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第1話 林道

 佐久間仁がその山へ入ったのは、六月の終わり、朝から低い雲が山並みを覆っていた日のことだった。


 岩手県内の建設会社で現地調査を担当している仁は、県が計画している小規模な治山工事の事前確認を任され、斜面の状態や既設の排水設備、資材を運び込める経路を調べるため、一人で社用車を走らせていた。測量そのものは後日、複数人で行う予定になっており、その日は図面と現地の状況に大きな食い違いがないかを確かめ、必要な写真を撮って戻るだけの仕事だった。


 山の現場には慣れていた。


 地図には記されていても、実際には草木に埋もれて通れなくなった道もあれば、林業者が重機を入れるため、いつの間にか新しい作業道が造られていることもある。舗装が途切れ、携帯電話の電波が弱くなり、周囲に民家が見えなくなったとしても、仁にとっては珍しいことではなかった。


 県道から細い町道へ入り、十数分ほど沢沿いを進んだところで、カーナビの案内が終わった。


 画面上では、そこから右手に林道が分かれている。


 仁は速度を落とし、雨に濡れた杉林の縁を注意深く見ながら車を進めたが、最初に通り過ぎたときには入口を見つけられず、少し先の空き地で方向を変えて戻った。


 二度目に見ると、確かに道があった。


 杉の幹と幹のあいだに、車一台がようやく通れるほどの幅で土が続き、入口の脇には錆びた林道標識が傾いていたが、枝葉に隠れて文字の大半は読めず、道そのものも、正面から意識して見なければ斜面の影と区別がつかなかった。


 仁は車を降り、図面と現在地を照合した。


 橋からの距離も、沢の向きも、入口の位置も一致している。林道の名称だけは標識から確認できなかったものの、別の道へ入り込むような地形ではなく、少なくとも図面上では、この道を三キロほど進めば調査予定地の近くまで行けるはずだった。


 入口にはチェーンも通行止めの表示もなかった。


 仁は車へ戻り、四輪駆動へ切り替えて林道へ入った。


 道はすぐに暗くなった。


 両側から伸びた杉の枝が空を狭く覆い、午前中だというのに、ヘッドライトをつけなければ路面の窪みを見落としそうだった。前日まで雨が続いていたため、地面には水が溜まり、タイヤが泥を噛むたび、車体の下から鈍い音が響いた。


 路肩は崩れかけていたが、完全に放置された道には見えなかった。


 倒木は切断され、深い轍には小石が入れられ、沢水が道へ流れ込む場所には細い溝が掘られている。誰かが定期的に手を入れていることは明らかだったが、伐採した木材も、重機も、人が作業した形跡も見当たらなかった。


 しばらく進むと、路面に古いタイヤの跡が現れた。


 二本の轍は仁の車が通るよりも前から続いており、雨に削られて輪郭が崩れている一方、その中央には草が一本も生えていなかった。


 昨日や今日についた跡ではない。


 しかし、何年も車が入っていない道とも思えない。


 土木の現場では、轍の深さや草の生え方を見れば、道が最後に使われた時期をおおよそ判断できる。雨が何度も通った跡なら縁は崩れ、土の柔らかい中央部には雑草が戻り始めるが、目の前の轍は古びているにもかかわらず、つい先ほどまで何かが繰り返し通っていたように、道の先へまっすぐ続いていた。


 仁は車を止め、窓を開けた。


 雨上がりの山なら、沢の音や葉から落ちる雫、鳥や虫の声が絶えず聞こえるはずだったが、その林道には、車のエンジン音を除けば何もなかった。


 仁がエンジンを切ると、静けさはさらに深くなった。


 耳が詰まったのかと思い、唾を飲み込んでみたが、自分の喉が鳴る音だけが妙に近く聞こえ、森の中からは、風が枝を揺らす音さえ返ってこなかった。


 図面を確認すると、調査地点まではまだ距離がある。


 引き返すほどの異常ではないと判断し、仁は再びエンジンをかけた。


 そのとき、フロントガラスの先で、轍の脇に溜まっていた水が小さく揺れた。


 何かが前方を通ったように見えたが、ライトの届く範囲には人も動物もおらず、泥の上には、二本の古い轍だけが山の奥へ伸びていた。


 仁はしばらくハンドルを握ったまま動けずにいたが、やがてアクセルを踏み、轍の上へ自分のタイヤを重ねた。

新作を始めました。

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初心者で拙い部分があるとおもいますが…よろしくお願いいたします

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