065
マーシャルが大門脇の道でアレクサンドラに別れを告げ、詰所から馬で駆けてきた精鋭隊の騎士に呼び止められていた頃、ウィルは溜息を吐いて天井を見上げていた。
「そういえば、朝から何も食べてない……」
グウと鳴るお腹に手をやり、再び短く息を吐き出す。食事ならテントでも出来るのだが、ガイとの会話を思い出すと気持ちが沈み、どうにも動く気になれない。
それに、ガイは職務中でノーザイト要塞砦騎士団に帰っていたとしても、ハワードはマーシャルに品物の受取を頼まれており、屋敷に残っている筈だ。
「会話、ハワードにも聞かれてたよね。気が重いなあ。どんな顔して出て行けばいいんだろ」
『あらあら? そんな小さな悩みで、テントから出られなくなっていたの?』
「え……?」
ベッドに座るウィルの頭上に大精霊であるウンディーネが具現し、その顔を覗き込むとクスクスと笑った。突然の訪問に驚いた表情を見せたウィルだったが、話された内容に再び溜息を吐き出す。
「はあ……。そりゃ、ウンディーネにとっては小さいかもしれないけど、僕にとっては充分大きいよ」
『そうね。ウィルは、人として、とっても幼いものね』
「むぅ……。大精霊のウンディーネから見れば、みんな幼くなっちゃうよ」
龍王である緑龍のことですら、未だ未若いと言い出すウンディーネだ。この世界の殆どが若く見えているのではないだろうか。
『フフフッ、そうね。創生の時代から、この世界を見続けているのよ? 皆、充分若いわ』
不貞腐れるウィルの周りを、ウンディーネはクルンと一回りする。
『あの青年、ウィルと同じよ。とても純粋で、とても傷付きやすい。今だって、とっても悲しんでる』
「傷付けたのは、分かってるよ。だけど……」
『どうして、明かさないの?』
「どうしてって……怖いよ」
『どうして、怖いの?』
空中を泳ぐように飛び回るウンディーネへ、ウィルが視線を向ける。それを待っていたかの様に、ウンディーネは動きを止めた。
『ねえ、どうして?』
「それは……僕が、」
ウィルは言葉にすることを恐れたのか、途中で口を閉じる。しかし、それをウンディーネは許さなかった。
『その続きは、何かしら?』
「…………僕は、人族だけど、人族じゃない」
『あら? ウィルは、人族よ? ただ、歳を取らないだけ。だだ、それだけのことだわ』
「それが、普通じゃないんだよ。大体、僕の身体は、フォスターが創った魂の入れ物だ」
『そうねえ……。それじゃ、普通って一体何かしら? 普通って、大切な人を傷つけてまで守るほど大事なものなのかしら?』
「……え?」
ウンディーネの囁きに、ウィルは目を丸くする。ウンディーネは、ウィルの驚いた顔を見て、再びクルンと回り笑った。
『ウフフフフ。あの青年も普通の人?』
「それは……。ガイは、竜人族だよ」
『あら? そうね。でも、私から見たら、あの青年もただの人に見えるわ』
「確かに人だけど⋯⋯そういうのは、屁理屈だよ」
『でも、真理だわ。種族が違っても、みんなアルトディニアに暮らす人であることには、変わりがないもの』
そう言って、再びウンディーネがクルクルと回り出す。
『人族も、ドワーフも、エルダードワーフも、エルフも、ダークエルフも、ハイエルフも、竜人族も、亜人も、獣人も、人魚も、ハーフリングも、世界に生きる人は、みんな同じ人だわ』
「それを言ったら、ウンディーネ達もフォスター達も人の形をしてるから、みんな人になっちゃうよ?」
『そうね。でも、私達や神々は本来、姿を持たないの。存在するけれど、存在しない者。人に分かり易いように、形を保つ必要があっただけ』
「……ウンディーネの話すことは、時々難しすぎるよ」
『あら。答えは、自分で見つけるものよ? 私が全てを教えても、意味がないわ?』
ウィルは大息を吐くと、そのまま背を倒してベッドへ転がる。人という枠で見れば、ウンディーネの言う通り、どの種族も人だ。しかし、それはアルトディニアに住まう者達のことである。
「根本的に話がずれてるよ。僕は、世界の理に反した存在なんだ。誰もが歳を取るのに、僕は不老なんだ」
『でも、不死じゃないの。何時か必ず、ウィルは死ぬ。それは、千年先かもしれない。でも、もしかしたら、明日かもしれないわ』
ウンディーネは顎に人差し指を添えて、考える素振りをして見せた。
『そうね。ならば、ウィルの目的は、何だったか思い出してみてごらんなさい』
「僕の目的……? 冒険者になって、静かに暮らすことだけど……」
『なら、別の場所へ行けばいいわ。悩みたくないのでしょう?』
「そんなこと、出来ないよ!」
にっこりと微笑んで提案するウンディーネに、ウィルは飛び起きて反論する。
「アレクさんとメリッサさん、それにノームの依頼だって受けたんだよ? オーウェンも冒険者になるんだよ? 家だって、みんなで住めるように準備してるのに……。みんな楽しそうにしてるのに、そんなこと出来るわけがないよ!」
