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二人きり



 翌朝、いつものように道場へ行き、門弟たちに厳しく稽古をつけた後、半之丞に話があるから残るようにと伝えた。

 半之丞は最初、ぽかんとした顔でいたが、怯えるような顔で忠弥を見た。

 そんなに俺が怖いか、と内心思ったが、自分とは全く考え方の違う男なのだから仕方あるまい、というくらいのことは分別できた。

 一緒にいたいと渋る兵馬を追い返し、二人きりで道場を出た。

 人に聞かれたくない。

 静かに話せる場所はないものかと思案しあんしたところ、以前、半之丞を連れていった居酒屋を思い付いた。

 お染に頼んで人払いをしてもらおう。

 あそこには奥座敷があったはずだ。


「半之丞、覚えておるか? 前に一度、連れて行ったろう。あの居酒屋に行こう」

「酒を呑むのでございますか?」


 半之丞が不安そうにたずねる。


「いや、酒は飲まんよ。今日は真剣な話があるのだ」


 それを聞いた半之丞の顔つきがかたくなる。

 忠弥はそれを無視して歩いた。

 道場からわりと近いので朋輩にもよく会うが、今日は日の明るい時刻だからか、誰にも会わなかった。

 暖簾をくぐり、お染を呼んでもらう。

 お染は忠弥を見るなりパッと笑顔になって、後ろに神妙に控えている半之丞を見ると目を丸くした。


「あら、いつぞやの」

「半之丞だ。お染、すまぬが、今日は半之丞と二人きりで話がしたい」


 忠弥の様子を見て、お染はピンと背筋を伸ばすと、


「わかりました。お部屋をご用意して参りますわ」


 と奥へ入った。

 すぐに名を呼ばれ、奥座敷へ案内された。

 部屋は落ち着いた雰囲気で、広くはないが苔庭こけにわの生えた美しい庭園が見えた。


「ほお、美しい庭だな」

「評判がいいんですよ」


 お染はそう云うと、お酒はいかがいたしましょう、とたずねた。


「呼ぶまで待ってくれるか。よければ先に茶を。半之丞には菓子をだしてやってくれ」


 半之丞を見ると、青ざめて緊張しているように見えた。


「私は結構です。お茶だけお願いします」

「まあ、半之丞さん、大丈夫ですよ。忠弥さまはお優しい方ですから」

 

 余計なことを云ってからお染は下がり、すぐに茶が運ばれてきた。


「まあ、飲もう」


 庭を見ていた忠弥は、半之丞の前に座った。

 半之丞は畳ばかり見ている。

 何を怯えているのだ。

 半之丞の気持ちが理解できず、ただただ忠弥はあきれた。


「半之丞、俺を見ろ」

「は、はい」

「思い出したのだろう? 幼い頃、かどわかしに会った日のこと」

「な、なぜそれを?」


 半之丞の体から力が抜けて、張りつめた糸が切れたような表情になった。


「姉上は東北へ嫁がれた。もう、会うことはあるまい」

「美津どのが嫁がれたのですか?」


 姉の名を知っているところを見ると、やはり二人の間に何かあったのだ。


「そなたをかどわかす者はもうおらん。安心せい」

「そ、そうではありませんっ」


 半之丞が首を振った。


「私は美津どのを恨んでなどおりません」

「じゃあ、いったいなんなのだ」

「ご迷惑をかけたから」

「そんなわけがあるか。そなたに非はない。悪いのはすべて俺の家だぞ。姉上の身勝手でお主を苦しめた。すまなかったと謝るのはこちらだ」


 そうだ。

 きちんと謝りもせず、おとなしい半之丞ばかりが萎縮して、迷惑をかけていたのはこちらだ。


「すまなかった」

「い、いいえ……」


 頭を下げる忠弥に、半之丞が首を振った。


「やめてください。もう過ぎたことですし、成沢さまには責任はありません。本当にやめてください」


 半之丞の目から涙があふれた。

 忠弥が呆気にとられた。


「なぜ泣くのだ」

「だってこのままじゃ、忠弥さんとの接点がなくなってしまうから……」

「は?」

「ずっと、ずっと憧れていたんです。私の生きがいはあなたでした。迷惑がかかるから離れなきゃ、と何度も自分に云い聞かせていたのに、無理でした」

「離れる必要はなかろう」


 大げさな男だな、と忠弥が笑う。


「でも……」

「俺は姉上のことがあろうとなかろうと、半之丞は兵馬と同じ門弟の一人だ。相談も乗るし、居酒屋でも稽古でも付き合ってやるさ」


 難しく考えすぎだな。

 そう云うと、半之丞がさらに泣き出したので参った。


「おいっ。お染、誰か来てくれ」


 廊下に向かって声を張ると、待ち構えていたのか、お染が急いでやってきた。

 そして、泣いている半之丞を見て目をつり上げた。


「なんで泣いているんです?」

「勝手に泣いたんだ」

「勝手に泣くわけあります? 大丈夫ですか? 半之丞さん」

「申し訳ありません……」

「なんとかしなきゃですねえ」

「酒でも飲ますか」

「やめてくださいっ」


 お染に止められて、忠弥は頭をかく。

 弟だったら泣くやつがあるか、と突き放すが、半之丞は弟ではない。

 姉上がもしこの場にいたら、泣いている半之丞をかばうだろうか。

 かばうだろうな、と思いながら肝心なことを云うのをすっかり忘れていた。


「半之丞、姉上からそなたに伝言だ」

「は、はい」

「すこやかに育ってください、とのことだ」

「……はい」


 半之丞は大きく息を吸って、涙を拭った。


「忠弥さん、ありがとうございました」


 泣き顔にようやく笑顔が戻った。

 ふと、あの幼い頃の泣き顔を思い出した。

 

「そなたの泣き癖も治さねばな」


 忠弥が云うと、お染がプッと吹き出す。


「何がおかしい」

「いいえ。すみません。なんだか、お可愛らしいなと思って」

「誰に対して申しておる」

「そりゃ、半之丞さんですよ」


 今度は俺が半之丞を男らしく育ててやろう。

 約束をすると半之丞の頬が赤く染まり、よろしくお願いいたしますと、頭を下げられた。

 よしよし、と頭を撫でてやる。

 おとなしい半之丞はうつむいたまま、はい、と小さく答えた。


第二章 忠弥編 終わり

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