066
『ハワード、ただいまー。あのね、あのね、大精霊様にお声を掛けてもらえたのよー。嬉しかったのよー』
『とても綺麗だったの。凄かったの。キラキラだったのー』
『眩しかったのよー』
『褒めてもらえたのよー』
張り詰めた空気を破壊したのは、小さく淡い光。幾つもの光が具現し、クルクルとハワードの周りを飛び回っている。ガイにも視えるのだろう。驚いた様子で動こうとしない。ハワードは、ガイから視線を外し、その光たちに笑みを向けた。
「そうか。それは、良かったな」
淡く発光して、ハワードに語り掛ける者。それは、精霊たちの光だった。ハワードの友であるドライアドだけではない。シルフ・フラウ・ノーム・ウンディーネ。其々が、ノーザイト要塞砦に住むエルフ族が連れている友たちだ。
「嬉しいのは分かったが、人前では大人しくしている約束だったろう?」
『ごめんなさーい』
『また、遊んでね』
『お話、いっぱいしたいのにー』
『またなのよー』
『喧嘩は、ダメダメなのよー』
『怒っちゃ、ダメダメなのよー』
キャハハ、ウフフと笑い声を上げなから精霊たちは、ハワードの周りを飛び回り、次々と空へ消えていく。恐らく険悪になった雰囲気を壊すため、意図的に精霊たちは姿を見せたのだ。
最後まで残っていたドライアドが消えたことを見届けて、ハワードはウィルへ目を向けた。ガイの腕に収められているウィルは、未だ精霊が消えて行った空を見詰めている。
「ウィル。そして、ガイ。お前にも忠告しておく」
「忠告?」
「ああ、忠告だ。お前達の世界は、余りにも狭い」
「俺達の世界?」
「他国で人族以外の種族が、どのような扱いを受けて来たか、お前も知っているだろう? この世界でオズワルド公爵領だけが種族間の隔たりがない。そして、それは人族同士でも同様のことが言える。オズワルド公爵領が特別なんだ。そのことは、絶対に忘れるな」
反応を示したのはガイだったが、ハワードは二人に背を向け、柵に掛けていた騎士服を手に取り、馬へと歩き出す。その先には、馬の手綱を握り、塀に寄り掛かるマーシャルの姿があった。
「まだ、家具屋は来ていない。マーシャルが返ってきたなら、俺は必要ないだろう? 詰所へ戻る」
「帰さないと言ったら、どうします?」
「……押し通るまで」
「それで容易く通れると思わないでくださいね? それに、私はハワードの意見に賛成です。アレでは、いずれウィルの成長を阻害してしまうでしょう」
ハワードが門を開けると、マーシャルより先に馬が歩みを進める。慣れているのか、中に入ると馬は水飲み場へと向かっていく。その様子を見届けて、マーシャルはハワードの前に立ち塞がった。
「逃がしませんよ?」
マーシャルは、いつも通り笑みを浮かべているが、その目には苛立ちが浮かんでいる。その姿を見て、ハワードは眉根を寄せた。僅かに、マーシャルから血の臭いがするのだ。
「マーシャル。お前、ここを出てから何があった?」
「何の事でしょう?」
「血の臭いがする」
「……それも、中で話しますよ。総長からの言伝も預かっていますからね」
「チッ。次から次へと」
総長からの言伝と聞いて諦めたのか、ハワードは大息を吐くと踵を返し屋敷へ足を進める。その後を、マーシャルも追った。
「ガイ、いい加減にウィルから離れなさい」
「だが……」
応接室へ入っても、ウィルから離れようとしないガイに、マーシャルは溜息を吐き出す。一昨日までは、ここまで酷くなかった。問題が起きたとすれば、この数時間の間に起きたのだろう。推論するまでもない。
「今のガイを見ていると、苛々するのですよ。それとも、拘束魔法で強制的に引き剥がしましょうか?」
「っ……。わかった」
「ウィル、貴方も同じです。二人は別々のソファに掛けなさい」
「はい⋯⋯」
渋々といった感じで動き出すガイと、項垂れたままトボトボと歩き出すウィルに、マーシャルは再び溜息を吐き出す。ハワードは座る気すらないのか、扉の近くに寄り掛かり、三人の様子をじっと見ていた。