『そうね、出来ないわね。じゃあ、どうしたいの?』
ウィルの答えが分かっていたのだろう。ウンディーネは、うんうんと頷いて見せる。
「それが分からなくなってるから、困ってるのに……」
『そうね。じゃあ、ひとつだけ教えてあげるわ。ここでウジウジしていても仕方がないってことなのよ』
「う……ウジウジって」
『そういう姿を、人は往生際が悪いと言うんじゃなかったかしら?』
「ううっ……。ウンディーネの意地悪! 分かったよ。行くよ!」
涙目でテントの寝室を飛び出していったウィルを見て、ウンディーネはクスクスと笑う。
『龍王も、ウィルのことになると本当に心配性で困った子だわ』
その言葉を聞く者は、誰も居ない。そして、ウンディーネは笑い声を残して、姿を消した。
テントから飛び出したウィルは、恐る恐るキッチンを見回す。キッチンは、灯りが落とされてガイとハワードの姿はない。ウィルは、ホッと安堵の息を漏らす。
「……帰ったのかな?」
ウィルが、探索スキルを使わなかった理由は、ガイやハワードにテントを出たことを気付かれると思ったからだ。
しかし、人とは不思議なもので、居なければ居ないで探してしまう。だが、探索スキルを用いて屋敷内を探索しても、何故か二人の気配は見つからない。
「ハワードは、商人が来るって話してたような気がするんだけど……」
玄関ホールのソファセットに腰を落ち着け、ひと息つく。ウィルは、収納から焼き菓子を取り出して口にした。
「(確かに、ウンディーネの言う通り、みんな同じ人だけど……)」
ウィルはウンディーネの言葉を思い出し、大きく息を吐き出す。同じ人であるということ。確かに、その通りなのだ。ただ、ウィルは自身の立ち位置に自信がない。人族であるのか、亜人であるのか、それとも、そのいずれにも当て嵌まらない者であるのか。誰しも、母の体内から産み出される。その過程を省き、創り出された器に、ウィルの魂は存在する。
「わからないよ。……って、ハワード……?」
ついと窓から庭へ視線を向けると、庭の片隅でハワードが座り込んでいる姿が、ウィル目に飛び込む。見詰めていると、ハワードがスキルを使用していることに気付いた。
長年、気配を消すスキルを使い続けているハワードに対し、ウィルは探索スキルを身に着けて三年弱。しかも、ハワードは身を隠すことが仕事のひとつでもあるため、熟練度は相当なものとなっている。スキルを用いている動かない対象を見つけ出すことはウィルにとって至難の業だった。
「(見つけられなかった理由が分かった。……そりゃ、ハワードやガイの方が、スキルの熟練度が高いよね)」
それにしても、庭の片隅で何をしているのかと気になり、ウィルはソファから立ち上がり、窓から身を乗り出してハワードを見詰める。
「え? なんで、草取りしてるの?」
その呟きに、ハワードも気付いたのだろう。不意に立ち上がると屋敷へと振り向いた。一瞬、二人の視線が絡まるが、どうにも気まずいウィルは視線を下げる。
その様子にハワードは大きく息を吐き出し、衣服に付いた草を叩き落とすと、ウィルのいる窓辺に向かった。
「きちんと休めたのか?」
「あの⋯⋯帰ったんじゃなかったの?」
「マーシャルから頼まれ事をしているのに、帰る訳がないだろう」
「そ、そうなんだ…………」
おどおどしているウィルは、ハワードから見ても挙動不審だ。汗を拭うふりをして笑いを堪え、ハワードはウィルが話しやすいように窓辺に寄り掛かった。すると背後から、あからさまに安堵したような吐息が聞こえ、ハワードは思わず噴き出しそうになる。
「ブッ……ファックション!」
「ハワード、風邪ひいたの?」
「い、いや。草むしりをしていて、鼻がむず痒くなっただけだ」
「そうなんだ? 無理しちゃ駄目だよ?」
誤魔化すことに成功したようで、ウィルの関心はハワードの体調へと向かう。あからさまだった気がするが、そこら辺は経験の差が大きいのだろう。
「ああ。気遣いは感謝するが、休みの時は手伝うと前に話しただろう? 別にすることもないしな」
「……でも、制服着てるよ? 騎士団のお仕事、いいの?」
「まあ、細かいことは気にするな」
精霊も落ち着きを取り戻しつつあるが、それでも騒がしいことに変わりがない。少し前にも大精霊が具現したらしく、ドライアドが煩かった。
「ねえ、ハワード」
「なんだ?」
「ガイ、怒ってた?」
「怒ってはいない。ただ、辛そうではあったがな」
「っ……そっか」
ハワードがチラリと家の中へ視線を向ければ、俯いているウィルの旋毛が視界に入る。ハワードは、いつか見た光景だと思いながら、再び空へ目を向けた。
「なあ……ウィル。お前、俺が何者か気付いているだろう?」
