第三十一話 新兵器
投手戦は、気づけばイニングが進んでいる。
三橋彩音は精密な制球と鋭いスライダーで三振を奪い、
赤桐英輔は剛速球と“消えるドロップ”で打線をねじ伏せる。
三者凡退が続き、試合は四回へ。
赤桐が許した走者は、二階堂瑠衣の一本のみ。彩音は未だ一人の走者も許していない。
(三振数は彩音の4つに対して赤桐はほぼ倍の7。赤桐の方が圧倒的なピッチングをしてるように見えるけど)
彩音は恭のリードの冴えによって上手くスタミナを管理しながら打たせて取るピッチングができている。テンポよくリズム良く、郭内の攻撃の時間を極めて短く終わらせている。
一方で赤桐は三振数こそ多いが、かなり金川打線に見られ、粘られ、球数を稼がれている。スタミナの削れ方もかなり大きいように見える。
福島市第一シード金川に、二本松市第二シード郭内。両者の差を挙げるとするならば、それは打線の強さ、すなわち得点力の差に他ならない。秋の市大会で、投手が不調ながら暴力的な打線で勝ってきた金川に対して、郭内の試合は決勝で負けた試合も含めて全てロースコア。チームのギャップは明らかだ、
だが投手が強いというその事実一点でその差は無かったことになり、互角の勝負に見える。つくづくこのスポーツは投手の出来による比重が大きいなと恭は改めて感じた。
郭内ベンチでは、その頃自軍の攻撃の短さに懸念が示されていた。エースが全力で強力打線を抑え込んできたと思ったら、休憩するまもなく次の回に登板しに行かなければならない。まだ四回だが、赤桐はすでに肩を揺らして息をし始めていた。
「英輔、大丈夫か?水をゆっくり飲んでから行きなさい。走らなくていいからとにかくゆっくりだ。」
「監督、大丈夫です。ご心配ありがとうございます。平気ですから、本当に」
郭内を率いる阿部宏昌監督は今年で70歳。高校野球での監督も経験あり老練な用兵が持ち味の名将だ。
(蓄積疲労もあるのだろう。今まで英輔1人に無理をさせすぎじゃな)
この夏から秋にかけて、英輔は郭内のマウンドをずっと1人で、一度もノックアウトされることなく守り続けてきた。
だがこの少年は半年前まで生きるか死ぬかの境に生きていた人間だ。冬場の基礎体力練習の期間もほとんど病室のベッドで過ごしている。よくこの決勝戦まで力尽きなかったものだと感心する。そしてそれに気がつかない自分たち大人の愚かさも身に染みて感じた。
(結局、英輔がいけると言ってくれるうちは行かせるほかない。勝つためにはエースと心中する他ないのだ。)
▼△▼△▼△▼△▼△
五回の表は金川の4番、絢辻未来からの打順。マウンドの赤桐、キャッチャーの田嶋共にこのチームで1番警戒するバッターからだ。
(こういう試合で勝負を分けるのは一発。間違っても甘いところには投げられない)
田嶋は低く低くと要求。赤桐は深く一度頷き、目一杯腕を振った初球のストレートは未来の足元、インローにズバッと決まる。
だが未来はそれを見て、明らかに前の打席との違いを感じ取っていた。
(ボールが、浮き上がってこない。シュート回転してる?)
来たボールは球速的に確実にストレートのはずだが。どうやら赤桐の足腰が自分の体重移動を支えられていない。体重が横に流れ、回転軸がブレ始めているのかもしれない。
(なら、狙い目は今しかない………)
二球目のドロップをきっちり見逃して三球目。外を狙ったボールが大きくシュートして真ん中に入ってくる。それを未来は逃さなかった。
(来た………絶好球!!!!)
