後日談3:幸せな悩み
「く、クラリッサ……!リネットが僕の手を握った……!」
「ふふ、リネット。パパの手、あったかいでしょう?」
産着に包まれた愛娘の小さな指が、ライオスの指にぎゅっと巻きつく。それだけで、ライオスの瞳にはうっすら涙が浮かんでいた。
妊娠が分かってから、この子が無事に産まれるまで。ありとあらゆる危険から母子を守るべく持てる力を総動員したライオスは、お産の時にも念のため聖女を控えさせる用意周到ぶりで我が子の誕生を心待ちにしていた。
男の子が生まれても、女の子が生まれてもいいようにそれぞれ五十ずつ名前の案を考え、公爵邸からも徹底的に子供の危険となりそうなものは排除してある。
無事に女の子が産まれた時は、涙ながらにクラリッサを労い、我が子を抱いて涙し、考えていた名前の案を出産直後のクラリッサの隣で広げ、名前に込めた意味や由来を熱弁し続けていた。あまりの熱量と長さに、お産を終えて疲れ切っていたクラリッサが途中で寝落ちしてしまったのは、いまや微笑ましい思い出だ。
そうして決まった二人の宝物の名は「ライネッタ」。愛称はリネットだ。
「よし……決めたぞ。将来、もしこの子を誑かそうとする不届き者が現れたら、リネットを渡す条件として決闘を申し込む。僕より弱い男にリネットを幸せにできるはずがないからね。……今から英雄卿に弟子入りして鍛え直すか……」
「……まだ生まれて数日ですよ、ライオス様。そこまで気が早いお父様は世界中を探してもあなたくらいです」
真剣な顔で物騒な決意を固めるライオスに、クラリッサはあきれつつも温かなため息を漏らす。
クラリッサとリネットの穏やかな寝顔を眺めていた時、そんな幸福な時間を破るように、ライオスの耳に魔力による念話が届いた。
『主、ナルサーベ家に我が領地を開拓しようとする動きがあります』
『やはりか。あの家は鉱物の不正取引を行っている。その証拠を一つ二つ流して黙らせておけ』
家族との至福の時間を邪魔されたライオスは、一瞬で氷のように冷ややかな『当主』の顔に切り替わった。
『しかし……本当に主の言う通りになるとは……。何故お分かりになったのですか?』
『周囲の危険因子に目をつけていただけだ。しばらくは証拠隠滅に躍起になって手出しはして来ないだろう』
ライオスは突然家督を継いだことに加え、当主としても他家と比べてずば抜けて若い。ただでさえ、不祥事によって代替わりした、後ろ盾もない新当主だ。手助けを装って乗っ取ってやろうと企む親族や、傀儡として操ることを企む周囲の有力貴族が圧力をかけて来たり、無理難題を押し付けてくることが頻繁にあった。
『早く行け。俺の家族との時間を邪魔するなら、お前も容赦しないぞ』
『はっ!』
冷徹に指示を数秒で出し終え通信を切る。再びデレデレの表情で娘を見ると、彼女はぱっちりとした宝石のような瞳でライオスを見上げていた。ライオスの表情がギクリと固まる。
「……リネット。今のパパ、怖かったかな……?」
しかしリネットは、ライオスを見るとニコッとその顔を綻ばせた。
「リネット……!君の将来を邪魔する者は、パパがみんな追い払うからね……!」
途端に破顔したライオスは、愛娘の頬を優しく撫でるのだった。
*
それから、少し時は流れ——
「ぱぱ!」
「ぐふっ……!」
よちよち歩きができるようになったリネットが、両手を広げてライオスの膝にしがみついてきた。その破壊力抜群の可愛さに、ライオスの理性はあっけなく崩壊する。
「やっぱりこの子を嫁になんて出せない……!決めた、リネットに我が家を継いでもらおう!そうすれば一生僕たちのそばにいられる!」
娘をぎゅっと抱きしめ、涙ぐむライオス。その過保護ぶりに、クラリッサはふんわりとした笑みを浮かべ、愛おしそうに自分の大きくなったお腹を優しく撫でた。
「まあまあ、ライオス様。これから生まれてくる子もどんな子か分かりませんし、向いている方に継いでもらうのが一番じゃないですか?」
「うっ……それはそうだけど……!でもリネットが……!」
「お腹の子も、女の子かもしれませんよ?」
「なっ……!そうか……。その場合、公爵家を二つに分けるというのも……」
「ライオス様、こんなことで五百年続く公爵家を分断させないでください」
呆れたように微笑む妻と、腕の中で無邪気に笑う娘。
ライオスの幸せで賑やかな悩みは、まだまだ尽きそうにない。




