第17話「静止可能 or 不可能?」
電子錠の解除を知らせる赤い表示が点灯し、国家参与特別委員会の扉がゆっくりと開き始める。
誰も、その場から動かなかった。穰介だけが七人の最前列へ出ていたが、それも戦うためではなく、扉の向こうから何者かが強引に踏み込んできた場合に仲間との間へ身体を入れられる位置を取っただけだった。司は暁の隣に立ち、颯は政府回線に表示された緊急措置の根拠を探し続け、学はSTATE;0と政府案件の双方を保存しながら外部接続の変化を監視している。茜は封鎖後に起こり得る展開を整理し、燈縭は開きつつある扉そのものではなく、その向こうから聞こえる靴音へ意識を向けていた。
そして暁は、扉の正面から退かなかった。
数分前、七人は政府が正式に下した判断を否認した。
情報を無制限に公開することは認めない。しかし、国家参与者による独自調査を禁止する根拠も認められない。政府との対話を試み、法的根拠を確認し、情報を照合し、損失を比較した末に出した結論だった。STATE;0の終端条件を満たすためではない。第0期と同じ道を選ぶためでもない。
自分たち自身の判断だった。
だからこそ、その直後に政府側から委員会室を封鎖する措置が発動されたことを、偶然として片付けることはできなかった。
「……五人」
燈縭が小さく言った。
穰介が視線だけを向ける。
「扉の前?」
「うん。少なくとも聞こえるのは五人。でも、廊下の奥にもいるかもしれない」
「武器は?」
「そこまでは分かんない」
燈縭は軽い口調を保っていたが、目だけは笑っていなかった。
扉が半分ほど開いたところで、廊下の向こうに黒いスーツ姿の人影が見えた。制服警察官ではない。学校関係者でもない。先頭に立つ人物の顔に、七人は見覚えがあった。
「新房さん……?」
司が眉を寄せる。
国家参与保護官、新房彰紀。
参与者の安全確保を担当する立場にある男が、複数の人員を伴って委員会室の前に立っていた。
その事実だけで、状況はさらに分かりにくくなった。
「国家参与特別委員会の全員が揃っているな」
新房は室内を確認したあと、兵頭にも視線を向けた。
「兵頭さんまでいるとは聞いていなかった」
「俺も来る予定じゃなかったんでね」
兵頭は壁際から動かない。
「それより新房。何のつもりだ?」
「職務です」
新房の返答は簡潔だった。
暁が一歩前へ出る。
「戰國です。先ほど封鎖措置について、発令主体、法的根拠、目的の提示をお願いしました。まずはご説明いただけますか」
外部の人間に向ける暁の声は、仲間内で話すときよりも明確に整っていた。目の前にいる相手が自分たちの自由を制限しようとしている状況であっても、まだ感情をぶつける段階ではない。相手の立場と命令を確認し、そのうえで判断する。それが委員長としての彼女のやり方だった。
新房も、その質問を予想していたようだった。
「本措置は国家参与者の保護を目的とした緊急措置です。現在扱われている案件が最上位の国家安全保障情報に該当するため、情報保全と参与者本人の安全確保を目的として、この部屋を一時的な保護区域へ移行します」
「保護?」
穰介が露骨に眉をひそめた。
「外から鍵かけて?」
「穰介」
暁が制すると、穰介は不満そうにしながらも口を閉じた。
代わりに颯が前へ出る。
「新房さん、確認させてください。国家参与者の保護を目的とした一時的な行動制限そのものは、緊急事態であれば制度上認められる場合があります。ただ、今回の措置には端末から離れるよう指示する内容が含まれています。これは安全確保ではなく、参与活動そのものの停止に当たりませんか?」
新房の視線が颯へ向く。
「進藤法務官。現在は国家安全保障上の緊急事態です」
「はい。ですから、その緊急事態に適用される根拠を確認しています」
颯は一歩も退かなかった。