ミスショットしないよう早めに振り抜いた打球は左中間を裂くように伸び――フェンスを直撃した。
(二塁まで………んっ………)
だがそのクッションボールが外野手のいるところへそのまま帰ってきてしまう。もたつけば三塁、あわよくばホームに帰れる計算だったが、ここは二塁まで。とはいえノーアウトランナー二塁。試合的にも初回の瑠衣が打ったヒット以来のランナー。ようやく試合が動く予感がする。
「よっしゃぁぁぁ!!!!いいぞ未来!流石俺の妹!」
「うへっ……えへへへっ………」
ベンチで身を乗り出して大喜びしている義兄に思わず笑みが溢れる塁上の未来。次は頼れる5番バッター、井桁だ。
(井桁………引っ張れるからそのまま打たせても良さそうだけど)
ただ前回の打席は全く何一つとして希望の持てない三球三振。赤桐のドロップにはアレルギー的な拒否反応が出ていた。
丹内監督のサインは送りバント。最初から構え、確実に未来を三塁に進める形、だが。
「ファール!ファール!」
「だらぁ!くっそ………」
小フライが、バックネットに向かって上がる。赤桐のホップするストレートはバントすらも難しい。
二球目、変わらずバントの構えをする井桁に対して、赤桐は今度は真ん中にドロップを投げてきた。芯に当たってしまった打球はそのままワンバウンドで赤桐のグラブへ。二三塁間の真ん中くらいまでセカンドリードを取っていた未来は完全に挟まれる形になった。
「やだっ!」
「逃すかっ!」
赤桐がそのまま二塁方向に追い込むように走っていく。始まったランダウンプレー。未来としてはバッターランナーの井桁が二塁に到達するまで粘りたいが、その時間もなかった。応援席から悲鳴にも似た声が飛ぶ。
「アウト!」
結果、二三塁間の挟殺。バッターランナーも一塁から動けずという最悪の形だ。
ワンアウト一塁。打席に入るのは6番大友。体格的に見るからに足が遅いと判断した赤桐はここで未だ見せてなかった切り札をここで切ろうと決断する。
普段よりドロップの握りを浅く、リリースの時に地面に叩きつける独特の感覚もいつもより抑えめに投げ込む。
(真ん中………もらった!)
スピードから真ん中の失投のストレートだと判断した大友はスイングをかけにいく。だが………そのボールはバットの芯をボール半分ずれて落ちた。ミートポイントを外され、鈍い振動が腕に残る。
「ショート!!!」
強い打球が這うようにショート正面へ。そのままセカンドに転送、そこからファーストに送られ………。
「ダブルプレー…………」
「チャンス潰した挙句あっさり終わっちまったぞ!」
赤桐はグラブをパンっと叩いて見事な守備を讃える。狙い通りの6-4-3だ。
(このボールはな。何も空振りを取るだけじゃない。ゴロ打たせたい時にはこうやって握りを調整するのさ)
してやったりの赤桐。対してノーアウトで得点圏のチャンスを潰して意気消沈の金川ベンチ。
ピンチの後にチャンスありという格言が本当ならば、それを食らう方はチャンスの後にピンチ有りだ。特に集中しなければならなくなったこの回、マウンドに行く前の彩音に恭がひと声かけに行く。
「まずい流れだけど。とにかく一人一人切ろう。バッター集中で」
「…………恭くん。あんな?この回スライダー多めに要求してくれへん?ちょっと試したいことあんねん。」
「試したいこと?」
「まあ見とって、あかんかったらすぐやめるわ」
珍しい提案だった。配球については専門外だとここまで頑なに何も言ってこないし、サインにも首を振って来なかった彩音。この土壇場にきてまで試したいこととは一体なんだろう。
(そんで………次のバッターは………)
ここまで全てパーフェクトなので当たり前といえば当たり前だが………五回裏の先頭はこちらも4番の赤桐英輔。先ほどは抑えたがレフトライナー。かなり強めの打球で角度がつけばあわやというものだった。小柄ながら非凡なセンスは確実に感じる。
(一発、一発だけは打たれたくねえ)
先ほどの田嶋と同じように、恭も全力で低くこいのジェスチャー。コントロールされたアウトローのストレートが、左バッターの赤桐に襲いかかる。
「チッ………損じたっ」
初球は赤桐がおっつけて三塁側ファールゾーンへ。まるで右バッターが引っ張ったような強い打球だ。
(いいファール……コイツ多分超ヤベェバッターだ)
恭の野球本能からくる警戒アラートがガンガン鳴り響く。転校前に全国の猛者達と覇を競った経験のある恭は、小学生の段階でプロ野球のスカウトが見にくるようなバケモノ達とも渡り合ってきた。それに近い雰囲気をこの赤桐英輔からは感じる。超一流のオーラだ。
とにかくストレートでファールを打たせたらスライダーだ。ご要望通りスライダー多めに、まずはボールゾーンの逃げる球で様子を見たい。
完全に外側に外すよう要求した。だが彩音の手から離れたボールは逆球。インコースからアウトコースの甘めに流れるチャンスボールだ。
(これ、ヤバいっ………!)
