第84話 見えないポテンシャル 2
そう、美味かったのだ。
こんな見た目の液体が、しかしこの世界に来てから一番美味と感じたのだ。
「これは…………味噌汁じゃないか!」
味噌汁、それは日本の味!
前世では特にありがたみも無く日常的に食していたものが、しかし今はたまらなく懐かしく愛おしい。
まさか……この世界で味噌汁を堪能することができるとは。
「ミソ汁……というのは存じませんが、人間の食文化で同じようなものがあるというのは驚きですじゃ。なにせこれは作り方がかなり特殊ですので。この森の一部で発見されたドーブ菌という特殊なカビ菌を米と一緒に発酵させたものを、煮て潰したピング豆と塩を混ぜて長時間寝かせて作るんですじゃ。ドーブ菌はカビの一種でありながら毒性が無く、かつこの村では様々な食品を生み出す原材料となってますじゃ。まさに神のような菌……ということで、この村の神であるドーブ神様にちなんでドーブ菌と呼ばれることになったのですじゃ。ちなみにドブ汁のドブはドーブ菌のドーブをモジったものですじゃ」
さすがに村長ともなると博識なようだ。
事細かにペラペラと解説してくれた。
しかしなるほど、そのドーブ菌というやつは日本の麹菌と同じようなものなのだろう。
それなら味噌汁が作れるのも納得できる。
「ティア、本当に食べてダイジョーブ? そんなにおいしいの?」
《ううっ……味は……違和感がありますが、今のところ体に不調は出ていないようですが……」
図らずも俺が毒見係となる形となり、まずはマリオンが、それに続いてラトルが味噌汁を口にする。
「う~ん、不味くはないんだけど……」
「匂いが……気になりますね」
この味に慣れてない連中には軒並み不評のようだな。
「続いてはこちらになりますじゃ。朝炊いた残りですが、まだそれほど冷えてはいないためこれで我慢してくだされ」
村長は俺達の前にそれぞれ茶碗を一膳ずつ置き、それに続いてポルテが小鉢を添える。
「まさか……白米だ!」
これまたたまげた!
この国での主食はもちろんパンである。
米を使った料理が無いわけではないが、まともな精米技術が無いため使われるのは玄米だ。
しかも品種の問題なのか、俺の知る玄米よりもはるかに味も食感も劣る。
やたらと硬くパサパサしているのだ。
そもそもこの国では、米をおいしくいただこうという概念はないらしい。
それに比べてどうだろう?
ぷっくりと綺麗に膨らんだこの白米の、真珠のような輝きは。
俺が前世で食していた、日本の白米そのものではないか!
しかしこのレベルまで精米するとなると、相当高度な技術が必要なはず。
こんな森の中の小さな村でそれを可能とするとは、ここのオーク達の食に対するこだわりは並々ならぬものを感じる。
「そしてさらにこれは……まさか納豆か!」
添えられた小鉢の中身は土色の豆。
そしてその豆の表面に薄く霜のように付着しているのは、納豆菌の被りのようだ。
おまけに納豆とセットで出された小さな器の黒い液体。
指先に付けて舐めてみると、やはり醤油である!
味噌が作れるなら醤油が作れてもおかしくはない。
しかしこうも和食が揃い踏みとは、どうなってるんだこの村は!
「白米に納豆に醤油……あとはアレさえあれば!」
俺がそう渇望の音を漏らした直後、入り口からドクターが入ってくる。
裏口があったのか、いつの間にか外に出ていたようだ。
「まったく市場まで取りに行かせよって。ワタシだってもう敬られてもよい歳だぞ!」
ドクターはそう愚痴りながら鼻先の汗をハンカチで拭う。
食材の調達に行っていたのか、手には網かごが下げられている。
そしてその中には、今まさに俺が待ち望んだものが!
「すまねぇでさぁドクター。あとはワイがやりますんで、ソファで休んでくだせぇ」
網かごを受け取ったポルテが、テーブル上に器を三つ並べる。
かごから白い物体を取り出すと、それぞれの器に物体の中身を割り入れる。
そう、生卵だ!
