第8話:恋物語
「次のアトラクションはこちらです」
案内されたのは、ちょっと昔のアメリカホームドラマでみたような、シンプルな小ぶりの家だった。二階建てなのかもしれない。入口の上、屋根の下あたりに小さな窓がある。
入口の白木の扉を開くと、中はミニシアターのようになっていた。正面に黒い高めのテーブルが据えられた舞台、その前に長椅子が半円状に何重かに並べられている。全部に人が座ったら50人くらいは入るかもしれない。
ただ、いつものように、このアトラクションもボクとツクミの貸し切りだった。
「シアター?」
ツクミの顔を見上げて尋ねると、彼女は一番見やすそうな席にボクを座らせ、自分もその横に腰を下ろした。
「はい、こちらは人形劇を上演するミニシアターとなっております」
ちょうど、これから次の演目が始まりますよ⋯
そのツクミの言葉が言い終わるか終わらないかの内に、ブブーというブザーの音が響き、シアター内が暗くなっていく。正面の舞台にスポットライトがあたり、どこからともなく、背景となるどこかの街角の絵がにゅっと現れた。
どうやら、始まったみたいだった。
☆☆☆
【180秒の恋物語】
「5時32分か⋯」
私は左手をくるりと返して、腕時計の文字盤を見る。つぶやきとともに、ため息も一緒に漏れた。
5時⋯
秋の街は、様相が一変する。
薄暗くなり始めた空と慌ただしく帰路につくサラリーマン、そして、待ち合わせをしているだろう恋人たちを横目に、私はうつむいて、またひとつため息をついた。
ガードレールにもたれる私の後ろに流れるヘッドライトの河と、誰に対しても無関心な人々が行き交う様子を見ていると、ふと、ここに立っている『私』って一体何なんだろうと、自分を見失いそうになって怖くなる。
白いブラウス
少し厚手の青いスカート
肩から下げたバッグには、少しの荷物
そうだ。
私、私はいる。ここにいる。
ずっといて⋯あれ?なんでいるんだっけ?
ここにきて私は、少し前にも同じことを思ったよなと思い出す。
『私は一体何のためにここにいるんだっけ?』
それでも思わずにはいられなかった。何度も繰り返した問を、再び自分に投げつけていた。そして、何度投げつけても、その問の答えを見つけられない自分に驚いた。
また、視線が宵闇に沈み始めた街にさまよいだす。
さっきからこの繰り返し。
問いかけ、諦め、視線がさまよい、また問いかける。
長いこと続けてきたような気もするし、
ほんの数分のことにも思えた。
『一体私は何をしていたのだろう?』
また考え、見つからない答えに鼻の奥がツンとする。
ふらりと街を視線がさまよう。
また⋯同じ事の繰り返し⋯
⋯あれ?
私の視線がある一点に止まって、そこから動かなくなった。
『女の⋯人?』
私の視線の先には一人の女性が立っていた。
年齢は40歳くらいだろうか?
私より大分年上に見えた。
少しうつむき加減で、
肩までの髪、白いセーターとチェックのスカートを着て、
後ろ手にレンガ造りのビルの壁にもたれていた。
『あゝ、私に似ているな⋯』
顔も服装も、年齢も、何もかも違うのに、
なぜだか私は、ふとそう思った。
『誰かを待っているの?』
心の中でそう呟いたが、現実に口に出すことはできなかった。
ところが、一度は視線を離してみたものの、やはりどうしても気になる。
『話し⋯してみようかな』
私にしては珍しい。そう思って、一歩を踏み出したが、すぐに話しかけることなど、もうできなくなった事を悟る。
やっぱりその女性は人を待っていたのだ。
多分恋人⋯もしくは旦那さんなのだろう。40歳くらいのスマートな男性だった。その男性を見るや、くだんの彼女は途端に自分の中の美しさを思い出したかのようにパッと輝き出した。
「人を待っていた⋯」
その光景を見て、私は呟いていた。
呟いた言葉の意味が一瞬わからなかった。
「私も⋯待っていた?」
次第にそれが形を成す。そして、やっと思い出すことができた。
そうだ、私は人を待っていたのだ。
誰も知った人のいないこの街で、あたしは私が人を待っていたということを思い出した。そして、待っていたという相手は、とても、とても大切な人だった気がするのだ。
私の目の前を先ほど出会ったカップルが通り過ぎようとしていた。しかし、ふと、男性の方が立ち止まった。
彼は私の方をじっと見つめた。
正確には、その視線は、私の顔を決して捉えてはいないことを
私は理解していた。
『そうか、そうだったよね⋯』
私はやっと全てを思い出す。
それは長い時の向こうに葬られた記憶
彼の瞳の中に映る私の姿
彼の中に残る、私の思い出⋯
私はとうとう長い間、自らに投げかけ続けた問の答えを見つけ出した。
街や人の心がいくら変わろうとも、思い出はいつまでも消えない。
たとえ、いっとき消えたように見えても、なくなってしまったわけではないのだと知った。
私は彼を知っていた。
そして、彼が私を覚えていてくれたことを、知ったのだ。
街を風が駆け抜ける。
秋の風がそよと過ぎる。
その風が私の身体をふわりと包みこんだ。
『あゝ、そうなんだ⋯』
羽のように軽くなった私の身体。
風に乗って宙に浮かぶ。
『私⋯ちゃんとあなたの思い出になれたのね』
私の魂はそのまま風に踊る。
「バイバイ」
手を振った。
ニコリと笑って。
精一杯笑って。
このたった一言が言えなくて、
それが私の枷になっていたことに、私はやっと気づいたのだ。
◯ーーーーーーーー◯
「ねえ⋯どうしたの?」
妻に言われて、はっと私は我に返った。
そうか、あれからもう20年は経っているのか
「あゝ、ちょっと昔な⋯」
そう言った私の耳には、風の音がなぜだかお別れの言葉のように聞こえていた。
しかし、振り仰いでも、そこには木の葉と戯れる一陣の風があるばかりだった。
☆☆☆
照明が暗くなり、舞台が暗転する。
しばらくして、またブザーが鳴り、シアター全体が明るくなった。
「終わったの?」
すごく、短い話だった。
演じている人形は3体だった。若い女性の人形、少し年を取った女性、そして男性だ。
「あの、男性と若い女性は昔恋人だったってこと?」
ボクはツクミに尋ねた。
舞台ではすべてが説明をされていなかった。いろんな解釈ができるお話に見える。
「そうでしょうね。最後、風の中に消える時、若い女性の顔はなんだか少し寂しそうにも見えましたね」
「あの人は死んでしまったということ?」
あのガードレールにもたれていた女性は、実は20年前に死んだ幽霊で、ずっと男性を待っていた⋯そんなふうに思ったのだ。
「さあ、どうでしょう?もしかしたら、死んだのは、『人』ではなかったのかもしれませんよ?」
ツクミがニコリと笑う。
え?人じゃないって⋯?
そんな問を投げかける前に、ツクミが次のアトラクションへの案内をし始めてしまった。
「次のアトラクションも楽しんでいただけるのではないかと思います⋯さあ、参りましょう。月の夜はまだまだ、明けることがないのですから⋯」
白木の扉を開けて、外に出る前に、ボクはもう一度舞台を振り返った。
そこには、さっきの若い女性の人形が、一人立ち尽くしいてた。
『私⋯ちゃんとあなたの思い出になれたのね』
彼女の最後のセリフが思い出される。
なぜだか、その後に、『よかった⋯』
と、そんなふうに言っていたように思えたのだった。




