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「ギュィー……」
「お、おい! こいつ等を早く叩きのめせっ! 動けよっ! 何やってんだよっ!」
「契約の鎖を断ち切ったから、ハロルドの命令は聞かな……っ……そん、な……酷い。なんでっ!」
召喚術で具現した幼龍は、ぐったりと地面に伏せている。その幼龍の首元には、竜殺しの短剣が刺さっていた。傷口は、癒えることなく血を流し続けている。ウィルが幼龍に駆け寄るが、動くこともままならない様子だ。
「なっ! 何、勝手なことしてんだっ! そいつは俺のだ! 触ってんじゃねえっ!」
「五月蝿い! っ! っああああぁっ!」
ハロルドを怒鳴りつけ、竜殺しの短剣に手を掛ける。禍々しい魔力が宿る短剣は、ウィルの手まで毒そうとしてレザーグローブと皮膚を焼く。だが、ウィルは歯を食い縛り、短剣を引き抜いて投げ捨てた。
「痛いよね。……今すぐ治すからね!」
「おい。何、勝手なことしてんだよ! あがっ!」
騒ぐハロルドを、再び光の束縛魔法で戒めたマーシャルは、ウィルに這い寄ろうとするハロルドをハワードと二人で押さえつけて、ウィルの様子を見守る。アレクサンドラもマーシャル達の場所に移動して、その様子を見詰めた。
大地には巨大な魔術陣が形成され、ウィルの魔力が龍刃連接剣に集まっていく。
『命の根源 噴き出でる力 響く歌声 彼の者の鼓動を呼び戻せ 蘇生』
「そんな……。治癒術が、効かない?」
「へっ。お前なんかに、どうにかできるわけがないだろ!」
目の前でハロルドが喚いているが、ウィルの耳には入っていない。ウィルが最大限に魔力を込めた治癒魔法を施しても、幼龍の傷口は塞がらない。他に何か……と考えて、思い当たるのは、緑龍から聞かされた話だった。
龍は、大地を巡る龍力を糧として生きていると。だから食糧は、それほど必要としないのだと。それを可能としているのが、龍術だと。
それに、卵の状態で奪われたならば、幼龍は母龍から貰い受ける龍力も受け取れていない。
迷っている時間は、残されていない。ウィルは唇を噛み締め、龍刃連接剣をギュッと握り、前にいる三人を見詰めた。
「マーシャル、ハワード、アレクさん、ごめん」
『光の守護 結界領域』
彼等に加わる魔力が少しでも和らぐように結界を張ると、心の中でフォスターと緑龍にも謝罪した。龍刃連接剣を前に突き出し、目を閉じる。その瞬間、パリンッと音を立て、魔力制御装置が全て弾け飛び、髪留めも砕け散って、ウィルの長髪が舞った。
マーシャルが。ハワードが。そしてアレクサンドラも、結界の内側から、ウィルに向かって叫んでいる姿が目に映る。
「大丈夫だよ。絶対、助けて見せるから……」
そして、ウィルは視線を彼等から幼龍へ向けた。
『劫初から劫末 流れる龍脈 噴き出でる力 仮初の依巫に宿る』
ウィルは、暴走しようとする自分の魔力を練り上げて、龍力に変換していく。渦巻く龍力に身体の方が悲鳴を上げる。身体中に痛みが走り、皮膚が裂けていく。
「っ! ……必ず、助けるよ。だから、見ててね」
空を見上げ、三年間ずっと側にいてくれた存在を思い出す。緑龍から『其方に、その悲しみを晴らし、恨みを消し去ることが出来るかの?』と問われて、何も出来ないとウィルは感じた。これで、龍の眷属が再び失われるようなことになれば、フォスターは益々、人族を許すことが出来なくなってしまうのだろう。益々、悲しみ、そして人族を、フォスター自身を恨むのだろう。
それを阻止するためにも、幼龍と櫻龍を助けるのだと強く念じる。ウィルの周りに渦巻く龍力を龍刃連接剣へと集積させ、ウィルは詠唱した。
『癒し水』
龍刃連接剣に溜め込んだ龍力を、一気に解放して、幼龍へと注ぎ込んでいく。その龍力を吸収して、幼龍の傷口が徐々に小さくなる。それでも、ウィルは龍力を注ぎ続けた。ハロルドの乱暴な扱いや命令の所為で、幼龍の龍力が枯渇しかかっている。それ故に、幼龍は傷を癒すことも、櫻龍の元へ帰ることも出来なくなっていた。
「お母さんのところに帰ろうね」
『オカア……サ、ン?』
「そう、お母さん」
『オカアサン、オカアサン!』
