第82話 近くて遠いもの 2
「とりあえず、ここまでの事情をラトルさんに一通り説明しておいたほうがいいですね?」
ユーティアはラトルを促し再びソファに座らせると、森でマンティコアと交戦中のラトルと遭遇したところから、ポルテに助けられてこの村まできた経緯を順を追って説明する。
ところがそれを聞いていたラトルの表情は、徐々に強張っていく。
聞き終える頃には頭を抱えてうなだれた。
「そうですか……僕は……またそんな醜態を晒したんですね……」
そう声を震わせるラトルは、また毒が回ったんじゃないかと思うぐらいに顔面蒼白となる。
こいつ太々しい兄とは対照的に、随分と豆腐メンタルだな。
「マンティコアはかなり危険性の高い魔物だそうですよ? 気に病む必要なんてありませんよ」
ユーティアの励ましを受けてもなおラトルの表情は晴れない。
眉間を歪め、ゆっくりと頭を左右に振る。
「駄目なんです……それでは。僕は……もっと兄上の役に立たなければ。でなければ、僕が生きている意味がありません」
ラトルの思い詰めた物言いに、ユーティアもマリオンも戸惑い口を噤む。
それに気付いたラトルは、やや気まずそうに目を伏せながらも続ける。
「これは……半ば公になっていることなので話してしまいますが、兄上と僕は異母兄弟なんです」
「イボキョーダイ……ってなんだっけ?」
「母方が異なる兄弟のことですよ。大人には……きっと色々とあるんだと思います」
マリオンに説明するユーティアだが、そこに至るであろう要因に関しては言葉を濁す。
それは話を切り出したラトルの歯切れの悪さから察せられる。
少なくとも再婚相手の子というわけではなさそうだ。
となると妾か愛人の子か。
「僕は最近まで母上と地方で農民として細々と暮らしていました。父上のことも、兄がいるということも知らずに、ただ毎日畑を耕して過ごす日々でした。でも母上と一緒でしたから幸せでしたし、それで十分だと思っていました。でも昨年母上が流行り病で亡くなってしまって……。悲しみと絶望に打ちひしがれていた時に、僕を助けてくれたのが兄上でした」
ラトルはなんか凄くシリアスに語りだす。
俺こういう空気苦手なんだけど……
「兄上も、母上が亡くなるまでは僕の存在を知らされていなかったそうです。なのに兄上は生活に困窮していた僕を引き取って面倒を見ると言い出したんです。父上や、周囲の反対を押し切って。そして兄上は僕に自分のやりたいことをやって生きたいように生きろと言いました。そのための援助は惜しまないとも。しかしただの農民でしかない自分に、生き甲斐になるほどの志というのも思いつかなくて……。最初は前職を続けようかとも思ったんですが、当時兄上はエクシードになりたて。兄上が脚光を浴びる中でその弟である僕が畑仕事を選ぶというのも……」
「だから、騎士になることにしたんですか?」
「はい、少しでも兄上のお側で兄上のお役に立てれば……と思ったのですが……」
ここで言い淀むのは、ラトルにはライアスの役には立てていないという自覚があるがゆえだろう。
「兄上は初めは危険だからと反対しました。しかし僕の熱意に負けて最後は折れてくれました。それどころか兄はこんな僕を応援してくれて、高価な鎧を調達してくれたり剣術の師範を雇ってくれたりしました。そしてついには自分の力を分け与えるとまで言い出したんです」
「それってつまり、ラトルちゃんがライアスちゃんのヴァレットになるってことだよね? 従位だけど、第三等位のエクシードだよ! やったね!!」
「いえ……ですがそれはお断りしたんです。さすがに甘え過ぎだと思いましたので。それに力を分ければ兄上のエクシードとしての力が減ると聞きます。それでは兄上の役に立つという趣旨に反しますので。なんとか自力で兄上の弟として恥じない活躍をと日々鍛錬してきたのですが、結果は見ての通り。世間に知れ渡る僕達兄弟の功績は、全て兄上の実力によるものです。僕は兄上と鎧に守られているだけ。本当に……情けなくて不甲斐ない話です」
嘆くように全てを吐き出したラトルは、今度は糸が切れた操り人形のように頭をもたげて押し黙った。
