出征準備
国王陛下の勅令とあれば、名ばかりであっても辺境伯の肩書を持つ私に、断る選択肢はない。出征は、しないといけないんだろうと、覚悟してる。そして、もう想い出に変わってしまっているけれど……かつて一番大好きな男性だったアルフォンス様が窮地に陥っているなら何とかして差し上げたいという気持ちも、もちろんあるのだ。
だけど、ロワールはバイエルンの西に位置する国だ。それに対して私の預かっているシュトローブル辺境伯領は、バイエルンの南東部に不自然に張り出した最果ての、まさに辺境の地なんだよね。
ここからロワールに遠征してしまったら、領地で何が起ころうが、簡単に戻っては来られない。辺境伯家に昇格してから、新設した獣人部隊も含め一万五千の領軍をエグモント司令官の統率の元なんとか整備したけれど、一体どれだけの兵力を率いていけば、陛下の御心に添えるのだろうな。
「ああ、そこは心配しなくていいよ。本来なら、国土の東境を護るべきロッテにロワール遠征を命じること自体、無理筋なことなのだからね。それでも出征して欲しい理由は、『名高い献身の聖女がアルフォンス王を支持している』『自らを捨てたアルフォンス王を聖女はすでに許し、慈愛を注いでいる』と、ロワール国民や貴族たちに、見せつけてやるためなのだから」
なるほど、私はアルフォンス勢力の広告塔というか、看板になることを期待されているわけね。不本意ではあるけれど……過剰に修飾され民衆の隅々まで拡散された聖女の虚像を思えば、確かに私が行くだけでも有効なのかもしれないな。
「まあそんなわけで、シュトローブルの領軍はロッテを守るのに必要な分だけでいいとの陛下の御諚だ。せいぜい五百ってところが適切じゃないかと私は思うよ」
ハインリヒ兄様が、ようやく伝えるべきことを全部伝え終えたことで、安堵の表情を浮かべる。そして今度は兄の顔になって、口許を緩ませる。
「決して、無理しちゃいけないよ。ロッテはこのシュトローブル、いやバイエルンに無くてはならない女性なんだ、そしてこの内戦に関して、何の責任や義務があるわけでもない。遠征軍の『看板』は務めてもらわなくてはならないけれど……危ないことはしないで欲しい、前線になんか絶対出ちゃいけないからね」
「はい、兄様」
従軍を迫っておきながら「危ないことはするな」とか、変なの。だけど私を心配する気持ちは、十分伝わってるよ。私は今日一番の笑顔を、お兄様に向けた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ハインリヒ兄様は、せかせかと王都へトンボ帰りしていった。兄様だって高官の一人なのだ、本格的な対外戦争をしようっていう直前だから、多忙を極めていたのだろう。それでも直接勅命を伝えに来てくれたっていうことは、私の参戦ってやつが、それだけ大事だってことなんだろうな。
「それで、ロッテ様はロワールに参られるのですか?」
「うん、今回は仕方ないと思うわ。陛下の勅令だしね」
いろいろくたびれてソファに身体を沈める私に気遣わし気な視線を向けて、今度はローズの香り立ち昇るお茶を淹れてくれるのはクララ。
「では、私もご一緒に」
「ダメよ! ファニーを戦場に連れていくわけにはいかないわ」
「どこまでもロッテ様についていくとお誓いしたというのに……」
いやいや、それはマズいでしょ。今のファニーにはお母さんの存在が必要だ。確かにお世話係兼護衛としてクララ以上に有能な子はいないと思うけど……今回の戦はあくまで看板として参加するものだ、私が直接前線で血戦しなければならないような事態にはならないはず。クララには愛娘のそばに、いてあげてほしい。
「くっ、残念です……ならばビアンカ、私たちの大事なご主人様を、頼みましたよ」
「ええ! お任せください、クララお姉様」
なんとかクララはあきらめてくれたらしい。託されたビアンカはもう行く気満々で、なにやら力こぶなど作って、任せてアピールをしている。まあ彼女も人型で戦うときはクララにかなわないけど、弓の腕も上がってるし、獣化すれば接近戦でもめちゃくちゃ強い。ビアンカが一緒に来てくれれば、何かと心強いな。何しろ今回は他領の貴族や、軍の高官たちとの面談機会がいっぱいありそうだし、人の顔を覚えるのが苦手な私は、彼女の驚異的な記憶力に、頼るしかないのだ。
ローズの香りを胸いっぱいに吸い込んで落ち着いた私は、ディートハルト様やエグモントさんを呼んで、出征の相談をした。お二人とも驚いてはいたけれど、さくさくと体制を決めてくれた。戦力として期待されているわけじゃないみたいだから、重装の兵士は少なくして、その代わりアルマさんやアベルさんといった隠密部隊をつけてもらえることになった。
「領主様が遠征軍の看板になりうるということならば、敵もその看板を真っ先に狙ってくるでしょうからね。それも、密かに……」
そっか、暗殺に注意って言われているのね。なぜだか私は大物扱い、気が重いなあ。