普段は六人の先輩に敬語を使い、どこか真面目さの目立つ一年生である。しかし法律が関わる場面では、その年齢差がほとんど意味を持たなくなる。感情的に反発するのではなく、相手が国家機関であればこそ、何に基づいてその権限を行使しているのかを確認する。
「国家参与制度の緊急保護規定だけでは、参与者の判断権そのものを停止できません。もし別の根拠があるのであれば、条文または発令権限を提示してください」
新房は数秒、颯を見つめた。
「……それについては、移動後に説明する」
「どこへですか?」
今度は暁が尋ねる。
「政府指定の保護施設です」
「移動の必要性は?」
「ここでは安全を保証できない」
その言葉に、茜が初めて反応した。
「何から?」
新房が黙る。
「学校に危険があるなら、私たちだけを移動させる理由が分からない。他の生徒への危険は?」
「現時点で一般生徒への直接的危険は確認されていない」
「なら、私たちだけが狙われている可能性がある?」
「それについては答えられない」
茜はそこで追及を止めた。
だが、必要な情報は得ていた。
一般生徒への危険は確認されていない。
にもかかわらず、七人だけを学校から移動させようとしている。
そして、その措置は政府判断を否認した直後に発動された。
「保護じゃないね」
燈縭が呟いた。
新房が彼女を見る。
「八乃森監察官?」
「少なくとも、保護だけじゃない」
燈縭は新房ではなく、その後ろに立っている人員を見ていた。
「新房さんたちは私たちを守る人でしょ。でも、後ろの人たち、ずっと私たちじゃなくて端末を見てる」
室内の視線が動く。
新房の後ろにいる者たちは表情を変えなかった。
しかし、確かにその視線は七人の身体よりも、大型モニターと学の端末へ向けられている。
兵頭が小さく舌打ちした。
「新房。お前、どこまで聞かされてる?」
「答えられません」
「その言い方なら、全部じゃねぇな」
「兵頭さん」
「お前の仕事は学生を守ることだろ。だったら聞くぞ。こいつらを今ここから連れ出すことが、本当に保護になるって自分で確認したのか?」
新房は答えなかった。
その沈黙を、今度は七人全員が見ていた。
司がゆっくりと前へ出る。
「新房さん」
「何だ」
「俺たちは政府と争いたいわけじゃありません」
仲間内ではくだけた言葉を使う司も、外部の人間へ向ける声は落ち着いていた。
「政府の判断を否認したのも、政府そのものを敵だと判断したからじゃない。説明を求めた。でも拒否された。法的根拠を調べた。確認できなかった。情報を照合したら、正式決定より前に俺たちの独自調査を禁止する文書が作られていた。だから、その状態では承認できないと判断しただけです」
新房の眉が僅かに動く。
「正式決定より前に?」
「知らなかったんですか?」
学が尋ねる。
新房は答えない。
だが、それで十分だった。
燈縭が小さく息を吐く。
「やっぱり、新房さんも全部知らない」
委員会室の空気が変わる。
目の前にいる者たちは、七人を排除しに来た敵ではない。
少なくとも新房自身は違う。
何らかの正式命令を受け、その命令に従って七人を保護施設へ移そうとしている。しかし、その命令を出した側が何を意図しているのかまでは知らされていない。
政府内部で、情報が分断されている。
それは第15話でSTATE;0が示した「国家機関間の判断対立」が、もはや過去の理論ではなく現在進行形で起きていることを意味していた。
暁が新房へ向き直る。
「新房さん。私たちは現時点では移動に同意できません」
「戰國委員長」
「ただし、皆さんを敵対者とも判断していません。私たちはここで政府側と協議を続けます。安全上の問題があるのでしたら、必要な警備を配置していただいて構いません。ただ、国家参与者としての権限を停止するのであれば、その根拠をご提示ください」
丁寧な言葉だった。
しかし、譲る意思はない。
新房もそれを理解したのだろう。
「拒否するということか」
「現時点では、はい」
暁ははっきり答えた。
「根拠を確認できれば、改めて判断します」
