宴のあとで
これにて完結。
今宵の花嫁は美しい娘だった。なぜあのような美しい女が、武骨な蛮族の隣で微笑んでいるのかがわからないほどに。
祝いの言葉を告げた男に対して何ら興味を持たぬ気位の高そうな青い瞳が、自分だけに向けられ、自分の腕の中で甘く溶けるのを見てみたい。
男は周囲の視線から逃れるように、気が付けば随分と杯を重ねていた。アルコールのせいで濁る思考で男は考える。
――あの少女を手に入れるにはどうしたらいいだろうか。
あの少女が森の聖女だとすれば、一体あの砂漠の王はどうやって手に入れたのか。いや、そんなことは関係がない。あの少女が森の聖女ならば、森の王国の王である自分のものであるべきだ。きっと、あのような強面の男よりも、自分の隣に立った方がより見栄えがいいだろう。
そう思っていたことが口に出ていたのか、気が付けば酌をしていた女が「ご案内しましょうか」と言ってきた。濁った瞳で上段を見るとすでに砂漠の王と妃は退出した後である。
ヨロリと男は立ち上がる。ふらついた体が女に支えられる。思わず押し付けられた豊満な胸に視線が行き、無意識に伸ばしていた手はさらりとかわされた。
そのまま腕をひかれ、回廊を歩く。いったいどこへ向かうのか、自分は何をしようとしているのか。すでに男は理解していなかった。
だから、通された部屋で夜着の姿でたたずんでいた少女を見た瞬間に、男は大きく目を見開き、腕を伸ばしていた。
少女は一瞬だけ驚いたように目を見開くと、男から逃げるように体を翻した。その姿に、男は一瞬のうちに頭に血を上らせ、乱暴に少女の腕をつかむ。
「どうして逃げる!」
「イッ」
ギリリと、男の手の中で少女の腕の骨がきしむ。アルコールのせいで力加減がされずに力いっぱい握りしめられ、少女は短く悲鳴を上げる。
「お前が森の聖女ならば、私のそばにいるべきだろう!」
「っ、離せ!」
「砂漠の王などに、あの男になど!」
このまま少女を組み敷いて、自分のものにしてしまえ。男の中の悪魔ともいうべき声がそうささやいた。ここがどこであるかなどは全く気にならなかった。ただ、目の前の少女を手に入れたかった。それだけだった。
だが次の瞬間、少女が男の腕に飛び込むように体を反転させる。男は思わずバランスを崩し、床に倒れこんだ。呆然と少女を見上げる。男は手を離したつもりはない。だが、少女は立ったまま、男は床に転がっていた。
「キサマ!」
突き飛ばされたと思った男は怒りに顔をゆがませ、もう一度少女へと向かって腕を伸ばした。いや、伸ばそうとしたのだ。だが、伸ばせなかった。なぜなら、男の腕は肩からバッサリと切り落とされていたからだ。
「あ……あぁぁぁぁぁあ! 腕が!! 私の腕が!!!」
残されたもう一方の手で切り落とされた肩を押さえる。アルコールのせいか、痛みは感じられなかったのは幸いだろう。おびえたように視線を向けた少女の足元には、今まさに切り落とされたのだろう自身の腕が落ちている。
「貴様、この私を誰だと思っている!」
「初夜の新婦の部屋に忍び込む不届き者だねぇ」
叫ぶ男の声にそんな声が背後から聞こえた。振り返ると数人の武装した女たちがいた。
*
「無事かい、リリアーナ」
「うん」
ベニータの問いにうなずくと、リリアーナは床でのたうち回っている男に一瞥たりとも向けずに彼女に近づいた。
寝室に許可なく入ってくる男は殺していい。事前にそういわれていたリリアーナだが、剣を振り切ろうとした瞬間、祝いの言葉を告げた他国の王であることに気が付き、剣の軌道を首ではなく肩へと変えたのだ。
そのせいで部屋中血塗れで、これは後でパスクアルに怒られるな。と、リリアーナは内心でため息をついた。単純な試合ではベニータに勝ったが、まだまだとっさの判断などでは彼女にはかなわないリリアーナだ。
ベニータの後ろにいた兵士が簡単に男の止血を施し、引きずるようにして運んでいく。ベニータの言うとおり、いくら他国の王と言えども招かれた先の王妃の寝室に無断侵入したとなれば、ただで済まないだろう。
「始末はついたか」
「パスクアル」
そこに、パスクアルが戻ってきた。ベニータから離れ、小走りで駆け寄るリリアーナの体を抱き上げる。甘えるように頬を摺り寄せるリリアーナに、パスクアルは「どうした」と尋ねると、リリアーナは唇を尖らせた。
「あなたの番は私だよね」
「そうだな」
「……あいつにパスクアルの悪口言われた。
私の番の悪口を言った。やっぱり殺しておけばよかったかな」
肉食獣が威嚇するように低い声を出すリリアーナに、パスクアルはなだめるようにその背中を叩く。
それからパスクアルはもう一人の人物へと視線を向ける。その人物は、床に転がった腕を拾い、布にくるんでいた。年はパスクアルとは親子よりも離れているだろう。
しわが刻まれた顔には、どこか安堵にも似た感情がうかがえた。
