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第四章① ソフィー

 目を覚ますと、木で組まれた天井が見えた。

 ソフィーは柔らかな寝台に仰向けに寝かされており、毛布が丁寧にかけられている。

 ここはどこ——と戸惑いながら起き上がろうとした途端、全身に痛みが走り、思わず短く呻いた。

「お、起きたのか」

 不意に声がして、ソフィーは視線を向けた。

 そこには、あのだらしない態度の男——マテオが椅子に腰かけていた。美しい顔立ちのくせにまるで中身が追いついていない。

 マテオは軽く眉を顰めながら、人差し指で自分を指して訊いた。

「……オレの言葉、わかるか?」

 ソフィーは弱々しく頷いた。

 幸い、彼女は母語であるフランス語に加えて、カスティーリャ語と英語を理解していた。

「まだ痛いだろ? これ、使え」

 マテオは無造作に何かを放り投げた。

 ソフィーは慌ててそれを受け止める。手に触れたのは冷たい布袋——中には氷が入っていた。

「それで頭を冷やせ」

 無愛想ではあるが、気遣いのつもりらしい。ソフィーは「ありがとう」と小さく礼を述べた。

「気の毒にな。お前の仲間、さっさと逃げてったぜ」

 マテオは鼻で笑ってから、続けざまに語り出した。

「あの嵐は、まるで何かの嫌がらせだったな。オレたちは天候の読みには慣れてる。一度目の突風が来た時は、誰だって構えてた。でも二度はないだろう、って油断したんだ。戦ってる最中だったからな。ま、そうなりゃ海軍の連中も戦闘どころじゃない。オレたちと同じく、生き延びる方を選ぶしかなかったわけだ」