空を見上げながらウィルに問い掛けると、息を飲む音が耳に届く。ハワードは、別に隠しているわけじゃない。それは、ベアトリクスにしても同じだ。混乱を起こさないために、見た目を人族に擬態させているが、知っている人族だって大勢いる。
「……ベアトリクスさんはエルフ。だけど、ハワードは違うよね? ベアトリスさんより、凄く魔力が濃くて強い。……ハイエルフ、だよね」
か細い声で呟かれた言葉に、ハワードは口角を上げて「正解だ」と答えると、寄り掛かっていた窓辺から背を離し、ウィルへと振り返った。
「俺とベアトリスに血の繋がりはない。俺は精霊樹の袂で義母に拾われ、ベアトリスと共に育てられた。そして、もう一人義弟がいる。クレマン家の嫡男が、その義弟だ」
「……え? でも、ハワードは? 嫡男じゃないの?」
「俺は、義父と義母、双方に血の繋がりはない。だが、クレマン家の当主は優しい方でな。義母と婚姻を結ぶ時、俺にもクレマンの家名を名乗るように言ってくださった」
「……その……周りの人に、反対されなかったの?」
おずおずと話し掛けてくるウィルに、笑みを漏らす。クレマン家の当主は人族。全く反対がなかったわけではない。ベアトリスの父である夫を亡くし長い年月憔悴していた義母に、再び笑みが戻ったのはクレマン家当主のお陰だ。エルフ族の里と友好関係を結んでいる貴族だったことも大きいだろうが、反対する者は僅かだった。何より、オズワルド公爵家の影響が大きい。
「まあ、当主と義母の仲睦まじい様子を見せられれば、周りの者達も反対する気持ちが削がれたんだろう。俺達の義弟は、エルフ族の義母と人族の父から生まれた。その義弟が、ウィルと同じような目をするようになったのが、五年ほど前だ」
「え?」
同じ目と聞いてウィルが顔を上げると、ハワードと目が合う。その目に、自分の隠しているもの全てを見透かされそうで、ウィルは畏怖を感じた。
「他人と違うことに、恐れを抱く目だ」
「っ!」
ずばり言い当てられて、ウィルの身体が反射的に揺れる。ハワードは、そんなウィルを見て溜息を吐いた。以前、義弟も、そしてガイも同じ反応をして見せた。素直なことは、悪いことではない。だが、貴族社会で生きていくには脆弱すぎる。
ウィルは知らぬ様子だったが、冒険者ギルドに依頼する者の中には貴族も存在する。冒険者ランクが高くなればなるほど、貴族と接する機会が増えるというのに、今のままでは遠くない内にウィルは潰れると懸念した。そして、それ以上にガイの現状に危惧していた。
「そんなに、人と違うことが怖いか?」
「怖いよ。怖くて仕方ないよ」
「それは、どうしてだ?」
「嫌われたくない。仲良くなれたのに、大事だって思ったのに、そんな人達から異端者だって思われたくない!」
「そんなに、異端であることが恐ろしいか?」
半ば叫ぶように吐き出された言葉に、ハワードは再び溜息を吐き出した。確かに、出会ってからの時間は短い。しかし、自分はともかく、ガイやマーシャルが、どれだけウィルに心を砕いているか、どれだけ労力を割いているか、気付いていないのかと苛立ちが浮かぶ。
「ウィル。お前は周りに在る者達を、そんな狭量な者だと考えているのか。そう、思っているのか?」
「違うよ! そんな意味で言ったんじゃない! 僕は、僕が、違い過ぎるんだ。僕が――」
創られた存在だから。そう続くはずだった言葉を止めたのは見慣れた存在。その両腕に後ろから抱き留められ、ウィルは言葉が出せなくなった。
「ハワード、やめろ! ウィル、もういい。お前が話せるようになるまで待つ。だから、もう考えなくていい」
己を睨みつけながら、ウィルに甘い言葉を吐くガイに、ハワードは不快な表情を露わにして口を開いた。
「ガイ、甘やかすな。それでは、ウィルが成長しない」
「ここまで厳しくする必要はないはずだ!」
「あるから厳しくしているんだろう。ウィルは、自らの意志で立つことを望んだ。護られることを拒んだんだ」
「それとこれとは、話が別だ!」
「違わない。出会う全ての者が善人であるならば、それでいいだろう。だが、ウィルの能力を利用しようとする者、取り入ろうとする者、貶めようとする者が存在する限り、甘やかすことは出来ない」
激昂するガイとは対照的に、ハワードは冷静だった。ウィルを甘やかすことは簡単だ。耳触りのいい言葉を選ぶだけでいい。しかし、それが本人のためになるかと言われれば、否だ。ただ、単に楽だから。勿論、ガイ達がそうだという訳ではない。恐らく、ガイもまたウィルから嫌われることを恐れているのだろう。
「(まるで、雛を威嚇する親竜のようだ。否、そんな可愛いものじゃないな。龍の方か)」
覆い被さる様にしてウィルを隠すガイの眼を見詰める。友人である自分に対して臨戦態勢を崩さないガイに、ハワードは溜息を吐くしかなかった。




