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帰国




「元気でおったか」


 堀内道場の門弟たちがいっせいに手を止めて、声のするほうを見た。

 竹刀で素振りをしていた三浦みうら半之丞はんのじょうは、あっと声を出した。

 道場の入り口に、剣術修行へ江戸に行ったはずの成沢なるさわ忠弥ちゅうやが立っていた。


「忠弥さんっ」


 一緒に素振りをしていた友人のはやし兵馬ひょうまが、我先にと男の元へ駆け寄った。


「あ……」


 出遅れた半之丞は、あっという間に門弟たちに囲まれた忠弥を遠目に見つめた。

 長旅だったのか、浅黒く日焼けした顔。精悍な顔立ちがいっそう引き締まって見える。

 忠弥は相変わらず、飛びぬけて体が大きかった。上背もあり、盛り上がった筋肉、逞しい腕。男らしい顔立ちも完璧で、半之丞はしばらく呆けたように見つめていた。

 そのとき、兵馬がこちらに気づいて手を振った。


「半之丞、おい、早く来いよっ」

「う、うんっ」


 我に返って駆け寄る。心ノ臓がこれまでにないほど激しく打っていた。

 緊張のあまり体がうまく動かない。


「早く」


 兵馬がぐいぐいと背中を押して、忠弥の前まで引っ張った。見上げなくてはならないほど、男の顔は上にあった。

 忠弥は、半之丞を見ると首を傾げた。


「名は?」

「み、三浦半之丞です」

「幾つだ」

「十七です」

「ずいぶん小さいな」

「こ、これからもっと大きくなるはずです」

「そうか、ま、がんばれ」


 忠弥は興味なさそうに云うと、ふいと顔をそむけた。

 唖然としていると、忠弥は師範代に呼ばれて道場を出て行った。


「半之丞、おい、半之丞ったら」

「あ、なに?」

「明日から忠弥さんが稽古をつけてくれるらしいぞ」

「え、ほ、本当?」

「うん。剣術指南役に抜擢されたらしい。うちの道場で指南してくれるって」

「うわ……」


 うれしさのあまり体が震える。


「やったな!」


 兵馬が肩に手を置いて喜ぶ。


「うん」


 半之丞もぎゅっと兵馬の肩を強く抱き返した。



 忠弥が江戸へ発ったのは二年前だ。

 忘れた日は一日だってない。


 会いたくて、顔を見たくてたまらなかった。


 六歳のとき初めて会ってから、ずっと忠弥のことを見つめてきた。最初は年上に対する憧れであったが、しだいに心まで奪われていた。


 彼が通っている堀内道場に入るには試験があり、半之丞は七歳の頃から受けてきたが、剣術には向いていないのか、ことごとく落ち続けた。

 堀内道場に入るまでの間、兄に鍛えてもらいようやく十五歳になって合格した。念願叶って忠弥の側で竹刀が振れると期待するや否や、彼は江戸に剣術修行へ行ってしまった。

 すれ違うこともなく、厳しい道場で彼が帰って来るまで必死に剣の腕を磨いた。


 十五歳の頃はあどけない表情に白く柔らかい素肌で、男にしとくのがもったいないとからかわれる日々だったが、しだいに腕にも筋肉がつき始め、顔つきもやや鋭くなったように感じられる。

