第30話 探偵の看板
六週間後、エデンの再審は終わった。
無罪。
短い言葉だった。
七年間を取り戻すには、短すぎる。けれど、今日からの七年を始めるには、十分だった。
エデンはすぐに大きな病院へ戻らず、ネラの診療所を手伝うことにした。
テオは新しい白衣を縫った。
「父さん、右の袖だけ長くない?」
「採寸したのはお前だろう」
「急に伸びたのかと思った」
ミラが吹き出す。
ガルド、ヴォス、セラ、オリンの事件は、証拠を分けて審理された。セラの母とヴォスの娘が罪を負うことはない。強要された事情も、本人がしたことも、それぞれ記録された。
白鷺財団の資産は、被害回復の手続きへ回された。
その後に下された各事件の判決は、責任を一つにまとめなかった。
ガルドには、危険を知った薬の納入、不正な送金、放火の指示、裁判資料の改竄。ヴォスには、放火の実行、ハルの殺害、レインへの証拠捏造など。
セラの殺人と、オリンの襲撃・放火も、それぞれ有罪となった。
自分より強い者に従ったことも、家族を助けたかったことも、したことを消しはしなかった。事情を調べることと、被害を認めることが、同じ判決の中に並んだ。
レインは、アルマンの料理人へ判決の写しを届けた。
料理人は受け取り、机へ置いた。
「犯人が分かったら、少し楽になるかと思っていました」
「どうですか」
「分からない。ただ、旦那様が間抜けだったと言われずに済む」
レインは頷いた。
信じた相手に裏切られた人のことを、信じたから悪かったと言わずに済む。
取り戻せるものは、命だけではない。
料理人は帰り際に、蜂蜜を使わない焼き菓子を一包みくれた。
「いつか、また蜂蜜でも作ります」
レインは、その日を急がせなかった。
救貧院の三人にも本来の名が戻り、遺族への連絡が始まった。
病院の火で亡くなった少年の名は、ユアン。
ノクスが、花を置きに来た。
仮面も帽子もなかった。
ミラは彼の背中に向かって言った。
「ルカ・ヴェイル。あなたの盗難と侵入の件も、なくなっていない」
「知っている」
「任意の事情聴取から始める。逃げれば追う」
ルカは振り向いた。
「逃げなくても、追ってくれる?」
「仕事を増やさないで」
彼は少し笑い、差し出された面会日時の紙を受け取った。
レインは記録官の仕事を続けた。
ただし、見習いではなくなった。オルドの推薦で、再調査を必要とする案件の記録担当も任された。
裁判所の向かいに、空き部屋が一つある。
彼は休日だけ、そこで市民の相談を聞くことにした。まずは書類を読んで、適切な窓口へつなぐ。事件なら捜査官へ届ける。
探偵という肩書に、特別な権限はない。
だからこそ、何を確かめるかは、自分で決めなければならなかった。
扉に看板が届いた。
『レイン調査相談所』
その下へ、別の字で小さく足されている。
『靴の修理は承りません』
ミラが看板を見て笑う。
「犯人の字に、見覚えがある」
「記録しておきます」
レインは看板を掛けた。
最初の相談者は、財布を落とした老人だった。
次は、隣家の煙突が境界を越えているという職人。
そして夕方、北の都から一通の手紙が届いた。
『夫は昨日、雪の密室で死にました。
今朝、夫から手紙が届きました。
どうか、私が夫を殺す前に来てください。』
消印は、今朝。
封筒の中には、結婚指輪が二つ入っていた。
ミラが窓を閉める。
「相談所、開けたばかりなのに」
レインは手紙を読み直した。
死んだ夫からの手紙。
夫を殺す前に、という妻。
意味を急いで足してはいけない。
「まず、この方が何を見たのかを聞きましょう」
扉の向こうで、軽いノックがした。
ミラが剣の柄に手を置く。
レインは、新しい調書を開いた。
魔法では解けない謎がある。
人が、もう分かったつもりになった謎だ。
その扉を開けるために、彼は席を立った。
――第一作 完――