「途中からですが、様子を見させていただきました。無理やり隠し事を暴くことは、私も悪いことだと思います。その件に関しては、ハワードが悪いのでしょう。ですが、Sランクの冒険者を目指すと言ったウィルを甘やかすことは出来ません」
「それは、まだ先の話じゃないか!」
「ええ。確かに、まだまだ先の話でしょうね。ですが、耳触りのいい言葉を与えるだけでは、ウィルの為になりません。ガイもウィルも、外の世界を知らなすぎるのです。そのことについては、私もハワードと同意見です」
反論するガイに、マーシャルは淡々と語る。
「ハワードが言っていたでしょう? オズワルド公爵領は、特別だと。実際、オズワルド公爵領から外に出たことのある者、外からオズワルド公爵領に入った者でなければ、その言葉の意味が正しく理解できないのかもしれませんがね」
マーシャルは一度言葉を区切ると、その理由について説明を始めた。
「国としての政策や指針は、どの貴族が治める領地でも同じです。ですが、派閥や主義によって、領民や冒険者の扱いは大きく異なります。人族至上主義であり貴族優先の領主が治める領地では、領民も冒険者も貴族に従うしかありません。余程高い能力を持つ冒険者でなければ、反論すること自体が許されません。たとえSランク冒険者であろうと反論すれば、即時捕えられ牢へ送られます。その後は、飼い殺しの未来が待ち受けているのでしょうね」
「そんなことが、許されるはずがないだろう!」
「ええ。勿論極めて一部の話ですが、そういう貴族が存在することも事実なのですよ。人族至上主義であっても、貴族あっての民という思考であっても健全な領地運営をしている領主の方が多いですがね。他種族に嫌悪感を抱いていても、レイゼバルト王国の方針のお陰で迫害まで至っていないのが、その証拠でしょう。私の父も、そのような領主の一人です。民に対しても貴族に対しても不正や犯罪は許さない方なので、まだマシな方なのですよ」
そう。レイゼバルト王国は、マシなのだ。
ローレニア帝国は、奴隷制度が健在である。同じ人族であっても奴隷に落とされれば、そこに人権など存在せず、物として扱われる。他種族に関しては、完全に物扱いだ。
ガルレキア連合国とデファイラント公国は奴隷制度は無いが、人身売買は行われており、他種族は迫害される。
唯一の例外が、ユニシロム独立迷宮都市だ。冒険者ギルドの総本部があり、都市に住まう者のほとんどが他種族である。しかし、そのユニシロム独立迷宮都市ですら、種族別に優劣があり、弱い立場にいる者たちが存在していた。
それ故に、他種族はレイゼバルト王国を、その中でも住み心地の良いオズワルド公爵領を目指すのだと、ひとつひとつを丁寧に説明していく。
「それならば、オズワルド公爵領から、出なければ問題ないではないか!」
「それは、不可能です。確かに、オズワルド公爵領には魔境が存在していますから、定住型の冒険者が多く存在します。但し、ランクが高ければ高いほど、冒険者ギルド上層部から強制的に依頼される案件も出てきます。それらの案件は地域を限定していません。レイゼバルト王国の冒険者ギルド上層部は、王都支部に在りますからね」
俯いているウィルの様子は窺えない。マーシャルは、ガイからウィルへと視線を移し、声を掛けた。
「ウィル。これは冒険者として大事な話です。しっかり聞きなさい。冒険者ランクが低い内は冒険者ギルド上層部の要請は断れません」
「……断れない」
「そうです。確かにハワードが話した通り、Sランクの冒険者であれば、依頼を選ぶ権利が与えられます。しかし、それ以外の冒険者は、病気や怪我で依頼を受けられない状況でない限り、国や貴族から依頼を受けることになります。実際、ノーザイト要塞砦騎士団が依頼する冒険者は、Aランク以上となっていることを、ウィルは知っているでしょう?」
「知ってる」
「高ランクになればなるほど、冒険者は貴族と接する機会が増えるのです。ハワードが、甘やかすことが出来ないと言ったのは、ウィル自身のためを思ってのことなんですよ」
「はい」
小さく返事をするウィルから、ガイへ顔を戻すとマーシャルは口を開いた。
「それでは、元の話に戻りましょう。何故、あのような話になったのですか?」