 その言葉を聞いた瞬間、マクシムに突き飛ばされた記憶が脳裏をかすめた。

「……まあ、そういうわけで、そこにいるコリンもお前の仲間にやられた。運が悪かったな。元はと言えば、戦闘に出さなけりゃよかったんだが」

 マテオの視線の先には、もう一台のベッドがあった。

 そこに横たわっているのは、まだあどけなさの残る少年だった。

 ソフィーには見覚えがある。あの戦場で、まるで獣のように素早く動いていたあの少年だ。

 やがて、少年が小さな呻き声を漏らして目を開けた。

「お、起きたか」

 返事はない。少年は身じろぎして体を起こそうとしたが、すぐに右腕を押さえ、顔をしかめた。激しい痛みが走ったのだろう。

「無理すんなよ。まだ治りかけなんだから」

 マテオは椅子から立ち上がり、少年——コリンの腕を診察する。

 そこへ、勢いよく扉が開き、長身の赤髪の男が入ってきた。

「マテオ、二人の容態は?」

「ジャスパー。ああ、目は覚ましたけど、さてこの先どうするかね」

「ルキフェルが話す気になるまで、待てばいいよ」

 適当に言いながら、赤髪はコリンのそばへ歩み寄った。その顔立ちはどこか人懐っこいが、目元だけは鋭い。

 ようやく名前が分かった。マテオと呼ばれた男が先ほどの美男子で、赤髪がジャスパー。たぶん、指揮官か。ソフィーは頭の中で情報を整理する。

「コリンの腕、やっぱり駄目か。切るしかないのか?」

 マテオの言葉に赤髪は無言で頷き、包帯をほどいて傷口を確かめる。

 ソフィーも思い出した。シャルルの銃が火を噴いた、その時の——。

「……これ、シャルルさんの仕業?」

 ソフィーが思い切って口を開くと、マテオが振り向いた。

「オレンジの髪に眼鏡のやつだろ? ああ。貫通はしてないけど、弾は残ってる。オレは医者じゃないから分からんけど、神経も骨もやられてるだろうな」

 マテオは肩をすくめた。その仕草には、専門家ではない者の諦観が滲んでいた。

「使い物にならない、ってこと……?」

 ソフィーの言葉にジャスパーは目を細めた。冷たい判断だが、間違いではない。

 その言葉が意味するものを、ソフィーは嫌というほど知っていた。

 使い物にならない。つまり——切断。

「待って。その子の治療、私にやらせてくれない? 私なら……腕を切り落とさずに済むかもしれない」

 気づけば咄嗟に声を上げていた。なぜだか、この少年を放っておけなかった。

「あんた、医療の心得があるのかい?」

 ジャスパーに問いかけられて、ソフィーは深く頷いた。

 海軍にいた頃から、彼女は切断に頼らず助ける方法を探し続けていた。

 銃創や裂傷に対し、針と糸で縫合する技術。慎重に患部を洗浄し、出血を止め、縫い、そして感染を防ぐ。

 この技術は、今まさに活かせる。

 ジャスパーは一瞬考え、静かに頷いた。

「わかった。コリンが嫌がらなければ、あんたに任せようか。おれだって、仲間の腕を切り落とすのは気が進まない」

 ジャスパーは微笑み、マテオも無言で頷いた。

 ソフィーは海軍制服のポケットから手際よく道具を取り出し、机の上に広げた。

 その中に、マクシムからもらったマンドレイクの乾燥片がある。強力な鎮痛作用を持つ草根で、少量なら意識を落とす効果もある。

「おい、それ……毒じゃないよな?」

 マテオが思わずソフィーの腕を取った。指先に微かな震えがあった。額から汗が一筋流れている。

「マンドレイク。少しだけ口にすれば、眠り始める。……痛みを感じずに済むはずよ」

 彼女の言葉に、マテオは一瞬視線を逸らすも掴んでいた手を離した。

 ソフィーがその根を少年の口元に持っていくと、コリンはゆっくりと意識を手放して眠りについた。

 ソフィーはすぐに作業に取りかかった。弾丸を摘出し、傷口を洗浄。出血を止めると縫合を開始した。外の騒がしさが遠く感じられるほど、集中していた。

 やがて最後の糸を切り終えると、ソフィーは深く息をついて手を拭った。

 その時、いつの間にか出ていったジャスパーが医務室に戻ってくるなり口を開いた。

「無事に終わったみたいだな。……半分疑ってたが、本当だったんだな」

 ソフィーはジャスパーに微笑みかけて道具の整理を始める。

「思ったより傷が浅くて助かったわ。……この子、丈夫な身体してるみたいね」

「だろ? 意外と打たれ強いんだ」

 マテオが頷くと、ソフィーが彼の義手に目を留めた。

「ねえ、その腕……すごく精巧に見えるけど、どんな仕組みになってるの?」

「興味あるのか? ほら、見てろよ」

 マテオは肩まで袖をたくし上げ、義手を見せてくれた。

 まるで異形の工芸品のようだった。人骨を模したような細い指、関節部に埋め込まれた金属軸、そして肘の内側には歯車と巻き取り式の糸車が組み込まれている。

 それに、細かな金属のガード装飾。あの時、キラリと光ったものはこの金属の装飾だったのか。

 ペネロペの剣を受け止めた時の傷がしっかり刻まれている。

「見ての通り、素材はバラバラだ。指の一部は細工された骨、関節やフレームは鋼鉄、肘のこの巻き軸でロープを調整してる。こいつが動けば、腕がしなやかに動くってわけだ」

 実際にマテオが手を握ったり開いたりすると、歯車がカチリと音を立てて連動する。

「誰がこんなものを……?」

「そこで寝てる奴、コリンさ。あいつの作品だ」

 思わずソフィーは目を見張った。

「……冗談でしょ?」

「本気だよ。あいつ、ちょっとした天才だ。水を浄化する装置も作るし、帆船の帆もワンタッチで操作できる仕組みにしてる。ま、ぶっ飛んでるが」

 ソフィーとマテオはしばし口論まじりに語り合っていたが、そこへジャスパーが口を挟んだ。

「ああ関係ない話するけどごめん、交渉は保留だ。あいつ、船長室にこもってる。しばらくは口をきけないらしい」

 ジャスパーの言葉に、ソフィーとマテオは視線を交わし息をついた。

「仕方ねぇな、出てくるまで待つしかない。……あいつ、責任を感じてんだろうよ。自分だけじゃなく、みんなを巻き込んでしまったって」

