第121話 薬の鎖を解く
翌日。ワタシはアルベルトに連れられて、郊外のとある屋敷を訪れた。
グレーシス家——アルベルトの、生家だ。
決して大きくはないが、手入れの行き届いた、品のある屋敷だった。かつては借金で傾きかけたというが、大神官の支援を受けてからは、暮らし向きも持ち直したのだろう。だが——その内情に、どれほどの歪みが隠されていたか。それを思うと、ワタシの胸は、重くなった。
「妹は、奥の部屋にいる」
アルベルトの声は、緊張で、わずかに硬かった。
*
通された部屋。寝台に、一人の少女が横たわっていた。
歳は、十六、七ほどか。アルベルトと同じ、銀の髪。けれど、その顔は青白く、やつれていた。
「兄様……? その方は……」
少女が、力なく目を開ける。
「リーゼ。——この方は、ルキウス殿だ。お前の病を、診てくださる」
リーゼと呼ばれた少女は、ワタシに、弱々しく頭を下げた。
「ご迷惑を……おかけします。わたし……もう、長くないのかも、しれません」
諦めの滲んだ、その言葉に、ワタシは胸が痛んだ。
*
「リーゼさん。——少し、失礼しますね」
ワタシは、彼女の傍らに膝をつき、その体に鑑定の力を向けた。
女神アステリアより授かった、この力。物事の本質を見抜く力。
リーゼの体の奥を、じっくりと視る。
すると——。
(——これは……!?)
ワタシは、息を呑んだ。
*
リーゼの体には——異常な魔力の乱れが、あった。
本来、人の魔力は静かに体内を巡っている。だが、リーゼの魔力は——荒れ狂い、今にも暴走しかけていた。まるで、意図的に暴走するよう仕向けられたかのように。
そして、その暴走を、かろうじて抑え込んでいる、別の力もある。
病、ではない。こんな魔力の乱れ方は——自然には、起こらない。何かが——外から、この体に、入れられている。
(——まさか)
ワタシは、顔を上げた。
「アルベルトさん。——リーゼさんが、いつも飲んでいる薬は。今、ここに、ありますか」
「薬……? あ、ああ。あるが……」
「見せて、いただけますか。——すべて」
*
アルベルトが棚から持ってきたのは——二つの、薬包だった。
「朝に飲む、発作を抑える薬と……。夜に飲む、体を養うための薬だ。どちらも、あの薬師の処方で——」
(——二種類)
ワタシの胸の奥が、ざわりとした。
ワタシは二つの薬包を順に手に取り——鑑定の力を、向けた。
一つ目。朝の薬。——視えたのは、荒れた魔力を静める効能。暴走を、抑え込むための薬だ。
そして、二つ目。体を養うための薬——の、はずのそれは。
(——!!)
魔力を、乱す薬だった。人の魔力を意図的に暴走させる——毒にも、等しい代物。
リーゼの体で荒れ狂う、あの魔力。その源が——これだ。
背筋が——冷たく、なった。もう、疑いようがない。
*
「アルベルトさん。——妹さんは、病気ではありません」
「……何?」
アルベルトが、目を見開く。
「リーゼさんの体は——この、夜の薬で、魔力が暴走するようにされています。病弱なのは、その、せいだ。そして、容態が落ち着くのは、朝の薬で暴走を抑えているから」
ワタシは、静かに告げた。
「つまり——病を作り出す薬と、それを抑える薬。その両方を、飲まされ続けてきたんです」
アルベルトの顔が、みるみる青ざめていく。
*
「そんな……。では、妹は——最初から、病など……」
「ええ。——大神官が紹介した薬師。その者が仕組んだことでしょう」
ワタシは、奥歯を噛んだ。
病弱な妹を、薬で救ってやる。そう見せかけて、その実、薬で病を作り出していた。そうすれば、薬を断てば妹は苦しむ。アルベルトは、妹のために大神官に従い続けるしかなくなる。
なんという——むごい罠。
「妹さんを人質に取るために、わざわざ病をでっち上げた。大神官のやり口は、どこまでも卑劣だ」
アルベルトの拳が、わなわなと震えていた。
*
「ですが——ご安心を」
ワタシは、アルベルトを見上げた。
「この、魔力の乱れ。——ワタシなら、整えられます」
ワタシは、リーゼの体に、そっと手をかざした。
鑑定で見抜いた、魔力の流れ。その荒れ狂う奔流を、魔力操作で少しずつ宥めていく。
暴走しかけた魔力を、優しく、本来の流れへと導く。絡まった糸を、一本ずつ解きほぐすように。丁寧に——丁寧に。
「ん……っ。からだが……あたたかい……」