 十六歳で元服をすませると、涼しげな目元に薄い唇、体格はほっそりして朋輩たちに比べてやや劣るが、立ち姿は美しく、今までの幼い印象が一変して凛々しい少年になった。


 忠弥のことを思い続けて十一年。

 簡単にあきらめる半之丞ではない。


「俺も」

「え?」

「俺も、兵馬みたいに成沢さんと親しくなりたい」

「気さくでとてもいい方だよ、きっとお前と話して下さるさ」

「そうかな」


 期待を込めると、こっくりと兵馬は頷いた。

 林兵馬は、小さい時分から道場に通っていたので、忠弥とは長い付き合いであった。


 兵馬は、丸い顔に大きな瞳とふっくらした頬、筋肉はついたが、全体的にぽっちゃりとした愛らしい少年だった。


「明日が楽しみだな」


 兵馬が笑う。半之丞は胸がいっぱいで大きく息を吸った。


「今から緊張している」

「半之丞、ずっと楽しみにしていたもんな」


 兵馬が自分のことのように言って、お互い喜びあった。

 明日が待ち遠しい。

 他の門弟たちが素振りを始めたが、半之丞は幸せを噛みしめるようにしばらく余韻に浸っていた。



 練習が終わり井戸端で汗を流していると、背後に気配を感じて振り向いた。


「あ、谷村さん」


 背後にいたのは、半之丞の許婚、谷村たにむら小園こそのとその兄の孫四郎まごしろうであった。


「練習はすんだのか」

「はい。これから帰るところです」

「話がある」

「すぐに着替えて参ります」

「うん」

「半之丞さま」


 小園が静かな声で囁いた。


「いそがなくてもよいですよ」

「はい……」


 小園がそう云ってくれたが、孫四郎の鋭い目は変わらない。

 恐らく孫四郎は、忠弥の帰国の話をしに来たのだ。半之丞は直感した。


 着替えをすませて玄関へ行くと、二人は式台に腰をおろし、揃って門の外を眺めていた。小園の小さな背中と孫四郎の大きな背中は、必要以上に離れている。


 半之丞は小さくため息をついた。


「お待たせいたしました」

「参ろう」


 孫四郎が立ち上がり歩き始めた。その数歩後を小園が歩き始める。

 二人を追いかけ孫四郎に追いついた。


「成沢忠弥が帰国したそうだが」

「はい、今朝方ご挨拶しました」

「そなた、成沢に憧れて道場に入ったのだったな」

「はい……」

「そなたは小園の大事な婿どのだ。小園を苦しめるようなことがあったら、拙者が許さんぞ」


 のどの奥から絞り出した声に、半之丞は一瞬、体が冷たくなった。


「谷村どの、私は……」

「兄上さま……」


 小園がついて来た理由が分った。

 恐らく家でなにかあったのだろう。


 孫四郎は癇癪持ちで手に負えないところがある。容姿端麗で役者のような姿身だが、整いすぎて冷ややかな目つきときゅっと結んだ唇に近寄りがたい印象が強い。

 妹である小園を大事にしてきたが、突然降って湧いた半之丞との縁談に憤りを隠せないのだ。


 半之丞は、書院番の家柄に生まれた次男坊である。

 長い間冷飯であったが、同じく旗本である叔父の三浦家に養子に入ることが決まった。

 叔父の役職は小姓組頭で、いずれはその職を継ぐことになる。

 養子が決まった直後、縁談の話が出た。

 相手は谷村家の小園だった。

 谷村家は無役の旗本寄合だったが、三千石を食んでいる。無役なため、日がな一日、なにかするわけではない。しかし、谷村家の方から強い押し付けで小園をもらって欲しいという要望があった。

 無役の旗本寄合というだけで、強引なやり方に叔父はいまだ渋っているが、まだ正式に断っていない。

 忠弥ひとすじに生きてきた半之丞は、小園と結婚するなら養子は辞退したいと訴えたが、叔父の方から縁談はなんとか破綻にするからと懇願されている。

 かわいそうなのは小園で、双方に挟まれた彼女はいつも元気のない顔をしている。


 小園は、孫四郎の妹とは信じがたいほど静かで繊細だった。いつも孫四郎の側にいるため、ゆっくり話をしたことはない。

 今日も蒼白い顔で孫四郎の側で、静かにしていた。

 孫四郎は田宮神剣流の遣い手でもあり、ほとんどを道場で過ごしているらしい。指南役でもあるが、稽古が厳しいと聞いている。

 見た目はほっそりとした美男なのに、中身はいわおのように硬い男だった。


 小園には悪いが、半之丞は家督を継いだら正式に縁談を断るつもりでいた。

 しかし、小園はもう十八歳で、年齢的に出遅れているほうである。断るのなら一日も早い方がよいと半之丞は焦っていた。


「ここでよい」


 お互いが武家町に暮らしているので、小園の屋敷まで送ろうと思っていたが、孫四郎のほうから断ってきた。


「では、失礼いたします」

「お気をつけて、半之丞さま」

「はい、小園殿も」

「ありがとうございます」


 深くお辞儀をしてふわりとほほ笑み、孫四郎の後ろをしずしずと歩いて行く。まるで夫婦のようだ。

 二人の姿が見えなくなると、どっと肩の力が抜けた。

 孫四郎の存在は威圧的だ。


 叔父が云うには、谷村家は三浦家とのつながりを濃くしたいがために、半之丞を利用しようとしているらしい。

 孫四郎が云い出したことではないのは確かで、彼は半之丞なんかに大切な妹を渡したくないという態度が見え見えだった。


 半之丞は肩で小さく息を吐き、屋敷へと歩き出した。




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