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SciFi創作論  作者: 宮沢弘
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補足: 何者なのか

 キリスト教圏においてもイスラム教圏においても、誰かが「何者」かであるということはありえません。仏教圏においてもユダヤ教圏においても。「何者」かであるということは、救世主、預言者、目覚めた者にしか許されない立ち位置です。

 しかし、SciFiにおいては登場人物は「何者」かでなければなりません。

 「何者」かであるか、「何者」かでないかはどのように分かれるのでしょう。簡単な話です。自身が「何者」であるかを知っているかどうかです。仕事や立場というものによって見ることができるモノではなく、自身を全人的に「何者」であるかを知っているかどうかです。

 たとえば、今、ワークライフバランスという言葉があります。これは全人的であることすら否定する概念であり、言うなら極めてキリスト教的な考えかたです。つまり、全人的であることはありえず、またあってはならないのです。全人的に「何者」かであることが許されるのは、救世主(そして預言者、目覚めた者)しかありえず、あるはずもなく、またあってはならないのです。

 しかし、SciFiの登場人物は「何者」かでなければなりません。

 ネット上の小説で目にするのは、「何者かになろうとする」話でしょう。あるいは、「何者なのかを知ろうとする」話でしょう。ですが、それらはSciFiではありえません。

 SciFiにおいては、「何者」かであるゆえにこそ何かをするのです。仮に冒険の話だったとしても、「何者」かになるために冒険するのではなく、「何者」かであるからこそ冒険をするのです。

 これは、ファンタジーで言えば、勇者だからとかという話ではありません。ただ、全人的に「何者」かであるからというだけです。

 さて、そうすると全人的に「何者」かを知っているとはどういうことなのかという話になります。これは私には説明できません。説明する方法を知りません。ただ、「あなたは誰なのかを考えろ」としか言えません。


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