4.奇襲
荒野の夜は、かなり冷える。
日本でも夜は気温がガクッと落ちるが、砂漠や荒野などはその比ではなく寒暖差が驚くほど激しくなってしまう。砂漠ともなると、氷点下まで冷える時も有るらしい。
だが幸い、ここは日本であり気候も昔とさほど変わらない。そのため、荒野の世界は鳥肌が立つ肌寒さではあるが凍えるほどではなかった。荒野も寒暖差が激しい地域ではあるが、砂漠と比べればだいぶマシだ。
しっかりと防寒対策をすれば、充分に耐えられる気温ではある。
……しかし、薄着で森に放り出されていたツカサは、当然ながら対策も何も無く。
「ううう……こ、荒野がこんなに寒いとは……」
歯がガチガチと鳴るのを抑えきれずに縮こまるが、床から冷たさが伝わってなお寒い。火を焚けばマシだったのだろうが、ここは屋内であるがゆえにたき火は厳禁だ。廃墟でたき火などすれば、どこに引火するかも分からなくて恐ろしい。ブレックも「なるべくやるな」と言っていた。
そのため、今回はロクに暖を取るものも無く、ランタンの明かりに照らされた廃墟の室内で毛布にくるまってガタガタと震えているしかなかったのである。
(だだだだけどささささむ寒いっ、な、なんで荒野って寒いんだっ!?)
山地や砂漠は寒いと聞くが、広大な平地の丘が何故こんなに寒いのか。
やはり植物のような物が無く禿山のようになってしまったからなのか。
よくわからないが、ともかく森の中よりも寒い事だけは確かだった。
だが、こんな荒野を旅していたブレックは慣れているのか、特に気にもせず先程から酒を煽っている。荷物の中にやけに酒瓶らしきものが多いなと思っていたが、もしかしてこういう寒さを和らげるために持って来ていたのかもしれない。隣で気楽そうにしているブレックを見やるツカサに、相手はようやく気付いて「ああ」と声を上げた。
「ツカサ君、そう言えばシャツとズボンだけだったねえ。でも生憎と僕も一張羅で替えの服なんて持ってないんだよ。すまないねえ、ごめんねえ」
「絶対ゴメンとか思ってねーだろてめー! ぐぅううう」
「そうそう、その調子で騒いでたら体も温まるよ。あ、お酒飲む? ツカサ君見た目は未成年だけど、寝てる間に三十年くらい経って年齢はしっかりオッサンになったもんね。それに法律なんて無いワケだし、存分に飲んでいいんじゃない? さあオッサン記念に一献どうぞ」
「その定義で言うなら今のアンタは爺ちゃんか骨なんだが?」
確かに三十年も寝ていれば立派に成人だろうが、しかし身体年齢と精神は未だに昔のままなのだ。それを成人と言い切ってしまっていい物なのだろうか。
(つーかなんか、オッサンにオッサンって言われるのがすんげー気に食わねえ……)
大人扱いは結構な事だが、理不尽なオッサン呼ばわりはいかんともしがたい。
命の恩人でなければはっ倒しているところなのだがと睨みつつ、ツカサは膝を抱えて身を縮めた。
「あれ、お酒飲まないの?」
「いらんっ! 飲みたきゃ自分で飲むよ、俺だってもう大人なんだろ」
「今飲めばいいのに。寒さにはお酒が一番だよ? ほらほら」
「っ……それ、アンタに施されてるみたいですんげーイヤなの!」
「あはは。そう言う所が子供ってカンジだねえ。うーん、じゃあしょうがない。意地っ張りなコドモには貴重なお酒は勿体ないもんねえ。身も心も大人な僕が全部飲んじゃうよ~」
そう言うなり、ブレックは美味そうに酒を煽って喉をごくごくと鳴らした。
欲しかったわけではないが、これ見よがしに動く喉仏を見せられるとイラッとくる。未だに男らしい兆候が見えない喉がコンプレックスの一つであるツカサにとっては、ブレックの煽り行為は二重に神経を逆なでする行為であった。
「だーっ、もういい! 俺トイレ!!」
「あ、当然だけど施設のトイレは使えないから外でやるんだよ」
「わーっとるわいっ」
怒鳴って薄暗いホールに足早に駆け込み、きしむドアを開けて外に出る。
と、冷たい風が頭からかぶった毛布に掛かって来て、ツカサは思わず身を竦めた。
「うぅう……さ、さぶっ……」
