第4話 A Leader’s Judgment
激しい雨が山を叩いていた。
夜の山間部では濁流となった川が橋脚を飲み込み、山道では小規模な崩落が連続して発生していた。
「東部山間区域、道路完全寸断!」
「通信障害拡大しています!」
「孤立集落3箇所確認!」
本部地下2階、災害統括室。
大型モニターへ次々と警報が表示され、統括室の空気はすでに緊迫していた。
シュー……
酸素音だけが静かに響き、統括席に深く座ったまま蒼真が地図を睨みつけていた。
「橋落ちたな」
「完全に孤立した」
蓮もモニターを見ながら低く呟いた。
停電、第一との通信不安定に加えて道路も崩落。
山間部集落が次々と地図上から切り離されていく。
葛城が新しい情報を表示する。
「高齢者多数、避難遅れの可能性あり」
「医療搬送必要者も居る」
蒼真は小さく舌打ちした。
「最悪だな」
その瞬間、ピキッ……肩へ鈍い痛みが走る。
「……っ」
隣で蓮も腰を押さえた。
「痛ぇ……」
「分かる……」
2人とも真顔だった。
数秒後、蒼真はモニターを睨みながら低く呟く。
「……低気圧の野郎……後で殴る」
葛城が額を押さえた。
「だから低気圧は殴れねぇんだよ」
しかし蓮は普通に頷いている。
「今回はかなり悪質だ」
「補佐官まで敵認定すんな」
統括室でクスクスと笑い声が起きていた。
奏は資料を手に持ち堪えきれずに笑っていた。
現場を引退した奏は災害統括室のオペレーター達を纏めてくれている。
その時だった。
ピコン――新しい警報が大型モニターに表示された。
『東部第三区域、完全孤立』
『橋梁崩落確認』
『陸路進入不可』
蒼真の目が静かに細まった。
「人数」
「集落住民32名」
「うち透析患者2名、高齢者多数」
奏の声に統括室が静まり返る。
通常車両では入れない。
重機搬入も困難。
道路復旧まで時間がかかる。
つまり“今、行ける手段”が必要だった。
シュー……
蒼真はゆっくり息を吐くと視線が大型モニターの端へ向いた。
格納庫映像。
そこに映っていたのは――漆黒の機体。
災害統括空中機動指揮機 零式統括機。
通称――マットブラック。
蒼真の視線に気がついた葛城と蓮の空気が僅かに変わった。
その様子に若いオペレーター達が思わず息を飲んだ。
あの首都壊滅まで引き起こした未曾有の本震以来ほとんど出る事の無かった“翼”。
「飛ばすか」
蓮が蒼真に問いかけた。
蒼真は数秒だけ黙っていた。
本震。
ヘリ降下。
崩落。
埋没。
蒼真の脳裏を一瞬だけ過ぎる。
だが蒼真は静かに口を開いた。
「……今回は、怪物運ぶ為じゃねぇ」
その声に統括室が静まる。
蒼真はマットブラックを見つめたまま続けた。
「帰れねぇ奴らに帰る道作るぞ」
総統の声だった。
酸素マスク越しでもその声はまっすぐに統括室に響いていた。
「……雨が弱まったら離陸出来るように準備しろ」
奏がオペレーター達へ指示を飛ばす。
「航空管制に飛行許可取る」
葛城も動き出す。
蒼真は格納庫映像をまだ見つめていた。
そんな蒼真に白石が声を掛けた。
「……住民32人、第一隊員5人にお前と黒瀬、医療班4人…マットブラックの最大搭乗数は20人だぞ。神代、お前何往復するつもりだ」
「3往復」
白石の問いに蒼真は迷う事もなく即座に答えた。
「……医療班は神代蒼志、東條渚の2名に絞る。俺と補佐官の4名で向かう。到着後、透析患者2名と高齢者優先搭乗、医療班2名と俺、最大20人で戻る。河上、福地で本部で透析患者受け入れしろ。戻って、子供と女性の優先搭乗。第一と補佐官は最後だ」
「ふざけんな、3往復もお前の肺が持つか」
「高濃度酸素マスク着用、酸素流量調整すればいい。その為に医者と行動する」
蒼真はモニターから視線を白石に移した。
「俺が乗らなきゃ、飛べねぇ」
マットブラックは現状、総統搭乗時のみの運用となっている。
マットブラックを飛ばすと言う事は蒼真が乗ると言うことを意味している。
「……ま、神代蒼志の腕に掛かってるな」
蒼真は蒼志に視線を移すとニヤッと笑う。
お前なら大丈夫だろ。と言う父の視線が蒼志には痛かった。
思わず、視線を逸らす為に俯いた。
ここで自分が父の翼を折る事だって出来る。
でも、それは帰せる人を帰せなくなる事だ。
そしてこれは父からの頼みではなく、
総統からの指揮命令だ。
「……白石先生、高濃度酸素流量の設定、教えてください」
蒼志は顔をあげると覚悟を決めたように白石を見つめた。
「……分かった」
蒼真の通常酸素流量は自宅でも設定を蒼志は行っていたが、高濃度酸素マスクは蒼真は必要時以外、使用を控えている。
蒼真本人の希望と白石の判断からだった。
加えて…蒼真の電子カルテは総統就任時の34歳から閲覧制限が掛けられており、蒼志もまだ蒼真の全てを知っているわけではなかった。