「モリャ家はそれで満足しろ。いまさらあの国を攻め落としても旨味はない」
「…………」
パスクアルにそう言われた人物はしばらく布にくるんだ森の王国の王の腕を見下ろし、やがて無言で頭を下げると部屋を出て行った。
「モリャ家? ……確か、先王の出身氏族だっけ」
ベニータに教えられた砂漠の氏族を思い出しながら言えば、パスクアルがうなずいた。そして、パスクアルとリリアーナの婚姻を最後まで反対していた一族でもある。彼らには白い肌への恨みがあった。
だがそれでも、彼女の存在価値を考え私怨よりも国の繁栄を願った。かつての王の一族であった誇りを取ったのだ。
「恨み?」
「あぁ。先王の妹があの男の親族によって貶められ、捨てられた。
……その足の腱が切られ、指の爪が剥がされ、片目は視力を失っていたらしい」
リリアーナは息を呑む。先代王の妹の話は聞いていたが、そこまで惨い扱いをされていたとは思わなかったのだ。リリアーナは脳裏に現在のモリャ家当主の、自身を見る憎しみが混じった、だがそれでいて深い悲しみと憐憫を宿した瞳を思い出して小さく首を振る。
ひょっとしたら、彼らがリリアーナを認めたのは森の聖女である以上に、あの国の王族に捨てられた身であると知ったからもしれないな。と、パスクアルは思っている。
しかしリリアーナとの婚姻を認めたとはいえ、モリャ家は昔から森の王国への復讐を声高に主張し続けていた。しかし今となっては、パスクアルが言うように森の加護を失ったかの国は、その変化に耐えきることができずにいずれ消えていく運命にある。
あの王が健在ならばひょっとして持ち直すかもしれないが、腕を切り落とされた理由は大々的に発表するつもりだ。森の聖女の失策も含めて、あの男をまともに相手をする国など存在しないだろう。
パスクアルは血で汚れた部屋をきれいにするように命じると、廊下に出て本当に彼の私室へと向かう。仮にも王の私室が、招待客が容易に入れる場所にあるわけがないのだ。
「ひとまず、風呂が先だな」
「そうだね」
よけたとはいえ、多少血は浴びたリリアーナにパスクアルが言う。
パスクアルの寝室に案内されると思っていたリリアーナは困惑してしまい、そのせいで男に対する初動が遅れてしまったのが本人としては悔やまれる。リリアーナは強い力で掴まれたせいで、少しだけ痣になっている腕を見下ろして舌打ちした。
「パスクアル」
「なんだ?」
「私は役に立った?」
リリアーナがパスクアルの顔をのぞき込む。青い瞳が物騒な光を宿し、ぞっとするほどに美しかった。気を抜けば喉元に噛みついてくるような、美しく、誇り高い獣の瞳。
それこそが、パスクアルが惹かれた理由だった。
「……もちろんだ」
パスクアルが答える。するとリリアーナは満足そうに目を細めると、パスクアルの胸に体を寄りかからせる。
風呂は後にするか。と、パスクアルはこれからの予定を変更する。多少血の臭いがしたほうが、なんとなく自分たちらしいような気がした。
傍若無人と畏れられる砂漠の王と、獣の瞳を持つ妃には、きっと血の臭いがお似合いなのだろう。
さて、この後砂漠の王とその妃は仲睦まじく過ごすこととなる。王は同族から何人かの側室を娶ったが、彼が生涯において自身の隣を許したのは王妃ただ一人であったという。
ただ妃はよく王宮を飛び出し、あちらこちらへと旅をしてはふらりと戻ってくることが多かった。本来は咎める立場であるはずの、ほかならぬ王本人が「世界を見せてやる」と言って連れ出した手前文句も言えず。さらに王妃が向かった先は森の加護を得て土地が豊かになるとなれば反対することもできなかった。
一応、彼女の妖精のおかげで連絡が取れるというのも彼女を止められない理由でもある。
それでも第一子を身ごもった際は、王宮総出で大人しくするように懇願し、本人も森の獣が出産の際は静かに過ごしていることを知っていたため素直に大人しく過ごしていたという。
だがこれに味をしめた砂漠の王が立て続けに第二子、第三子と仕込んだため、王妃が実家である森の聖域に家出をし、慌てて迎えに行くという何ともいえない騒動があるのだが、それはまた別の話である。
そして繁栄する砂漠の国とは対照的なのが森の王国である。かの国の王は、腕を切り落とされた後は丁寧な治療を受けたのち、翌日には帰国の途に就いた。
尤もすでに宴の参加者には話は伝わっており、彼らは帰国して面白おかしく伝えることになるだろう。
以降、かの国は徐々に国土を周辺国に削られていきやがて地図から姿を消すことになる。
その最初のきっかけとなったかの王を後世の歴史家たちはこう呼ぶ。森との誓約を破り、国を滅亡に陥れた王、すなわち「破誓王」。または、森への恩を忘れた王、「忘恩王」――と。
ここまでお付き合いありがとうございます。
最後に下からぽちりと評価の一つもしていっていただけると幸いです。