毛布を両手で掴みなるべく風が入らないようにくっつけるが、体と毛布の間に風は入ってくる。息を吸えば、冬の夜のような冷えた空気が肺に入って来て更に寒さが増した。
だが、その感覚は不思議と嫌ではない。
ハァと息を吐いて白さを確かめながら不意に空を見上げると、そこには満天の星空が広がっていた。
「おぉ……明かりも何も無いから、めっちゃ星が見える……」
そういえば、今夜は月夜なのか外は明るい。
だが、それでも星がハッキリ見えるのだから思わず立ち止まって眺めてしまう。
前の世界では、こんなに膨大な光は見えなかっただろう。街中ではどこかしらに人工の明かりが灯っていて、星空も遠かったはずだ。その「人の気配がある」夜を思い出すと、今のこの荒涼とした中で見る満天の星空は少し寂しいような気もした。
(今ここには、俺とオッサンしかいないんだな……)
たった二人きりの世界というのは、どれほどの寂しさだろうか。
自分達は「他にも人がいる。今からその場所に向かう」と思っているから冷静で居られるが、この【バスターズ・キャンプ】に残って旅人を待ち続けた管理人はそうもいかなかっただろう。
もしかしたら、こんな静かな世界に管理人は耐え切れなくなったのかも知れない。
ずっとこの場所で人を待ち続けるのは、つらすぎる。
(……俺も、森の中で暮らし続けてたらそんな風に思ったのかな……)
いつか仲間達に許して貰える時を待って、一人で生き続ける。
もしかしたら、完全に一人で暮らすよりもその方がつらいのかもしれない。
「……っ、さぶ……は、早く済ませちゃお……」
建物の裏手に回り、適当な岩の陰で手早くすませる。
こんなに寒くては体の一部を露出させるだけでも凍えてしまいそうだ。
用を足すなら尚更寒さが身に染みる。ぶるりと震えつつも、ツカサは足で土をかぶせて雑な証拠隠滅をすると、岩の陰から出ようとした。
――――が。
「……ん?」
少し遠い場所。
バスターズ・キャンプに入ってくる山道の方で、ちらりと光が見えた気がする。
気のせいかとも思ったが、なんだか気になる。暫く見つめていると、道の向こう側の崖で、なにやらチカチカと光った。今度は間違いない。あれは人工的な光だ。
(な、なんだ……アレ……もしかして、ブレックが言ってた強盗……!?)
こんな場所で遭遇するものなのかと思ったが、しかし気のせいだと思えるほど光は微弱では無かった。明らかに報告すべき現象だ。もし間違いだったとしても、その時は取り越し苦労で済む。
その時ブレックに笑われるのはシャクだが、安全が確保されるのならそれでいい。
ツカサは出来るだけ向こうから自分の姿が見えないように岩の陰を伝いながら、割れた窓から自分達が滞在している部屋に潜り込んだ。
「わっ、なんでそっちから来るのツカサ君!」
「ば、ばか静かにっ! なんか、何かそとでチカチカしてるんだってば! 敵かも!」
ツカサのその言葉に、ブレックは驚いた表情を一瞬で消す。
真剣な表情になった相手に思わず顎を引くと、小さな声で質問が飛んできた。
「どのくらいの距離だった?」
「この廃墟に入ってくる道路の向かい側の崖で光ってた。チカチカしてたけど不規則だったから、人工的な光だとおもう。……だけど、モンスター……かも」
そういえば、この世界はもう普通の世界では無かったのだった。
夜光虫のように体を発光させるモンスターがいても、何ら不思議ではないのだ。
もし人間でなかったらどうしようと青ざめるツカサだったが、ブレックは気にせず近付いて来て、ガラスのない窓から外へ耳を澄ませるように黙り込む。
数秒呼吸を止めて停止していたブレックは、微かに息を吐いてツカサを見下ろした。
「……ツカサ君ナイス。どうやら……相手は狡猾な存在みたいだね。廃墟を通る風の音に紛れて上手く足音を誤魔化してる。ツカサ君が言っていた光は、恐らく“目”のようなものが発光していたんだろう。定期的に光ったって事は、周囲の何かをおびきよせるためか……それとも……」
「それとも?」