懐深く呼び込んで思いっきり叩いた打球は左中間を深々と飛んでいく。長打は免れない、下手したらスタンドインかという打球だったが……。
「アウトッ!!」
フェンスに手をつきながら距離を測っていたレフトの風太郎のグラブになんとか収まった。どうやらセカンドの胡桃からガンガン下がれとの指示があらかじめ出ていたようである。
「た、助かったぁ……」
「………………」
ほっと胸を撫で下ろす恭に対して、彩音にそれほど動揺はない。だがうーんうーんと首を何度か傾げ、その後何か納得したように頷いた。
一言文句言いに行きたい気分だったが、どうやら何かしっくりくるものがあったらしい。そのまま恭は持ち場に戻る。
ストレートを要求するものの、即座に首を振られる。仕方なくスライダーを出したらニコッと口角を上げて大きく頷いた。次のボール、恭は全く思っても見なかったボールをその目に映すことになる。
まずそのボールが手から離れた瞬間から違いはあった。いつも指先を離れる時にフワッと浮く感覚があり、そこから強烈なスピンで意志を持つように曲がってくるイメージがあるのが彩音のスライダー。
だがそのボールはストレートを投げる時と同じ軌道で手から放たれた。サインの交換をミスしたのかと恭が疑ったくらいである。
そのまま完全にまっすぐの軌道でバッターの前に到達したボールは………まるでバットから逃げるように鋭く曲がった。ほんの少し、だが確実にボール一個分ミートポイントを外す変化。バットの下で擦った打球は大きなバウンドをしてショートにゴロで転がる。
未来が危なげなく処理して結果この回三球でツーアウト。だが恭はそんなことよりも今目の前で起きたボールの変化、スライダーの進化に驚きで目が飛び出るかと思った。
(超高速スライダー………いや、カットボール!?)
確かに変化は大して大きくない。だが今のカットボールは途中まで完全にストレートに擬態していた。顔色も変えずにニコニコしている辺り、ただ単純に変化量とスピードを変えて遊んでいるつもりなのかもしれないが………恭にとっては革命が起きたに等しい衝撃だった。
(お前………それ出来んなら最初からやれボケぇ!)
ストレートに擬態できる変化球。リードにおけるこのボールの価値は、キャッチャーにとっては本気で命より重い。この一球種の存在で、恭のリードは無限の幅の広がりを見せる。
(これが使えるなら。思い出せ、胡桃ちゃんに配球を教えてもらった時、あの娘はなんて言ってた。)
脳の奥底から、恭は急いで知識を引っ張り出す。暗記はあまり得意ではないが、理論と理屈は覚えていたのでこの試合中という状況であってもすぐに思い出すことができた。
その一つがライン取りの考え方だ。
実は投手が空振りを奪えるボールとは、単純なスピードや変化球の変化量で決まるものではない。ストレートならばそれをいかに速く見せるか、変化球ならいかにその変化をキレさせて見せるか、それが重要になってくる。
(まずアウトコースのカットボール。この一球はめちゃくちゃ大事だ)
ツーアウトランナー無し。両者得点がない終盤とはいえ少し余裕のある状況だが、恭の顔からは緊迫感が漂う。
ボール2個分ほど外れていたように見えるが、判定はストライク。左バッターから逃げるようなボールなので打者は相当遠くに感じたことだろう。
(これはデカい。めちゃくちゃありがたいワンストライクだ)
彩音がギリギリのところに投げ切ってくれたことで取れた情報は大きい。ボールがベースを通る瞬間、打者はそのボールにぴくりとも反応しなかった。外のギリギリの球は捨てているか、もしくは見えていないと考えるべきだろう。
となれば最後のボールはアウトコースギリギリのストレートに決まりだ。それをより速く、より遠くに見せるために配球を逆算する。
(次、インコースのストレート)
アウトコースに構えた後、しゃがんだままジャンプしてインコースギリギリに構える。少し甘めの真ん中寄りに来たボールは詰まりながらファースト方向にファール。外側のカットボールの残像が残っていたか。
「危ねえ、甘いぞ」
「………ん」
次もインコースのストレート。先ほどより大袈裟に、さらに高めに構えて相手の胸元を狙う。こんな要求いつもの彩音にはデッドボールが怖くて出来ないが、今日の彩音なら絶対に答えてくれる期待があった。
「ボール!ワンボールツーストライク。」
「良いボール。」