その瞬間だった。
新房の後方にいた一人が耳元へ手を当てる。
何らかの通信を受けている。
燈縭が最初に気づき、続いて穰介が身体の重心を僅かに前へ移した。
数秒後、その人物が新房へ近づき、小声で何かを伝える。
新房の表情が変わった。
「……誰からだ」
返答は聞こえない。
「その命令は俺の指揮系統を通っていない」
新房の声が低くなる。
兵頭が壁から身体を起こした。
「何が来た?」
新房は答えなかった。
代わりに、後ろの人員へ向けて言う。
「全員、その場から動くな」
空気が張り詰める。
だが、新房の後方にいた者の一人が一歩前へ出た。
「新房保護官。政府緊急措置は更新されました。参与者七名の通信機器を回収し、直ちに移送を開始します」
「俺は聞いていない」
「命令系統が変更されています」
「誰の命令だ」
「開示権限がありません」
新房の顔から感情が消えた。
七人は、そこでようやく理解した。
これは政府対学生ではない。
この部屋へ来た国家側の人間同士ですら、同じ情報を共有していない。
新房が七人を保護しようとしている一方で、別の系統から端末回収と強制移送の命令が下されている。
政府内部で何かが起きている。
「茜」
暁が小さく呼ぶ。
「分かってる」
茜は声を落とした。
「状況が変わった。今ここで移動した場合、誰の管理下に置かれるのか分からない。逆に籠城しても、学校を巻き込む可能性がある」
「学」
「政府回線を確認しています」
学の指が高速で動く。
「……おかしい」
「また?」
「参与制度の通信権限が一部制限され始めています」
大型モニターに警告が現れる。
《外部照会機能――一時停止》
続いて、
《政府機関資料閲覧――制限》
さらに、
《国家参与権限――審査中》
颯が画面を見た瞬間、顔色を変えた。
「待ってください。そんな手続き、聞いていません」
「俺もだ」
兵頭が答える。
「参与権限を停止するなら、それ相応の審査が必要だ。少なくともこんな数分でできる話じゃねぇ」
颯は即座に制度規定を開こうとする。
しかし、その画面すら途中で遮断された。
《アクセス権限がありません》
「……制度規定まで?」
颯の声が震えた。
自分たちに与えられていた国家参与権限が、目の前で一つずつ閉じられていく。
学はすぐにSTATE;0側へ切り替えた。
だが、そこだけは消えていなかった。
政府資料へのアクセスが制限され、参与制度の通常機能が停止し始めているにもかかわらず、STATE;0だけは大型モニターに残っている。
そして画面には、解放された記録が表示されていた。
《第0期最終記録――未公開領域》
《国家による参与者権限停止》
「……今と同じ」
司が言った。
学が記録を開く。
そこに映し出されたのは、第0期の七人が政府要求を拒否した直後の記録だった。
《政府判断――参与者による独自調査の停止要求》
《第0期判断――拒否》
《政府措置――参与権限の一時停止》
颯が息を呑む。
「本当に……同じことが起きてる」
しかし、その次の文章を見た瞬間、司が首を横に振った。
「いや」
全員が彼を見る。
「同じじゃない」
第0期の記録には、さらに続きがあった。
《第0期参与者――権限停止を受諾》
暁の表情が変わる。
「受け入れた……?」
「政府と戦わなかったんだ」
司が画面を見つめる。
第0期は政府要求を拒否した。
独自調査を続けた。
しかし、国家から正式に参与権限を停止された時点で、その判断を受け入れている。
国家を否定するための制度ではないからこそ、自分たちが国家に与えられていた権限を失えば、それ以上の介入を続けなかった。
それは筋の通った判断にも見える。
だが、その先に表示された文章が、七人の理解を覆した。
《第0期参与権限停止後――関連記録封鎖》
《第0期参与者――制度上の記録から削除》
《第0期――失敗事例として再分類》
誰も声を出せなかった。
第0期は国家に反逆して消されたのではない。
