のまま、いつもの野太い男の声で「大丈夫?」なんて声をかけたら、不審者極まりない。親切心が最悪の事態を引き起こす。
声を出すリスクを完全に失念していた。
男の子は膝をすりむいたのか、必死に涙を堪えようとしながらも、しゃくりあげている。放っておくわけにはいかない。
──やるしかない。あれを出すんだ
俺はすっと近くの太い木陰へと身を隠した。周囲に人がいないことを確認し、胸に手を当てて小さく咳払いをする。
目指すは、夜な夜な動画を参考に猛練習してきた、あのトーンだ。喉の奥をきゅっと締め、鼻の奥に声を響かせるイメージで、慎重に音程を合わせていく。
「……あー、んん。……っ、大丈夫?……だいじょうぶ?」
よし、チューニング完了。我ながら完璧な、鈴の音を転がしたような美少女ボイスだ。
意を決して木陰から這い出ると、トコトコと女の子らしい歩幅で男の子の元へと駆け寄った。そして、ふんわりとスカートをなびかせながらその場にしゃがみ込み、練習通りの100点満点の女声を発した。
「──大丈夫?」