概ね要求通りにボールが来てくれた。バッターものけぞって、脚が動く。これならもう下拵えは完璧だ。
(さっきのカットボールと全く同じライン出し。そしてさっきと違うのは………)
「ストライクッ!バッターアウトっ!」
(そこから逃げないで真っ直ぐゾーンに入ってくることだ)
バッターを見ればインコースで腰が引けた状態でストレートに刺され手が出ていない。完璧な見逃し三振。
全ては初球のカットボールで出たラインを活かした配球だ。ほとんど思い通りに打者が崩れ、そして投手がリードに応え切ってくれたこの打席。嬉しさと気持ちよさで恭の脳汁はドバドバ、捕手冥利に尽きるとはこのことだ。
綺麗に見逃し三振が取れた彩音の方もご満悦の様子でニコニコしながらスキップ気味にベンチに戻ってくる。正直、可愛かった。
「お前どうしたあのボール!やべえな」
「ん?あれな。赤桐のボール打席で見てて………なんか変化球なのにリリース強いなぁコイツって気付いてん。ウチもやれるんちゃうかって思ってやってみたら最初あんましっくり来んくて。」
「うん」
「あっ、じゃあ試しにあさーく握ってみたらどうなるんやろって思ってやってみたら、なんかできた。*
「いや、すごいなお前!」
想像してた斜め上の回答が来て笑うしかなかった。
常人ならこんな本番の決勝戦で、しかも一点取られたらほぼ負け確の緊迫した場面で絶対こんなことしない。
キャッチャーとしては一言欲しかったし、あまりにも頭がイカれているとしか言いようがないが、ただそのイカれっぷりが三橋彩音というスーパーピッチャーに次の次元の扉を開かせたのは事実。さらに進化したエースが無失点でそこにいることそれだけが真実である。
「今まで投げてたのとさっき投げたやつ、これから使い分けられるか?」
「うん。簡単やもん。」
「じゃあさっきのカットボール、これからサインはチョキで出すから。グーがストレート、パーがスライダー、チョキがカットボールな。」
「待って。納得いかんことがある。」
「なんだよ」
「カットボールちゃう、カッターにしよ。なんかメジャーっぽくてイケとる」
恭としては呼び名などどうでも良い。彩音がカッコいい必殺技覚えたみたいでご満悦だったので放っておくことにする。
▼△▼△▼△▼△▼△
ーーーさて、問題は攻撃だ。彩音がどれだけ点を守り抜いて0を並べたとしても、このスポーツは最終的に点を取らなければ勝てない。
この六回表は下位打線からの攻撃。先頭の風太郎が緊張でガチガチに固まっているのをネクストで見ながら待機する胡桃は、はぁっとため息を一つこぼしながら彼に声をかけに行く。
「ちょっと風太郎」
「ひゃんっ!」
「ひゃんってそんな女の子みたいな。緊張しすぎ、そんなんじゃ打てるものも打てない」
身体が大きくて打撃も守備もセンスの塊な風太郎。だがどうも小心者なのが抜けきらないのかイマイチ実力を発揮しきれていないのが胡桃には歯痒かった。もっと堂々としていればいいのにと毎度思っている。
「そんなに焦らないで。まだピッチャー、マウンドに来てもいない」
「あ、あれ?なんで来てないんだろ」
「ちょっとでも休ませたいんでしょ。キャッチャーの防具つけるのを口実にして時間稼いでる」
胡桃は相手チームの厳しい事情に同情する。前の回のピンチでギアを多少上げて、そのまま先頭バッター。そのあとはチームで彩音相手に五球しか投げさせられていない。赤桐は水を飲んだくらいでほとんど座れてもいないのではないか。
「初球か二球目、ドロップが浮いてくるはずだから。絶対ミスショットしないで。死んでも。」
「こ、怖いこと言わないでよ。もしミスショットしちゃったら?」
「……………決勝は延長タイブレークあるから。ノーアウト一塁二塁からスタート。風太郎、めちゃくちゃプレッシャーある先頭のバントマンやる羽目になるよ。」
「打ちますぅ!ここで打ちますぅ!絶対、絶対やだ!」
こんなんでももう3年近い腐れ縁。風太郎の効果的な焚き付け方はよく熟知していた。
スコアボードだけを見れば、勝利の女神の天秤は未だ平行でどちらも流れを完全に渡してはいないように見える。
だがフィールドにいる選手も、ベンチも、そして観客も何度かチャンスを作る金川に対してランナーすら出せていない郭内のジリ貧感を感じている。この六回、何か動くとそんな確信めいたものがある。間違いなくその予感は金川に有利なものに違いなかったはずだが。
ナインの胸の中に勝利の予感とは別の何かが、確かに近づいていた。