最後まで制度に従った。
政府要求を拒否するところまでは独立した参与者として判断し、それでも国家から正式に権限を停止されたときには、その決定を受け入れた。
そして、その結果。
彼らは歴史から消された。
「……ひどい」
颯が小さく漏らした。
その声には、怒りが混じっていた。
「制度に従ったのに……それで、失敗にされたんですか?」
「たぶん、それが第0期の最後だ」
学が言う。
「少なくとも、政府側に残された記録上は」
暁は何も言わなかった。
画面の中に残された《失敗事例》という文字を、ただ見つめている。
政府に逆らったから消されたのではない。
国家参与制度そのものを信じ、最後には国家が下した権限停止まで受け入れたからこそ、抵抗する手段を失った。
その結果、国家側だけが第0期の評価を決めることができた。
そして彼らは「失敗」になった。
その瞬間、STATE;0に新しい表示が現れる。
《第二条件判定中》
《現在の参与者は、第0期と同一状況に到達しました。》
《国家参与権限の停止を受諾しますか?》
画面中央に二つの選択肢が現れた。
《受諾する》
《受諾しない》
司が顔をしかめる。
「また二択か」
「違う」
茜がすぐに言った。
「これをそのまま選んだら駄目」
司が茜を見る。
「第0期のときと同じ。受け入れるか拒否するかだけに見せてる。でも、今の私たちは権限停止そのものが適法かどうか確認できていない」
「なら、第三の判断を探す?」
燈縭が聞く。
「あるならね」
茜はSTATE;0を睨んだ。
暁は画面を見つめたまま、しばらく動かなかった。
その背後では、新房と別系統の人員が対峙している。
「通信機器を回収します」
「待てと言った」
「新房保護官には本措置への指揮権がありません」
「俺の保護対象だ」
「現在、参与者の保護指定は解除手続きに入っています」
新房の目つきが変わった。
「……何?」
その一言を、燈縭は聞き逃さなかった。
「保護指定まで外すんだ」
穰介が振り返る。
「どういうことだ?」
「私たちを移動させるために、私たちを守る人の権限まで邪魔になってるってこと」
その言葉が意味するものを理解した瞬間、穰介の表情から軽さが消えた。
「それ、もう保護じゃねぇだろ」
新房も否定しなかった。
兵頭が端末へ近づく。
「暁」
「はい」
「ここから先は、俺の立場じゃ命令できねぇ。だが、制度連絡担当として一つだけ事実を言う」
暁が兵頭を見る。
「お願いします」
「今お前らにかかってる権限制限は、俺が知ってる通常手続きじゃない。だから従うなとは言わねぇし、従えとも言わねぇ。ただ、少なくとも『正式だから正しい』って段階じゃない」
「……分かりました」
暁は静かに頷いた。
そのとき、颯が顔を上げた。
「委員長」
「何?」
「まだあります」
颯は自分の端末に残っていた規定の一部を指した。
「国家参与者の権限を一時停止する場合、停止対象となる本人への理由通知と、不服申立ての機会を確保する必要があります。緊急時には事後でも認められますけど、その場合でも停止の発令主体は記録されなければならない」
「今は?」
「発令主体が表示されていません」
学が確認する。
「本当だ。権限制限は始まっているのに、決定主体が空欄になってる」
「だったら」
颯は画面を見た。
「これは少なくとも、現時点では正式な権限停止が完了していません」
暁の目が変わった。
「まだ私たちは国家参与者?」
「はい」
颯ははっきり答えた。
「権限が制限され始めているだけです。正式に停止されたとは確認できません」
司が笑う。
「なら、話は変わるな」
茜も頷いた。
「完全に止められる前に、参与者として判断できる」
学がSTATE;0を見る。
「そして、第0期との違いもそこです。第0期は権限停止を正式な国家判断として受諾した。でも私たちに来ているものは、誰が決めたのかすら分からない」
燈縭が口元を僅かに上げる。