「センサーみたいに、周囲の生き物を探す時に発している光だったのかもね」
ブレックの冷静な言葉に、鳥肌が立つ。
……相手の“目”が、周囲の生き物を探していた。
ということは、相手は完全に人間ではないということだ。狡猾でありつつ、獲物を静かに探す「人間ではない物」など……モンスターに他ならない。
しかも狡猾となると、相手はどんな作戦を使って来るか分からない。真正面から向かって来るモンスターよりも難易度が高いことは明白だ。獲物を探して光を放つ“目”が何を求めているかなど、最早議論する必要も無かった。相手は、食べ物を探している。自分達を補足しようとしているのだ。
夜闇に紛れて近付いて来る獣ほど、恐ろしい物は無かった。
「た、戦うのか……?」
知らずの内に震えている声。発してから慌てて口を塞ぐツカサに、ブレックは苦笑してポンと頭を叩いた。まるで、子供を窘めるかのように。
「こうなったら戦うしかないでしょ。あ、ツカサ君は僕の後ろから離れないようにね」
「ど、どっかに隠れてろってんじゃないのか」
てっきり、邪魔だから隠れていろと言われるだろうと思っていたのに。
意外な命令をしたブレックに目を丸くすると、相手は片方の口角を上げた。
「たぶん、隠れても見つかるだろうからね。……君を隠したとして、それが先に発見されたら隠した意味が無い。そうなるくらいなら、背後にいて貰った方が“相手”の狙いも定まってやりやすいだろう?」
「隠れても見つかるって……あの、目で……?」
「恐らく、赤外線センサーみたいな物だと思う。でなければ、わざわざ目をチカチカ明滅させる意味も無い。もしかしたら違うかも知れないけど、用心はしておいた方が良いからね」
さきほどの自分と同じような事を言う。
だが、それはツカサも大賛成だった。
一人で隠れて死ぬ確率が上がるよりも、守って貰った末に死ぬ方がずっといい。
守られる男、というのは情けないが、それでも……もしかしたら、何かできるはずだ。
だが……トラジマウマのように上手く行くとは限らない。
「ぶ、ブレック……荒野のモンスターって、強いのか……?」
念のため問いかけると、相手はツカサの方を見てニヤリと笑った。
「凄く飢えてる、ってのは確かかな」
それは強いのか弱いのかどっちなのか。
からかわれた事に気付いて思わず声を荒げそうになったが、その前にブレックは「シッ」と沈黙を強要する息を吐いた。そうして、ツカサを自分の背中側に移動させると、じりじりと壁まで後退する。
既にホルスターからは武器を抜いており、臨戦態勢だった。
「ここは廃墟のどん詰まりだ。侵入するなら窓か入り口の二択しかない。……いいかい、壁に張り付いて、絶対に動かないようにね」
「う、うん……」
窓と壁を監視できる部屋の角まで後退し、ぴたりと背中を壁にくっつける。
そんなツカサをさらに背中で押して密着したブレックは、窓と入り口を監視するように視線を何度も動かし相手の気配を探った。すると、静寂が訪れた廃墟に、ぞ、ぞぞ、と、アスファルトで何かを擦った時のような妙な音がかすかに聞こえてくる。
……明らかに、人の足音などではない。
その奇妙な音が近付いて来る。微かだがどんどん近付いて来る。
相手が気配を消していると知った今は、明確にその足音が耳に入って来て、ツカサは得体のしれない音に思わず総毛立ってしまった。
(な、なんだ、何が来るんだ……っ)
近付いて来る。
ぎい、と、ドアが開いた。あの音が近付いて来る。
ぞ、ぞぞ、ぞぞぞ、何本も重なった音。あきらかに足音では無い音が、暗闇の中からもう、すぐそこまで来――――
「バレバレなんだよ!!」
ブレックの声が、完全に入口へと意識を向けていたツカサの耳を叩く。
何が起こったのかとブレックが動いた方向へ目を向けた、刹那。
「ひっ……――――!!」
割れて風通しのよくなった窓を影が覆い、そこから無数の棒状の物がこちらへ飛び込んできた。
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