ーやがて雨は弱まる。
零式統括機の飛行許可も降りていた。
本部前に搭乗を待つマットブラックを見上げる蒼志の目は揺れていた。
13年前の大地震。
大型商業施設、崩落。
埋没した父の姿。
あの日の父の声。
抱き抱えられ、乗り込んだ機内。
挿管され慌ただしく処置をされる父。
どれも鮮明に覚えている。
「大丈夫ですか、蒼志先生」
看護師の渚が蒼志に声を掛けると、蒼志はハッとする。
ーもう、飛ぶって決めたんだ。
「……大丈夫」
本当はこの機体が怖い。
だけど、そんな事はもう言ってられない。
そうしている内に隊服を着た蒼真と蓮がやって来た。
既に蒼真は高濃度酸素マスクを着用し、車椅子を白石が押している。
「蒼志、高濃度酸素の設定大丈夫だな?」
白石が蒼志に念を押した。
蒼志が少しだけ不安そうに頷くのを見て、蒼真は薄く笑った。
「……今回は埋まらねぇから、安心しろ」
そして、立ち上がるとゆっくりとマットブラックへ搭乗する、
蓮も蒼真に続く。
「…まぁ高濃度酸素については黒瀬が分かってるから、安心しろ。勝手に流量弄っても黒瀬はほっといて大丈夫だからさ」
「いや…補佐官、何者なんですか、それ…」
「神代総統専属管理人?」
ニコッとしながら白石が首を傾げた。
ゴォォォォ……
激しいローター音が雨の夜へ響いていた。
漆黒の機体――マットブラック。
その機内には緊張した空気が流れている。
蒼志は向かい側へ座る蒼真を見つめていた。
高濃度酸素マスクから静かに響く酸素音が振り払おうとする蒼志の記憶を呼び起こす。
シュー……
シュ……
だが蒼真はそんな蒼志の視線に気が付くと、少しだけ眉を上げた。
「なんだ」
「……いえ」
蒼志は誤魔化すように視線を逸らした。
その横で蓮が窓の外を見ながら口を開いた。
「間もなく孤立区域入る」
その瞬間だった。
ガタッ――
機体が強風に煽られ揺れる。
蒼志と渚は咄嗟に機材を押さえた。
「っ……!」
しかし蒼真と蓮は揺れた機体の中でも冷静にモニターを見ていた。
「風速」
「瞬間最大17」
操縦士の声に蒼真は小さく舌打ちした。
「ギリだな」
「帰りが面倒臭ぇ」
蓮も低く呟く。
その空気に蒼志は少しだけ安心する。
いつもの2人だ。
やがて暗闇の中に小さな灯りが見え始める。
孤立集落。
停電している筈の集落には、住民達が焚き火や懐中電灯で必死に合図を送っていた。
「見えた!」
渚の声と同時に。
『こちら第一!着陸地点確保済み!』
無線越しに悠真の声が響くと蒼真の表情が少しだけ緩んだ。
「……生きてたか」
『誰が簡単に死ぬか!!』
悠真の怒鳴り声に機内で小さく笑いが漏れる。
マットブラックはゆっくりと集落中央へ降下を始めた。
吹き荒れる風。
雨と泥。
その中心で第一が住民達を庇うように立っていた。
マットブラックの扉が開くとすぐに蒼真の声が響いた。
「医療班先行!!」
蒼志と渚が飛び出すと即座に蒼真は第一へ指示を飛ばす。
「透析患者から乗せろ!!」
「子供と高齢者優先!」
「第一、住民誘導補助!」
酸素マスク越しとは思えない程、蒼真の声は通っていた。
住民達が次々とマットブラックへ乗り込んでいく。
その中で悠真が泥だらけのまま蒼真へ駆け寄った。
「父さん!まだ山側の家のーー」
「行くな」
住民確認が終わり切っていない箇所だった。
確認に行くと言おうとした悠真の言葉に被せるように蒼真は即答だった。
悠真が息を呑む。
蒼真は真っ直ぐ悠真を見ていた。
「今のお前じゃ帰れなくなる」
その声に悠真が言葉を失い、悔しそうに唇を噛む。
蒼真はそれだけ言うと住民側へ視線を戻した。
その背中を悠真は黙って見つめていた。
第一便への住民の搭乗が終わり、蓮が人数を確認した。
「……総統と医療班2名含み20名」
「予定通りだな」
蒼真は頷くと再びマットブラックへ乗り込む。
その時だった。
ゴゴゴ……
山が低く唸るような音を立て全員の顔色が変わる。
次の瞬間。
ドゴォォォン!!!
山肌の一部が崩落した。
その場所は悠真が確認をしたいと言おうとしていた、その場所だった。
土砂と木々が轟音を立てながら道路を飲み込んでいく。
悠真の顔は青ざめていた。
あのまま振り切って確認に行って居たら…。
父はどこまで見えていた?
怪物。
悠真もそう呼ばれる父の意味を少しずつ分かり始めていた。
蒼真だけは崩落した山を静かに見つめた。
「補佐官の指示に従い、第一隊員は引き続き住民の安全確保」
そう言ってマットブラックのハッチを閉めた。
座席に座るとすぐに通信を繋ぎ、統括室の葛城に指示を出す。
同時にマットブラックもゆっくりと浮かび上がる。
「零式統括機、最大巡航速度維持して本部帰還。住民降機完了後、すぐ出る。医療班受け入れ準備しとけ」
『了解』
そしてマットブラックは雨の夜へ戻っていった。