「じゃあ、『受け入れる』『受け入れない』の前にやることがあるね」
穰介も理解した。
「誰が止めようとしてるのか、突き止める」
暁は七人を見渡した。
それが答えだった。
「STATE;0にはまだ回答しない」
暁が言う。
「私たちは国家参与者として、権限停止の発令主体と法的根拠を確認する。それが正当な判断なら受け入れるかどうかを改めて検討する。正当でないなら、そもそも従う理由がない」
「賛成」
司が答える。
颯も、学も、茜も、穰介も、燈縭も頷いた。
その瞬間。
STATE;0の二択が消えた。
《回答保留を確認》
続いて、新たな文字が表示される。
《第三判断条件――成立》
司が思わず笑った。
「……やっぱりあったか」
だが、その笑みはすぐに消えた。
次に表示された文章が、それまでとは違っていたからだ。
《第0期は、この判断に到達していません。》
七人の空気が変わる。
《現在の参与者は、第0期の最終到達点を突破しました。》
そして。
《STATE;0――現在記録へ移行します。》
その瞬間、政府側から遮断されていたはずの大型モニターに、一件の情報が強制表示された。
学が息を呑む。
「これは……」
表示されているのは、参与権限制限の発令記録だった。
ただし、発令者の氏名ではない。
決定経路だけが表示されている。
《通常参与系統――未承認》
《制度連絡担当――未承認》
《参与者保護系統――未承認》
《内閣参与監督系統――承認》
兵頭の顔から表情が消えた。
司がその文字を読む。
「内閣参与監督系統……」
暁も、その意味を理解した。
国家参与制度の活動そのものを監督する政府側の系統。
そして、その権限に最も近い既知の人物を、七人はすでに知っている。
「……笙恆さん」
暁が静かに名前を口にした。
内閣特別参与補佐官――笙恆圭吾。
国家参与特別委員会の活動を監督し、一定の指揮権限を持つ政府側の人物。
しかし兵頭は、すぐに首を振った。
「決めつけるな」
司が振り返る。
「でも、この系統なら――」
「笙恆本人が承認したとは限らねぇ。系統の権限が使われたってだけだ。そこを間違えるな」
その言葉で、七人は踏みとどまった。
国家の中には、多くの人間がいる。
肩書きだけで敵味方を決めれば、それこそSTATE;0が求める判断から遠ざかる。
しかし、一つだけ確かなことがある。
今回の権限制限は、通常の国家参与制度の系統を通っていない。
兵頭も承認していない。
新房の保護系統も承認していない。
それでも、国家の正式な権限を利用して七人を止めようとしている者がいる。
その事実だけは、もう疑いようがなかった。
直後、廊下側の人員が動いた。
「時間です。通信機器を回収します」
一人が室内へ踏み込む。
穰介が前へ出た。
「止まれ」
「堅橋執行官、退いてください」
「嫌だね」
「これは政府命令です」
「誰の?」
穰介が聞き返す。
相手が止まった。
「誰が出した命令かも言えねぇ。法的根拠も見せねぇ。うちの法務官が確認しても正式な停止は成立してねぇ。それで端末寄越せって言われて、はいどうぞって渡すほど俺は素直じゃないんだわ」
普段の軽い口調は残っている。
だが、その身体は完全に仲間を守る位置に入っていた。
新房が横から前へ出る。
「下がれ」
「新房保護官」
「現時点で七名の国家参与資格が正式に停止されたことを、俺は確認できていない」
新房は相手と七人の間に立った。
「俺の保護対象だ。強制措置を行うなら、まず俺に正式命令を提示しろ」
兵頭が苦笑する。
「面倒なことになってきたな」
「兵頭さんのせいでもありますよ」
新房が返す。
「俺は何もしてねぇよ」
「いつもそう言う」
緊張の最中に交わされた短いやり取りだったが、それによって七人は理解した。
政府側にも、自分たちを守ろうとしている人間がいる。
だからこそ、この状況を「国家対七人」にしてはいけない。
敵がいるとすれば、それは国家そのものではない。
