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第36話 迷探偵の朝 1

《もうっ! リュウ君いい加減に起きてくださーい!!》

「もう少し……あと五分だから……」

 まるで目覚ましのベルのようなけたたましい声に、俺は弱々しく抵抗する。


 三つ葉亭の二階の客室で布団に包まりながら、もうどれほどこうしてユーティアと悶着し続けているだろう。

 しかしこのフカフカの布団の感触を、そう易々と手放すことなどできようか。

 俺は寝ている間は魔法が解除される。

 だから今の俺にとって睡眠とは、なんとも味気ない行為なのだ。

 だからせめて、こうして起き掛けにウトウトしながら布団のモフモフに浸りたいという欲求があれども至極当然ではないか。


 この宿は寝具も上質だ。

 初日の安宿の固いマットレスとペラペラの布団とは雲泥の差。

 

《あと五分あと五分って、それ何度目ですか! もう八時ですよリュウ君! 雌鶏(めんどり)が夜明けに生んだ卵からそろそろヒヨコが飛び出してくるような時間ですよ?》

 んなわけあるまいて。

 それはユーティアなりのジョークなのだろうか?

 

 しかしユーティアに限らず、この世界の連中は朝が早い。

 照明機器が発達してないから寝るのが早く、当然起きるのも早くなる。

 休日は正午近くまでダラダラまどろんでいたい俺には合わない習慣だ。


《アンゼリカさんは昨晩も結局帰ってこなかったようですし、一刻も早く助けに行った方がいいと思うんですよ?》

「まったくせっかちな奴だな。だいたいマリオンだってまだ寝てるんじゃないのか? 言い出しっぺのあいつが居なけりゃ話も進むまい」

《なに言ってるんですか。昨晩マリーが朝七時に起こしに来ると言ってくれたのに、リュウ君が一人で起きられるって断ったんじゃないですか!》


 ……そうだっけか?

 (おぼろ)げながらにそんな記憶が無きにしも(あら)ず。


「わーかったよ。起きりゃいいんだろ起きれば!」

 さすがにこれ以上頭の中で(わめ)かれるのはたまらん。

 それにそろそろ腹も減ってきた。

 

 俺は布団から出るとグーッと背伸びをする。

「さーてと、んじゃ朝メシを食いにいくとするか!」


 なにせ滞在中は三食無料。

 まさにVIP待遇である。


《ちょ、ちょっと待ってくださいリュウ君! まさかその格好のまま行かないですよね?》

「──え? ダメなのか?」


 俺が今着ているのはこの部屋に備えてあったものだ。

 薄手のベージュの生地で、締め付けの無いゆったりとしたサイズ感。

 まぁいわゆるパジャマだ。


「いいじゃないかコレで、外に出るわけじゃないんだから」

《ちょっ、せめて髪を()かしてくださいよ! ボサボサ! ボサボサのままですからぁ!》

 ユーティアに言われて仕方なく手櫛で髪を()きながら部屋を出る。

 癖のあるユーティアの金の髪は、しかしそれでも所々跳ねてくる。


「ふぁぁあ~」

 俺は大口開けて欠伸しながら、一階の食堂へと階段を降りていく。

「あ、おはよう! ユーティアお姉……」


 俺を見つけたミリィが駆け寄ってきたものの、腹をポリポリ掻く俺の顔を見るや否や口を(つぐ)む。

「ミリィ、お前学校とか行ってないのか? さてはサボリだな? その齢にして自由人とは、ククク……なかなか見所のある奴だ」

「ち……違うよ、今日は学校休みなんだよ。それにリカ姉がいないからあたしが店を手伝ってるんだもん!」

 ちょっと怯えながらもミリィは反論する。


 たしかに、彼女は身長に合ったエプロンを身に着けている。

 子供がこうして朝っぱらから労役に勤しむというのも、この世界では珍しいことでもないんだろう。


 俺はミリィにこの食堂のベーシックな朝食を注文すると、窓側の席に腰かけた。

 開け放たれた窓からは、まだ少し肌寒さの残る風がそよいでくる。

 食堂は八割方客で埋まっていて、マールとミリィがせわしなく歩き回っている。

 この店はモーニングも人気らしい。


 10分程の後、運ばれてきた料理を口にする。

 ハムエッグにスライストマトやらチーズやらが挟まれたサンドイッチに紅茶という、オーソドックスな朝食。

 とはいえ味は申し分ない。

 サンドイッチはマスタードのような辛みの効いたソースで味付けされていて、程良く目を覚まさせてくれる。


「うむ極上かな。働かずに食べるタダ飯は最高だぜ!」

《ちょっとリュウ君! 無料ではないですよ? 忘れてませんよね?》

「わーてるって! アンゼリカを助けに行けばいいんだろう?」

 面倒な話だが、まぁやるしかないか。


 とはいえ俺達はこの町のことすらよく知らない。

 いろいろと情報収集が必要ではないか?


「おっはよー! ティア! リューちゃん!!」

 突然──テーブル横の窓からマリオンの上半身が飛び出す。

 あまりに予想外の出来事に驚いた俺は、思わず紅茶を吹き出しそうになる。


「ゴホッ! ──マリオン、お前どこから出てきやがるんだ……」

「ニャッハハー! まぁまぁ」

 さすがに窓から入ってくるのはためらわれたのか、マリオンは窓から引っ込むと店の入り口から踊り入る。


 テーブルとテーブルの間をクルクルと縫うように飛び跳ねると、俺の向いの席にストンと座る。

 もちろんポチも一緒だ。

 ポチの前脚はマリオンの肩に磁石でくっついているかのように固定されていて、このアクロバティックな動きにも振り落とされることはなかった。 


 着席したマリオンはサンドイッチを一つつまんで口に放る。

 もちろん俺のサンドイッチをだ。

 

「おい貴様、朝から余程死にたいようだな!」

「あははっ! まぁまぁリューちゃん。外を歩き回ったから小腹が空いたんだよ。一個ぐらいいいじゃん!」

 などとのたまいながらこの盗人は、さらにもう一つサンドイッチをつまむと中のハムを取り出してポチに与える。


《マリーは散歩に行ってたんですか?》

「散歩といえばそうだけど。でもね、ただ歩き回ってたわけじゃあないんだな! イルヴィネス教団について周辺で聞き込み調査をしていたのです! そう、名探偵マリオンの捜査はすでに始まっているのだ!」

 マリオンは探偵さながらにハンチング帽を目深にかぶると、グイッと親指を立てて見せる。

 なんでも形から入る奴だな。


 というかその帽子は後ろのポールハンガーに掛かっていたどこぞのオッサンの私物だろうが。

 早く返しておけ。


《すごいですマリー! 私なんてその間寝ていて……本当に申し訳ないです》

「いいってことよティア、どーせリューちゃんが起きたがらなかったんでしょ? リューちゃんはまだ子供だからしょーがないよぉ。よちよち~」

 マリオンは俺の頭をナデナデしてくる。

 クッ……コイツに年下扱いされると無性に腹が立つんだが!


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