第1話 勇者召喚はミスの香り
「どうも社長。本日はありがとうございました」
駅の改札口の前で、俺は大先輩に深々と頭を下げた。
「おう、今日はありがとさん。翔馬くんが親父さんの跡を継いでくれたら、ええ会社になるやろねえ」
たぬき親父を絵に描いたような恰幅のいい大先輩が、上機嫌でそう評してくれる。褒められているのか値踏みされているのか、判別はつかない。まあ、たぶん両方だろう。
「ははっ、ありがとうございます。明日も朝が早いので、僕はこれで失礼します」
「でもほんまにええの? かわいいねえちゃん、ようさんおるで」
うわぁ出た、この人の二次会誘導。
甘い言葉が耳を掠める。魅力的——ではある。あるのだが、脳裏に親父の仏頂面がちらついた瞬間、背筋が勝手に伸びた。まだ社長でもない身で羽目を外した日には、一週間は説教コースだ。確定演出である。
誘いを丁重に躱し、実家の高瀬川商事へ帰るべく、改札にICカードを押し当てる。
——ポーン。
残高不足を知らせる、死刑宣告みたいなビープ音。フラップドアが俺の鼻先でピシャリと閉じた。
「うわっ!」
後ろにいた高校生が、あからさまに舌打ち寄りの声を上げる。
いやいや俺が悪いですけども、それにしたって可愛げってもんがあるだろ君ィ。
「すいません」
とりあえず謝って、チャージするために踵を返す。大人の鑑だな俺、と自分で自分を褒めた——その瞬間だった。
視界がぶっ飛んだ。
俺と、後ろの高校生を、頭上からバケツでぶちまけたみたいな光が包み込んで——
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光が晴れると、足裏の感触が変わっていた。
駅のタイル特有の硬くて乾いた反発じゃない。もっと重くて、ひんやりとした何か。磨き抜かれた石の床に、薄く光の残滓を引いた幾何学模様が広がっている。
見上げれば高い天井、太い柱。ステンドグラスから差し込む光が空気中の塵を浮かび上がらせて、鼻には蝋燭の煙と、嗅いだこともない香の匂いが届いた。
さっきまで駅の改札前にいたはずの俺は、なぜか大聖堂っぽい何かのど真ん中に突っ立っていた。
「……は?」
声が漏れた。自分の呼吸音がやけにデカく聞こえるくらい、空間が静まり返っている。
横で衣擦れ。視線を移すと、さっきの高校生が同じポーズでぽかんと口を開けていた。目が合う。
「え……? あの、ここって……」
「……さあ」
こっちが知りたい。全世界で一番知りたいのは、今のところたぶん俺だ。
石造りの広間を、ローブ姿の連中が円を描くように取り囲んでいる。奥には毛足の長い絨毯が敷かれ、明らかに装束の格が違う一団が控えていた。服の仕立て、装飾の密度、立ち位置の間隔——商売柄、こういうのは見慣れている。あれが一番「偉い」グループだ。
——あー、これあれか。
俺は天井を仰いだ。
異世界召喚、ってやつだろ、たぶん。
学生の頃、友達に押し付けられて読んだ何冊かの表紙が、脳裏でパラパラとめくれる。なるほど、こういう始まり方だったなあ、あのジャンル。
「——おお、勇者様。よくぞ、この世界にお越しくださいました」
ローブの最前列にいた年配の男が一歩進み出て、厳かに告げた。紫のローブに金糸の刺繍、杖を握る手には、わずかな力み。周囲の魔術師たちが、一斉に頭を垂れる。
……おや?
なんかあちこちで動揺が走ってる。列の後方で、魔術師二人が顔を見合わせ、片方がもう片方の耳元に何か囁いた。気流に乗って、切れ端が届く。
「……二人、だと?」
「儀式の対象は、一人のはずでは……」
あっ。
これアレだな。発注ミス一個で慌てるうちの経理のおばちゃんに激似だ。
最前列のローブのおじさん——後にガレスと名乗る宮廷魔術師長——が、そこで一瞬、表情を失くした。顎の筋がピク、と動く。が、次の瞬間には何事もなかった顔に戻し、朗々と続けた。
「この世界は今、大いなる危機に瀕しております。どうか、我らをお救いください」
うん、仕切り直し入ったね。プロの所業だ。
奥の一団から、一人の女性が静かに進み出てきた。淡い色の絹の衣装、銀細工の髪飾り。歩く所作にまったく無駄がない。ああいう育ちの良さは狙って出せる類のものじゃない。
「お疲れのところ、恐縮でございます。私はこの国——アルヴェンディア王国の第二王女、イリアと申します。此度は勇者召喚の儀により、皆様をお呼び立てする仕儀となりました」
皆様、ね。
しっかり複数形で拾ってきたな王女様。
まあ、これでほぼ確定だ。こっちは予定外のおまけ——発注ミスの巻き添え側。「二個届いたんで両方サインしてください」って取引先に言われてる図と構造が同じだ。うちの業界でそれやったらキレてるやつだぞ俺は。
隣で高校生が、ごくり、と喉を鳴らす音が聞こえた。
「あの、これって、異世界召喚、ですよね? 魔王とか、勇者とか、そういう……」
声に戸惑いと、それを押しのける勢いで興奮が滲んでいる。
さすが現役世代、適応が早い。
俺なんか脳内で真っ先に「魔王討伐の人的リソースどうなってんだ」とか「報酬の支払い体系は?」とかの疑問が並んでる時点で、もうダメだ。立派な社畜予備軍である。
イリア王女が、柔らかく目を細めた。
「詳しいお話は、場所を改めてさせていただければと存じます。まずは、お二方のお力を確認させていただきたく——鑑定の儀を、執り行ってもよろしいでしょうか」
鑑定、ね。ステータスとかスキルが見えるやつだろう、たぶん。
こっちとしても、まずは相手の出方と、この世界の「相場」を知らないことには始まらない。情報は武器だ。商売と同じ。
「承知しました。お願いします」
俺は営業スマイルで頷いた。隣の高校生も、一拍遅れて、声を弾ませる。
「は、はい!」
ガレスが軽く手を掲げると、魔術師が二人進み出た。手にしているのは、握り拳ほどの水晶玉。それぞれ俺と高校生の前に差し出される。
「では、こちらに手を触れてください」
促されるまま、水晶に手を置いた。
冷たい。指先から、ひやりと何かを引き抜かれるような感覚——と同時に、水晶の内部で淡い光が渦を巻き始めた。ガレスの前に浮かんでいた石板に、見たこともない文字がずらずらと浮かび上がる。
ガレスの視線が、石板を上から下へとなぞっていった。
その動きが、途中で止まった。
顎の筋が、またわずかに動く。
「……これは」