国家の権限を使い、何かを隠そうとしている意思だ。
そして次の瞬間、その考えを裏付けるように、学の端末が警告音を鳴らした。
「委員長!」
暁が振り返る。
「何?」
「STATE;0から新しい記録です。でも……第0期じゃない」
大型モニターへ転送される。
《現在記録――緊急更新》
《国家判断記録に対する外部操作を検出》
学の指が止まる。
「外部操作?」
《記録削除要求――受信》
委員会室の全員が画面を見る。
《削除対象――現在参与者判断記録》
司の表情が変わった。
「俺たちの……?」
学が答える。
「ここまでの判断記録を、誰かが消そうとしてる」
第0期は最後に権限を停止され、その後、制度上の記録から消された。
そして今。
現在の七人もまた、同じように記録そのものを消されようとしている。
ただし、一つだけ違う。
第0期のときには存在しなかったものが、今は残っている。
STATE;0。
国家自身が消そうとした判断を、国家の内部で保存し続けてきた記録領域。
画面に新しい選択肢が表示された。
《削除要求を受諾しますか?》
しかし、今度は誰も迷わなかった。
暁は大型モニターの前へ立つ。
「私たちの判断が間違っているなら、後から検証されればいいと思います」
兵頭も、新房も、廊下の人員も、彼女を見る。
暁の声はまだ敬語だった。
「ですが、判断したという事実そのものを消して、最初から存在しなかったことにするのは違います」
画面へ手を伸ばす。
「それを国家のためだとは、私は認めません」
《拒否》
暁が選択する。
その瞬間、STATE;0の表示が大きく変化した。
《削除要求――拒否》
《現在参与者判断記録――保全》
《国家参与制度終端条件――第二条件達成》
七人が息を呑む。
《第一条件:国家機関の判断を独立して否定する――達成》
《第二条件:否認後も参与者として独立性を維持する――達成》
そして、最後の条件が初めて開示された。
《最終条件:国家参与制度が不要となる状態を、国家参与者自身が成立させる》
誰も、すぐにはその意味を理解できなかった。
だが、その下に表示された一文だけは、全員が理解できた。
《終端条件をすべて満たした場合、特別学生国家参与制度は終了可能となります。》
颯が画面を見つめる。
「……本当に、終わらせられる」
これまで可能性として語ってきたものが、初めて制度上の事実として提示された。
国家参与制度は永続を前提としていない。
国家を判断する学生が必要なくなる状態を作ることができれば、この制度そのものを終わらせることができる。
しかし、その余韻に浸る時間はなかった。
学の端末に、さらに別の警告が表示されたからだ。
「……待って」
「今度は何?」
司が尋ねる。
学は画面を見たまま動かない。
「削除要求の送信元をSTATE;0が記録しています」
兵頭の表情が変わる。
「追えるのか?」
「完全な個人名ではありません。でも、送信元の権限識別情報が残ってる」
学が大型モニターへ表示する。
そこに現れたのは、政府機関の名称ではなかった。
《削除権限識別――STATE;0管理権限》
委員会室から音が消えた。
司が画面を見つめる。
「……どういうことだ?」
STATE;0の記録を消そうとしている者が、STATE;0そのものの管理権限を持っている。
つまり、このシステムは誰にも管理されていない過去の遺物ではない。
今も誰かが管理している。
そして、その誰かは現在の七人が第0期を越え、制度の終端条件へ到達することを止めようとしている。
兵頭の顔から、いつもの軽さが完全に消えていた。
「おい、学。その識別情報……もう少し開けるか?」
「やります」
学がアクセスを試みる。
STATE;0が応答する。
《現在参与者による管理情報照会を確認》
《終端条件第二段階到達により、一部開示を許可》
文字列が展開されていく。
管理権限。
更新権限。
記録封鎖権限。
そして、その最下部。
