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第1話 一九九〇年へ

 私の人生は、最悪だった。


 氷河期世代と呼ばれ、就職活動に苦労はした。

 だが、職に就けなかったわけではない。


 大学教授の紹介で、中堅メーカーの営業として採用された。

 給料は高くない。だが違法な長時間労働を強いる会社でもなかった。


 一浪一留してしまったが、ゼミの仲間にも恵まれ、互いの卒論をぶつけ合い、笑い合い、

 それなりに充実した学生生活を送った。


――あの日までは。


 二〇〇〇年。大学の卒業式の翌日。


 世界が変わった。


 両親の工場が閉鎖された。

 それだけなら、まだよかった。


 両親が、消えた。


 上京していた私は、何も知らなかった。

 電話もつながらない。家はもぬけの殻だった。


 警察に届け出た、その日の夜。


 私の前に現れたのは、借金取りの飯田という男だった。


 太い金の指輪。

 耳には複数のピアス。

 刈り上げに反り込みを入れた金髪。


 笑っているのに、目だけが笑っていない。


「ご両親、合わせて九千万。あと利息分が一千万」


 飯田は淡々と言った。


 生命保険はかけられていた。

 両親は「息子に迷惑をかけない」ことを条件に、自ら命を絶ったという。


 だが、利息が残った。


 私はその意味を理解していなかった。


「少しずつでも払います」


 そう言ってしまった。


 あの一言で、すべてが決まった。


 後になって弁護士から聞いた。


「払わなければ、相続放棄できました」


 半年後。


 両親の遺体が、雪の積もった山奥で発見された。


 自殺した当時はまだあたりが白く発見できなかった。


 だが、そのニュースは数日で消えた。次に流れた篠原という家族が喧嘩の末亡くなったニュースも流れたが、これも数日で消えるだろう。

 皆、自分が生きるだけで精一杯だった。


 私は五年、借金に追われながら生きた。


 働き、返し、足りず、また借りる。


 生活は荒れた。

 ギャンブルにも手を出した。競馬に競艇、パチンコ。だが、すべて負けた。


 会社でもミスが増えた。


 ある日、声が漏れた。


「なんのために、生きてるんだ」


 答えはなかった。


 気がつけば、両親が亡くなった山に立っていた。


 雪が降っていた。


 もし俺の死体が見つかったら、

 またあの地主に迷惑をかけるだろうか。


 通勤電車に飛び込むよりは、ましか。


 そう思いながら、私は雪の中に横たわった。


 やり直せるなら。


 もう一度、やり直したい。


 父と一緒に競馬を見たい。

 母の作る味噌汁を食べたい。

 ただ一緒に、食卓を囲みたい。


 そんな当たり前が、欲しかった。


 天沼太陽

 享年三十歳

 二〇〇五年十二月二十日


 私が目覚めたのは、見慣れた学習机だった。


 頬が冷たい。

 指先が震えている。


 ――まだ生きているのか。

 なら、早く死にたい。


 雪山で死んだはずだ。


 壁のカレンダーには、

 一九九〇年十二月。

 受験まで、あと六〇日。


 血の気が戻る。

 息が荒くなる。

 周囲を見渡す。


 ここは――実家だ。


 死んだはずの十五年前。

 両親がまだ生きている世界に、

 私は戻っていた。

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