「それもあるだろうけど、船長を偲んでるのかもな。長い付き合いだったみたいだし」

 ジャスパーの言葉が船医室に落ちた、その時。

 金髪の青年が廊下から顔を出した。

「天候、少し落ち着いたよ。進路はトルチュ島方面に向けてる。……少し揺れても、もう安心していい」

 ジャスパーが青年に視線を送るなり微笑んだ。

「ありがとうな、ニール」

 ニールがソフィーを見つけるなり爽やかな笑顔で手を差し出した。

「ようこそ、海軍医さん。僕はニール・セイルハート。フランソワの船では航海士だったんだ。君の勇気、見ていたよ」

「ありがとう。ソフィー・ド・ルノアール。海軍医よ」

 差し出された手に応じて、ソフィーが握り返す。

 マテオが小声でぼやいた。

「オレはヒヤヒヤしたけどな……まったく、何言い出すかと思ったぜ」

 彼の言葉にジャスパーは苦笑していたが、ふと真顔になった。

「そういえば、ソフィー。……あの時、あんたはアイツらに何を言われたんだ?」

 三人の視線が一斉に自分に注がれた。ソフィーは一瞬躊躇したが、心に巣食っていた怒りとやるせなさが言葉を突き動かした。

 裏切られたのだ、あの男に。せめてこの憂さだけでも晴らしてやりたい。

「……あの傷の男が人質を取ったとき、なぜ彼がそこまで必死なのか気になって、参謀官殿に尋ねたの。そうしたら、海賊には掟があるって教えてくれたのよ」

「掟?」

 ニールが首を傾げる。

「うちにも船上のルールはあるけど、それがどうかした?」

 ソフィーはうなずきながら続ける。

「その人が言うには、フランソワ海賊団には『同胞の命を絶った者には、同胞と同じ死を与えよ』という掟があるんですって」

 その瞬間、場が静まり返った。

「……待て、そんなものはない」

 マテオが眉をひそめる。

「そもそも復讐は、あいつ……ルキフェル、が勝手に始めたことだ。オレたちは止めるタイミングを逃しただけ。規律のせいじゃねぇ」

「つまり」

 ジャスパーが言葉を継ぐ。

「あんたはこう言いたいのかい? その参謀官とやらが、意図的に君に嘘の掟を教えた、と」

 ソフィーは悔しさを堪えるように息を吐いた。

「ええ……今思えば、おかしな話だった。けど、私は仲間を救いたい一心で、あの情報を信じて動いたの。浅はかだったわ」

「違うさ」

 ジャスパーがきっぱり言った。

「君は間違ってない。正しいと思った行動を取った。それだけだ」

 その真っ直ぐな言葉に、ソフィーの胸の奥に張り詰めていたものが少しだけほぐれていくのがわかった。

「……海軍もなかなか策士だね」

 かすれた声が割って入る。いつの間にか、コリンが目を覚ましていたようだった。

「コリン、大丈夫?」

 ニールが声をかける。

「まあまあかな。それより話の続きを聞かせてよ」

 十六か、十七といったところだろう。まだ幼さの残る顔立ちだが、その目には好奇心と皮肉が同居していた。

「私は、その掟を逆手に取って、彼に復讐を思い留まらせようとした。けど、それが嘘だったなんて……。参謀官に事実を明かされたときは、本当にショックだった」

「さんぼーかんって?」

 コリンの疑問にソフィーが答える。

「作戦の指揮や分析を担当する、隊長の補佐役よ。あのオレンジ髪の眼鏡の人」

「ああ、ジャスパーとニールがケンカ吹っかけたアイツか」

 マテオが思い出したように笑う。彼の言葉を受けてニールが慌てて口を挟み、ジャスパーはただヘラヘラしていた。

「ちょっと、それは誤解だよ!僕は正義の名のもとに成敗しようとしただけなんだからね」

「おれは、隣にいた目つきの悪い男が嫌いだったから殺したかっただけー」

「……ねえ、誰かぼくの安否を心配してくれてもいいんじゃないの?」

 海賊たちの口々の応酬に、ソフィーは呆れながらもどこか安心していたが、ふと思い出したように問いかけた。

「そうだ、フランソワが亡くなったとき……あなたたち、現場にいたの?」

 再び場が静まる。四人の顔に陰が差した。まず、マテオが口を開く。

「……いや、オレたちが駆けつけたときには、もう終わってた。お前の言葉を信じるなら、船長は自ら海に飛び込んだよな」

「船が爆破されて、波間にあの帽子が流れてきたんだ」

 コリンが口を挟んだ。

「それで確信した。あの帽子は、船長が生前いつも被っていたものだったから」

 そこへ、ニールがコリンの話に補足する形で入ってくる。

「だから、てっきり敵にトドメを刺されたと思ってたよ」

「……となると、あの戦闘狂は早合点して、海軍相手に本気でやり返すところだったのか。あいつ、マジでやらかすところだったな」

 マテオが頭をかく。それぞれが言葉を失う中、ジャスパーが真面目な眼差しでソフィーを見つめる。

「あんたが見たこと、教えてほしい。船長の最期……どうだったんだ?」

 彼らの真摯な瞳を前に、ソフィーはまっすぐに口を開いた。

「……彼は、深手を負いながらも追手を振り切って、海へ飛び込んだわ。笑っていた。『この首、渡さない』って、そう言い残して」

 しばらくの沈黙。

「わかった。あんたが見たことを信じよう」

 ジャスパーが静かに言った。


 その後のことは、しばらく棚上げとなった。

 ソフィーの処遇を決めるには、もう一人の仲間――“彼”の判断を待つ必要があるらしい。

 そうして彼女は、医務室に半ば監禁されたまま三日を過ごした。

 コリンは想像以上の回復力を見せ、包帯が解かれると早々に自室と作業場に戻り、何やら黙々と作業に没頭し始めた。

 ある日、窓の外から男たちの口論が聞こえてきたが、ソフィーにはその理由を知る術もなかった。

 ただ、それがやがて彼女の運命を揺るがす出来事へと繋がっていくとは、この時点では思いもしなかった。

 一週間後、ようやくジャスパーが医務室に現れた。

「来てほしいってさ。船長室に」


 あの男……ようやく重い扉を開けたのだという。


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