現れる十字架
咆哮と共に、リヴァイアサンの巨大な尾が地面を砕き、激流と魔力の奔流が戦場を包み込む。空気が震え、水の刃が飛び交う中――白き光と共に二つの影が駆ける。
「シエラ、左翼から!」
「了解。援護する!」
シエラが精霊の加護で空へと舞い上がり、風と雷の精霊の魔力を指先に込める。
「《エア・ピアッサー》!」
鋭い風の槍が空を裂き、リヴァイアサンの顔面を射抜くように襲う。
その隙を縫って、アルノアが接近。
「――《白雷氷刃》!」
白き雷と氷を纏った大鎌が水龍の鱗を斬り裂き、黒いオーラを弾き飛ばす。
「グォォオオ――ッ!!」
リヴァイアサンの咆哮。戦場が震える中――
「いっくぜぇぇえッ!!」
ラウドが炎と水、相反する魔力を拳に纏う。
右拳には灼熱の《煉炎》。左拳には圧縮された《水牙》。
両の属性が絶妙なバランスで融合することで、剛力と柔軟性を併せ持った拳撃となる。
「《双爆連拳》!!」
連撃がリヴァイアサンの胸部に炸裂し、水と炎がぶつかりあって起こした爆風が周囲を包んだ。
「ガレス! 今だ!」
「任せておけッ!!」
巨体を活かした突撃と共に、ガレスが巨斧を振り上げる。
その斧には重力のような魔力がこもり、周囲の空気さえ震わせる。
「《轟鉄断!》」
リヴァイアサンの側面に叩き込まれた一撃が衝撃波を起こし、周囲の水を蒸発させるほどの威力を見せる。
「動きが鈍ったぞ!」
ゼルドが鋭く分析し、弱点を即座に共有。
「弱点、左腹下! ミア、エギル、カバー!」
「了解!」
ミアの誘導魔法とエギルの重盾が前線を守り、エリスのヒールが途切れることなく仲間の傷を癒す。
そして、カイアスがその剣を振りかざした。
「まだまだ、終わらねぇぞッ!」
風を纏った一閃がリヴァイアサンの首筋を捉える。
全員の連携が、確実にリヴァイアサンを追い詰めていた。
戦況は揺れ動くが、確かな連携が形になっていた。
そして――白き魔力を放つアルノアの眼差しが、次なる一手を見据える。
「ここからだ……本当の勝負は」
咆哮と共にリヴァイアサンの身体が激しく震える。
その巨体を包んでいた黒いオーラが――まるで殻が剥がれるように、部分的に崩れ始めた。
「通る……! 今だ、押し込め!!」
エギルの声に、アルノアが大鎌を握り直す。
ガレスの斧がもう一度叩き込まれ、ラウドの炎と水が炸裂する。
確かに、今の攻撃は通っていた。――が。
「ッ!? 待て、何か来るぞ!」
ミアの勘が鋭く反応した刹那――
リヴァイアサンの黒いオーラが、まるで生きているかのように蠢き、再び全身へまとわりつく。
今度はただの強化ではなかった。禍々しい魔力が、リヴァイアサンの身体を締め付け、ねじ伏せ、強引にその身を染め上げる。
「……なにこれ……!」
「完全に……黒くなった……!」
全身が漆黒に染まったリヴァイアサンは、目も口も、全てが黒い影のように曇っていた。
一切の光を拒むかのような存在感。
――攻撃が、通らない。
どんな一撃を加えても、ただ空を切るように受け流され、リヴァイアサンの動きは鈍るどころかますます凶暴さを増していた。
焦りが広がる。
「……このままじゃ、まずいぞ……!」
「何か、何か手が……!」
全員が突破口を探して動く中――
「……ッ!?」
何もなかった空間に、突然“何か”が出現した。
誰も何も感じなかったその一瞬。まるで時間すら騙したかのように、ぬるりと――“それ”は姿を現した。
暗色のマントに身を包み、フードで顔を隠したその者。
気配は薄いはずなのに、場の空気が一気に冷えた。空間が、ひとつ深く沈んだような感覚。
「……嘘、だろ……」
アルノアが低く呟き、シエラの顔も一瞬で強張った。
「来てしまった……こんな場所で……!」
二人だけが知る、異質な何か。
黒いオーラと呼応するように現れた“その存在”に、危機感が胸を貫いた。
「全員……警戒を! あいつ……本当に危険だ!」
アルノアの声が、今までにないほど張り詰めたものだった。
「おや……?」
柔らかくもどこか艶やかさを含んだ声が場に響く。
黒いマントの男は、軽く顎に手を添えて笑みを浮かべたように見えた。
「私のこのマントを見ただけでその警戒……。
もしかして――同胞にでも会ったことがあるのでしょうか?」
マントの隙間から見えた胸元には、禍々しくも神聖な印象を与える、黒鉄の十字架が吊るされていた。
光の届かぬこの空間の中で、十字架はまるで自らの意思を持つかのように妖しく煌めく。
そして――
その男がゆっくりとフードを下ろし、顔を晒した瞬間だった。
「……スプラグナス!!」
カイアスの叫びが、洞窟内の張り詰めた空気を裂いた。
マントの下から現れた男の顔――それを見た瞬間、カイアスの顔が苦悶と憎悪で歪む。
「……なぜ……お前が生きている……!」
「……ああ?」
エギルが振り返り、仲間たちも警戒心を強めながら男を注視する。
スプラグナスは、悠然とフードを脱ぎ、少しだけ首をかしげて笑った。
「……これは奇遇ですね。まさかまたお会いできるとは。
あの時の船――あれは確か“ブラクトゥス号”でしたか」
その名を口にした瞬間、カイアスの胸の奥に、封じ込めていた光景が蘇る。
――荒れ狂う海、怒り狂ったリヴァイアサン。
――船を引き裂く渦潮、次々と落ちていく仲間たち。
そして、あの瞬間――
船の甲板の中央で、微笑みながら立っていた男。
渦の中心で、十字架を掲げ、すべてを受け入れるかのように――笑っていた、その姿。
「……やっぱり……間違いない。
最後まで……最後まで船に残っていた、笑っていたのはお前だった……!」
カイアスの瞳が怒りに燃える。
「乗組員が死んでいく中、お前だけが――お前だけが笑っていた!
あの時から……ずっと、お前のことを……!」
「ふふ……失礼、それは少し誤解ですよ。私はただ、“神の導き”を信じていたのです。
そして結果、私もこの場所に辿り着いた……つまり、それが答えでしょう?」
スプラグナスの口元が不気味に吊り上がる。
「お前のせいで……! 仲間は……俺たちは……!」
「そう。リヴァイアサンとの出会いは、神に選ばれし者に訪れる“通過儀礼”。
生き延びたあなたも……もしかして、選ばれているのでは?」
その言葉に、全員の視線がカイアスに集まる。
だが彼は拳を強く握り締め、歯を食いしばり、震える声で吐き出した。
「……選ばれた? 冗談じゃない……!
お前の言葉で正当化できるような地獄じゃなかった……!」
その時、黒く染まりきったリヴァイアサンが吼える。
咆哮とともに地面が揺れ、洞窟の水面が激しく波打つ。
スプラグナスはリヴァイアサンの方へ振り返りながら、静かに十字架に手を添えた。
「さあ……試練の続きを、始めましょうか」
その言葉と同時に、空気が――完全に、殺気を帯びて変わった。