「白米に納豆に醤油、そして生卵とくれば、完成するではないか! 納豆卵かけご飯が!!」
日本でしか絶対に食べられないはずのソウルフードが目の前に。
たしかに俺はカレーライスだってハンバーグだって大好きだ。
しかし生まれ変わったとはいっても、前世日本人の俺に和食抜きの食生活はやはり拷問に等しかったのだ。
テーブルに並んだ至宝を前に、俺はガッツポーズをして歓喜に打ち震える。
「ええっ? 卵を生のまま食べるの? ブッブーだよ! そんなことしたら死んじゃいまーす!」
「大丈夫でさぁマリオン嬢さん。この森の鳥は品種改良で菌を抑えていますし、卵も菌を取り除く処理がされてやす。この発酵させたピング豆と卵を混ぜてご飯にかけて、この調味料を一垂らしすると……これがたまらないんでさぁ!」
今にもヨダレを垂らしそうな顔で解説するポルテだが、マリオンはなおも抵抗感があるようで唖然とした表情で固まる。
そんなやり取りを尻目に俺は意気軒昂とテープル中央のカトラリーケースから箸を(オーク用の太いものだが)取り出す。
そして納豆を混ぜる!
ひたすら混ぜる!!
トコトン混ぜる!!!
ぐちゃぐちゃねちゃねちゃと糸を引く納豆。
久しぶりの納豆なのだ。
存分に味を引き立てねばな。
《あの……この豆腐ってますよねリュウ君? いくらなんでもこれを食べたりはしないですよね? ってなんでご飯にかけてるんですか! そしてなんで生の卵まで注ぐんですか! 無理ですよムリムリ!! 今すぐ止めてください! お願いだからぁ!!》
「ゴチャゴチャと五月蝿い奴だな! 食事の時には静かに! いつもお前が言ってることだろうが!」
ユーティアの懇願を無視しつつ俺は最後に醤油をかけると、茶碗を持ち上げ一気に搔込む。
納豆と生卵と醤油のコラボレーションが織り成す芳醇な味わい。
それがぷっくりと炊き上がった白米との調和によって、さらなる至高の領域へと昇格される。
「うっ……うまっ……美味ぇ! 最高!!」
《く……臭ぁい! しかもぬるぬるして……ま……まず……》
俺とユーティア。
納豆卵かけご飯に対する感想は正反対のようだ。
だが俺はユーティアの苦悶を気にもせず、さらにむさぼり食う。
「りゅ……リューちゃんてばデンジャラス!」
そんな俺を見てドン引きのマリオン。
しかしあまりにも美味そうにがっつく俺の姿に好奇心をくすぐられたのか、俺の真似をして箸を取り出すと納豆をかき混ぜ始める。
ラトルも本来は自分のために用意された食事ということもあって、手をつけないというわけにはいかなかったのだろう。
マリオンに続いて箸を取る。
そうして二人共に納豆卵かけご飯を口にするのだが案の定というべきか、双方とも苦虫を噛み潰したような表情。
やはりこの世界の一般人には受けが悪いようだ。
「せっかくですのでワシらもご一緒させていただいてよろしいですかな? ポルテも食べていくとよいぞ」
村長が俺から見てテーブル右側に。
ポルテとドクターが左側に座って、俺達と同じく納豆卵かけご飯を食べ始める。
テーブル中央には口直しとして野菜の漬物が添えられる。
徹底して和食である。
それにしても俺達とオークで卓を囲んでいるとは。
なんとも珍妙な光景。
「しかし驚いたな。この村の食文化は俺の知っている国のものとそっくりなんだ。どこで製法を手に入れたんだ村長?」
「はて? ワシらはもう長い間この森で住んでおりますし、この食生活はこの村で少しずつ築き上げられてきたものと認識しておりますじゃ。生卵もワシが子供の頃は衛生管理が不十分で、腹を壊したオークもいましたしのぉ」
村長は昔を懐かしむように語る。
たしかに、麹菌は限られた環境でしか生存しない。
ここのドーブ菌も同様なのかもしれない。
つまりこの特殊な森とオークの技術によって、たまたま和食と同じ食品の数々が培われてきたということなのか?
「でもワイは好きですがねぇこの村の料理。健康にも色々と良いみたいなんでさぁ」
「冗談じゃない、そのせいでこの村の連中ときたら健康すぎて張り合いがないわい。ワタシの医者としての天才的な才能を発揮する機会が乏しいのは寂しいかぎりではないか!」
などと言いながらも、ドクターは二杯目を食べ始めている。
結局は好物のようだ。