お母さんという言葉に、今まで微動だにしなかった幼龍が、僅かに反応を示す。ウィルは、幼龍を安心させるように笑い掛けると、龍力の流れを止めた。その瞬間、ウィルはごふっと吐血する。予想していた以上に、器への負担が大きい。
『ダイジョウブ?』
頭をもたげた幼龍は、心配するようにウィルを見ている。その頭にウィルが手を当てると幼龍は頭を摺り寄せてきた。
「ありがとう。僕は、大丈夫。きっと……こんな気持ちだったんだね」
人を恨む気持ちは、わからない。しかし、悲しさと怒りならウィルにも分かった。
「僕の龍力を上げる。だから櫻龍の場所へ、連れて行ってくれる?」
『タベテ、イイ……ノ?』
「うん。だけど、全部は駄目だよ? 櫻龍も苦しんでるから、助けなきゃ」
魔境に広がる濃い闇の気配。その闇は、幼龍を奪われた櫻龍の嘆き、悲しみ、苦しみを大量に含んでいる。濃さは、酷くなる一方だった。
幼龍から結界領域へ目を向ければ、膝をつき、苦しげに顔を歪めるマーシャル、ハワード、アレクサンドラの姿がウィルの目に映る。耳飾りが砕け、かなりの時間が経っている。結界領域があるとはいえ、ウィルの濃厚な魔力を浴びて、意識を手放さなかったのだ。ウィルは、素直に凄いと感じていた。
「これを、壊せ」
「壊すことは、出来ないよ。ハワードとマーシャルは、それでも意識を保てるだろうけど……」
ハワードは、苛立たしそうにウィルを睨みつけると、短く呪文を唱えて擬態を解いた。短かった髪が伸び、肌の色も一層、白くなる。なにより耳の形状が変わっていった。隣に居たマーシャルは、驚いた様子でハワードの姿を見詰めている。
「ウィル⋯⋯。俺達は、それほど頼りないか?」
以前にも同じ言葉をハワードから投げ掛けられたことウィルが思い出していると、ハワードは立ち上がり、ウィルを睨みつける。擬態を解いて、制限が解除されたのだろう。顔を上げたハワードは、呼吸も全く乱れていない。
「違うよ。信じてるから。……今のハワードやマーシャルには、櫻龍の悲痛な思いが聞こえるでしょう?」
「そんなことは、どうでもいい。これを破壊されたくなかったら、解除しろっ!」
「どうでもよくないよ。僕は、櫻龍も助けるんだっ!」
ハワードが、ドンっと結界を殴るとピシッと亀裂が入る。それでもウィルは、頭を横へ振った。結界を解除すれば、マーシャルはともかく、ハロルドとアレクサンドラは確実に意識を失ってしまう。
「駄目だよ、ハワード。僕は、櫻龍に会いに行く。ガイもそこに居るから」
「ウィル!」
ハワードに背を向け、幼龍へと歩き出せば、天から一筋の光が地面へと衝突する。それは、光の粒子となって三層に重なった魔術陣へと姿を変えた。
「ありがとう、フォスター」
ウィルは、空を見上げて、ポツリと呟いた。
「あーあ。また、下界に干渉したでしょ?」
「何の話だ?」
「とぼけちゃってー。……また、レマニーがお説教にくるよー?」
ロッツェが、執務室へ具現するとフォスターは一瞥して水鏡へ視線を戻す。水鏡に映るのは、幼龍と共に在るウィルと、少し時間をずらし瞬間的に転移させられたハイエルフ、亜人、人族二人の姿。
「……ああ、あれか。調和を司る神」
「レマニーのこと、忘れないであげてよね。この間も説教されたばかりでしょーに」
「面倒だ。会えば、思い出す」
ロッツェが呆れた様子を見せても、フォスターは見向きもしない。ロッツェも、水鏡へと視線を向けてウィルを見詰める。
「この魂君、輝きが増したね。器はボロボロだけど、魂自体はキラキラしてる。しっかし、面白いことになっちゃってるねー? 幼龍どうするの? 完全に勘違いしちゃってるよ? 魂君、気付いてないよねー?」
「仕方あるまい。……暫く、場を離れる」
「あー。また、書類とお説教が増えるよ?」
「構わぬ。それに魂を我に与えたのは、レマニーだ。責任ならば、奴にもある」
ロッツェは、姿を消したフォスターの存在していた場所を見て、クスリと笑った。
「あーあ、行っちゃった。まあ、フォスターの命令違反なんて、いつものことだしねー。でも……」
古くから伴にある存在。友を失い、笑うことを忘れ、己を恨み、自ら時を止めてしまった。その存在が、自ら動き出したのだ。
「自分だけ救われるとか狡いよね? フォスター」
ロッツェは水鏡に映る少年を見て、歪んだ笑みを見せた。