リーゼが、うっとりと目を細める。
*
どれほど、時が経っただろう。
やがて、リーゼの魔力は、すっかり穏やかな流れを取り戻していた。
もう、暴走の兆しは、どこにもない。薬の影響も、ワタシがすべて洗い流した。
「——これで、もう大丈夫」
ワタシは、額の汗を拭った。
「あの薬は、もう必要ありません。飲むのをやめても、二度と苦しむことはない」
「ほん、とう……ですか……?」
リーゼが、信じられないという顔で、体を起こした。
その頬には、もう、さっきまでの青白さはなかった。ほんのりと、赤みが差している。
*
「体が……軽い……。こんなの……初めて、です……!」
リーゼの目に、みるみる涙が盛り上がる。
長い間、病に苦しめられ、諦めていた少女。その体が今、本当の健康を取り戻した。
「リーゼ……っ」
アルベルトが、妹のもとへ駆け寄り、その華奢な体を強く抱きしめた。
「よかった……。本当に、よかった……!」
あの冷徹な剣聖が。今は——子供のように肩を震わせ、泣いていた。
兄妹は、しっかりと抱き合い、涙を流している。
ワタシは、その光景を、温かい気持ちで見守った。
*
「——ただ、一つだけ。気をつけてほしいことが、あります」
ワタシは、リーゼに、優しく語りかけた。
「魔力の乱れは、整えました。病の元は、もうありません。——ですが、リーゼさんは長く床に伏せていた。体力は、まだ、すっかり落ちてしまっています」
「あ……」
リーゼが、自分の、細い腕を、見つめる。
「急に無理をしては、いけません。今日は少し起きて、明日は廊下を歩いて——そんなふうに、少しずつ。焦らず、体を慣らしていってください。そうすれば——きっと、また駆け回れるようになります」
「……はいっ。——必ず、そうします!」
リーゼが、頬を紅潮させて力強く頷いた。その瞳には——もう、諦めの色はなかった。未来を見つめる、確かな光が宿っている。
「兄上が、つきっきりで見てやれ。——焦って転んでも、困るからな」
ワタシが、冗談めかして言うと。アルベルトは、目を潤ませたまま——「ああ。任せてくれ」と、深く頷いた。
*
(——また一つ。鎖を、解けた)
奴隷の隷紋。剣聖の見えない鎖。そして——妹を縛っていた、薬の鎖。
人を縛りつけるものを、一つ、また一つと断ち切っていく。それが、ワタシの歩んできた道だ。
ひとしきり泣いて、アルベルトがワタシに向き直った。
「ルキウス。——この恩は、一生忘れぬ。お前は、私のすべてを救ってくれた」
「いえ。——間に合って、よかった」
ワタシは、微笑んだ。だが——その胸には、一つ、引っかかることがあった。
*
「アルベルトさん。——一つ、気になることが」
ワタシは、声を低くした。
「リーゼさんに薬を盛っていた、その薬師。——大神官が紹介したという、その者のことです」
あの、魔力を暴走させる薬。あれは——尋常なものではない。人の魔力を意のままに乱す、その技術。常人に扱えるものでは、ない。
「あれほどの術を操る薬師。——ただ者ではありません。大神官と繋がる、その薬師が。他に何を企んでいるか」
ワタシの脳裏に、嫌な予感がよぎった。
魔力を乱す薬。それが、もし——人ではなく、魔物に使われたら……?
*
「その薬師の行方は——ご存知ですか」
ワタシの問いに、アルベルトは眉を寄せた。
「いや……。あの薬師とは、いつも大神官を介していた。直接の繋がりは、私も知らぬ。だが——」
アルベルトは、記憶を辿るように続けた。
「一度だけ、聞いたことがある。あの薬師は——『魔を惹きつける秘薬』の研究をしているとか。気味の悪い噂だと、聞き流していたが」
(——魔を、惹きつける、秘薬)
その言葉に、ワタシの不安は、確信へと変わった。
大神官は——逃げた。だが、ただ逃げたのではない。あの薬師と共に、次の恐ろしい一手を準備している。そんな気が、してならなかった。
*
リーゼを救えた、喜びの裏で。
ワタシは、新たな脅威の影を、確かに感じ取っていた。
大神官は、まだ何かを企んでいる。そして、その鍵を握るのは——あの、得体の知れない薬師。
(——急がなければ)
ワタシは、健康を取り戻したリーゼと、それを抱きしめるアルベルトを見つめながら、静かに——決意を新たにした。
この束の間の平和を、守り抜くために。次に来るであろう嵐に、備えなければならない。