しかしユーティアはそんなラトルの前に跪くと、その手を両手で優しく包む。
「ラトルさん……あなたのお兄様は、きっとラトルさんが自分にとってどれほどの役に立つかなんて考えてはいないと思いますよ。私は孤児院で育ちました。幼い頃の私は本当におっちょこちょいで周りの役に立てずに失敗ばかりしていましたが、育ててくれた孤児院の方々はそれでも根気強く暖かく見守ってくれました。始めはそれが後ろめたくて落ち込むことも多かったんです。でも次第に少しだけ要領をつかめるようになってきて、褒められることも増えてきました。そして私は、これが家族というものなんだと思えたんです。足りない部分も支え合って、見守って、認めてあげて。ラトルさんとライアスさんはお互いをこんなに大切に思っているんです。ならなにも心配せずに、ラトルさんが自分の信念を貫き続ければよいと思います。すぐには無理でも、いずれきっとうまくいくはずです」
だがそんなユーティアの励ましを受けても、ラトルの沈んだ表情は変わらなかった。
「ユーティアさん……でも……ダメなんです。見たでしょう? 僕の戦う姿を。怖いんです……いざ敵を目の前にすると恐怖と緊張で目すら開けていられない。こんな……こんなどうしようもなく救いようのない人間というものは……生きる価値の無い人間というものはいるものなんですよ……」
まるで魂が抜けていくかのように、ラトルの語気は弱まっていく。
その言葉は、自分という存在そのものを半ば見限っているようにすら聞こえる。
「ふぅ…………もういいだろ、こういうの」
俺はぶっきらぼうに言い捨てると立ち上がった。
もちろん、ユーティアの体でだ。
そしてラトルの胸ぐらを掴むと、引っ張り上げて顔を突き合わせる。
「お・ま・え・な! いつまでメソメソしてやがる? 悲劇のヒロインにでもなったつもりか? お前人生舐めてるだろ? この世界はそう思い通りに進むほど都合よくはできちゃないんだよ! 言っておくが、お前より報われない人間なんてごまんといるぞ? 足掻いた挙句に何一つ報われずに殺されて、死んだ後でようやく光明が見える奴だっているんだ! たかが15歳の若造が、才能が無いだのと勝手に自分に見切りをつけやがって! お前は生きている間に大物の家族と誰もが羨む地位を得るチャンスまで与えられて、それでなにが不満だというんだ? 甘えるのも大概にしろよ! 目の前に障害があるなら問答無用でブチ壊せ! 邪魔者がいるならブチ殺せ! 必死になれば、怖いなんて思う暇すらなくなるんだよ!」
俺は憂さを晴らすかのようにブチ撒ける!
思い出すのだ……ラトルを見ていると。
前世の自分を。
世界を恐れ、自分の無力さに嘆き、心を閉じるしかなかった頃の自分を。
そんな過去の自分に対する苛立ちを搔き消すかのように、俺は半ば無意識に喝破していた。
もちろんこれでラトルのメンタルが持ち直しはしないだろう。
現にラトルは目を見開きポカンと呆気にとられた表情だ。
「うわぁ~、やっちゃったねリューちゃん」
《言い過ぎですよリュウ君! 傷ついている相手には、いたわりを持って接してあげないとですよ!!》
そうは言われてもな。
俺は精神科医でもセラピストでもない。
気の利いた処方箋など出せないぞ?
がしかし、ここでラトルがクスリと吹き出す。
「あははっ……そう……ですよね。僕は……恵まれているんだ。兄上がいて、こんなにも真剣に諭してくれるユーティアさんもいて。ただ……甘えていただけなのかもしれません。弱音を吐けば許されると、勘違いしていたんだ。優しいユーティアさんだって、時としてはこんなにも逞しく主張できるのに。僕も……変わらなくてはいけないですね。兄上のために……そしてまずは自分のために。ありがとうございますユーティアさん」
まだ完全に吹っ切れたというわけではないのだろう。
だがややぎこちない笑みを浮かべるラトルは、少しだけ晴々として見えた。
「うむ……そうか? それはよかったな」
なんか知らんがラトルはちょっと前向きになれたらしい。
まぁ結構なことだ。