《管理者区分――特別学生国家参与制度・元参与者》
七人の表情が凍りついた。
「元……参与者?」
颯が呟く。
現在の政府高官ではない。
制度を外側から監視しているだけの人間でもない。
かつて、自分たちと同じ場所にいた者。
国家参与者として国家を判断した経験を持ち、それでいて現在はSTATE;0の管理権限に触れることができる人物。
司の脳裏に、これまで名前だけが断片的に浮かんでいた者たちがよぎる。
だが、誰なのかを決めつけることはできない。
九十九雅。
霧島カレン。
上落合宏嗣。
そして、記録上は存在しない元参与者――Mr.X。
候補は一人ではない。
何より、STATE;0が示したのは個人名ではなく、ただ「元参与者」という資格だけだった。
燈縭がゆっくりと画面を見る。
「ねえ」
「何?」
暁が尋ねる。
「これってさ……」
燈縭の声から、いつもの軽さが消えていた。
「私たちが戦わなきゃいけない相手、政府だけじゃないのかもね」
暁は答えなかった。
政府内部では、七人を止めようとする命令と、七人を守ろうとする人間が同時に存在している。
そしてそのさらに奥では、かつて国家参与者だった何者かがSTATE;0へ干渉し、現在の七人が残した判断そのものを消そうとしている。
・国家
・制度
・第0期
・元参与者
それまで別々に存在していたはずの線が、ようやく現在という一点で交わり始めていた。
その瞬間、学校中に警報音が鳴り響いた。
今度は政府端末からではない。
帝煌学園の校内警報だった。
穰介が扉の向こうを見る。
「今度は何だよ……」
学が学校側の回線を確認する。
数秒後、その表情が変わった。
「校内システムへの外部接続が検出されています」
「政府?」
「分からない。でも――」
学が顔を上げる。
「この委員会室だけじゃない。学校全体が外部からロックされ始めてる」
新房が即座に通信機を取る。
「全員、強制移送は中止だ! 校内の安全確認を優先しろ!」
廊下にいた人員たちも、そこで初めて動揺を見せた。
もはや政府命令だけの問題ではない。
帝煌学園そのものに、何者かが手を伸ばしている。
そしてSTATE;0の画面には、七人だけに見える最後の警告が表示されていた。
《警告》
《管理者権限による外部介入を確認》
《現在参与者へ推奨》
《STATE;0を停止しないでください》
学が息を呑む。
続いて、さらに一行。
《停止した場合、現在参与者の判断記録は保全されません》
そして最後に、これまで一度も表示されたことのない文章が現れた。
《第0期と同じ結末になります》
暁はその文字を見つめた。
今度こそ、七人全員が理解していた。
第0期の過去を調べる時間は終わった。
彼らが辿った道の続きを、自分たちが歩くことになる。
ただし、同じ結末を選ぶつもりはない。
暁は振り返り、六人を見た。
「STATE;0は止めない。学校の安全も守る。政府とも話を続ける。それから――私たちの記録を消そうとしている人が誰なのか、必ず突き止める」
司が頷き、茜はすでに次の手を考え、颯は残された権限を確認し、学は校内ネットワークの状況を追い、燈縭は廊下の動きを観察し、穰介は全員を守れる位置へ戻った。
国家参与特別委員会が発足して以来、七人は初めて同時に三つの問題を抱えた。
政府内部で始まった権限停止。
STATE;0へ干渉する元参与者。
そして、外部から封鎖され始めた帝煌学園。
その三つが偶然同じ瞬間に起きたとは、もう誰も考えていなかった。
大型モニターの片隅で、STATE;0が新しい記録を生成する。
《現在参与者記録――継続》
その下に付けられた記録名を見て、司は静かに目を細めた。
《STATE;1》
第0期の続きを意味するかのような、その新しい名称。
そして、その記録が生成された瞬間を境に、七人の戦いは過去の真相を追うものから、自分たち自身の国家参与を守るものへと変わり始めていた。
――第17話 完




