第10話「余、紅き男と出会う」
五限目ーー
「はーい、こんにちは〜」
入ってきたのは、何やらゆるい雰囲気の女性教師であった。
「家庭基礎を担当する、白雪です」
そう言い白雪はニコッと笑う。ふむ⋯家庭基礎とは一体何をするのだ?
白雪は黒板に一言、“生活”と書いた。
「みんな、“生活する”ってどういうことだと思う?」
教室の皆が、小さくざわめく。
「え、なんか……ご飯食べるとか?」
「寝る、とか……?」
ぽつぽつと皆が声を上げていく。
「うんうん、どれも正解」
白雪は続けて黒板に書き連ねた。
“食事”
“衣服”
“住まい”
“お金”
“人との関係”
「食べること、着ること、住むこと。お金のこと、人との関わり方ーー全部まとめて、“生活”」
皆が息を飲み、教室が静寂に包まれる。窓から入り込む風が、カーテンを揺らして余の髪を撫でた。
「家庭基礎っていうのはね、“生活を深く知る為の授業”なんだよ」
白雪が続けて言う。
「学校の勉強ってさ、テストのためって思いがちだけど⋯これは違うよ」
チョークで“生活”を囲み、白雪は微笑む。
「これ、将来そのまま使うからね」
その言葉を聞き、再び皆のざわめきが教室に戻った。
⋯成程な。つまり生きていく術を学ぶという事か。この現世で最も重要な授業と言えるやもしれぬな⋯
「じゃあまずは自己紹介も兼ねてーー」
白雪がパンッと手を叩いた。
「自分が思う“理想の生活”を、一つ書いてみよっか」
理想の生活、か⋯
余はペンを持つ。
「大丈夫、正解は無いよ〜」
白雪の声が、やけに遠くに感じるわ。
余にとっての、“理想の生活”はーー
六限目ーー
ここは美術室。机の上には真っ白な紙を束ねた物が置かれていた。ふむ⋯?これに何か描くのであろうか⋯?
突然、大きな音を立てて扉が開かれた。
「おいコラァ!!静かすぎんだろ!!」
な、なんだあの扉を蹴破る勢いで入ってきた輩は⋯?
まさか教師とは言うまいな⋯?敵であろう⋯?
「美術Ⅰ担当の鬼塚だ。よろしくとか言わねぇ、勝手に覚えろ」
教師であったかー⋯余、驚愕。
「いいかテメェら」
鬼塚は黒板にデカデカと何やら書いた。
“描け”
「以上だ」
雑すぎんか⋯?先程との温度差で風邪引くわ。
「上手く描こうとか思ってるやつ、今すぐその考え捨てろ」
ギロッと鬼塚が教室を見渡す。⋯ふむ、中々の威圧よ。
「美術はな、“正解”がねぇ」
「下手でもいい、とにかく描け。そうすりゃ分かる」
⋯雑なのは変わらんが。言わんとする事は理解できなくもない、な。悪くない。
鬼塚が、教台から何かを取り出すのが見えた。
あれは⋯リンゴか?
「ほら、これ描け」
机の上にゴトッと置いた。
「いいか、リンゴっぽく描くな。思い込みで描くんじゃねぇ、色と形を拾え」
リンゴを指先で軽く叩き、鬼塚はニヤリと笑う。
「それが“観察”するって事だ」
⋯そういう事か。
感情や概念ではない、目で見たありのままを。抽象的ではなく、写実的にーー
余は紙に鉛筆を走らせる。
いつの間にか隣で見ていた鬼塚が一言、余の描いた物を見て言った。
「やるじゃねぇか」
窓の外、午後の光がゆっくりと傾くのが見えた。
そうして全ての授業が終わった放課後ーー
⋯概ね把握した。
基本は余の時代の学問とそう変わらぬが、新たな発見や論理を融合させ、現世に合わせ最適化されていると考えてよいであろう。
アホのアレクシアの覚えがもう一つ良ければ、まだ難儀せずに済んだのだが⋯まぁ誤差の範疇よな。
余が思案しておると、既に帰り支度を済ませた夏美と心春がやってきた。
「どうしたのアレクシア、変な顔して考え込んで。また戦でもしてたの?」
「夏美よ⋯どこをどう見たら戦をしてるように見えるのだ?おかしな事を言う」
「今凄い理不尽を見たわ」
「シアちゃんも一緒に帰ろ〜!」
余は鞄を持ち、席から立ち上がる。
「うむ、よかろう。では参ろうか⋯どうした夏美、疲れた顔をして」
「あんたのせいよ?」
むっ、余が一体何をしたというのか。甚だ遺憾である。
教育棟を出て、本校舎前の主路までやってくるとーー
「ねぇねぇ!部活もう決まってる?」
「良かったら体験だけでも来てよ!」
「チラシどうぞー!」
「剣道部にござる」
正門までの路を埋め尽くす、帰路につこうとする生徒達とそれを何やら引き止める生徒達。声と熱気が入り混じり、戦場の如き喧騒であった。
「部活の勧誘ね⋯流石は稜征学園、その規模も段違いだわ」
「初詣の神社みたいだね〜!」
「ふむ⋯各分野に特化した部隊による、優秀な人材の動員といったところか」
「まぁそんな感じね、多分」
「其方らは何処かへ入るのか?」
「私は陸上部ね。この学園にも推薦で入ったから」
「私は料理研究部に入ろうと思ってるよ〜」
「心春はそうだと思った。⋯アレクシアはどうするの?」
「余か?余は⋯」
その時、余達に数名の生徒が声をかけてきた。
「やぁ!君達部活はもう決まってるの?良かったらテニス部入らない!」
「ちょっとおいでよ〜絶対楽しいって!」
なんだ?こやつらは⋯名乗りもせず無礼であるぞ。
「あ、いえ⋯私達もう入る部活決めてますので⋯」
「ちょっと遠慮したいかな〜⋯」
⋯ふん、狙いが読めたわ。その下卑た視線を自重せよ、下衆共が。
「大人しく立ち去るがよいわ」
余達は明確な拒絶を示したがーー
「え〜?いいじゃん来いって!」
「体験したら気も変わるからさ!ほらっ!」
「ひゃっ!?」
下衆の一人が、あろうことか心春の腕を掴んで引っ張った。
「っ!!貴様らーー」
臣下に手を出されては余も黙ってはおれん⋯!叩きのめさんと踏み出した、その時ーー
「やめろ、てめぇら」
突如現れた男が、小春を掴んだ下衆の腕を掴み捻りあげる。何者だ⋯?
「いだだだっ!?な、何しやがるっ!?」
「いきなり現れて⋯何だお前はっ!」
下衆が腕を捻られた拍子に解放された心春を、余はこちらに引き寄せた。
「心春よ、無事であるか?すまぬな、すぐに助けてやれず」
「ううん⋯大丈夫〜」
そう言い心春はいつものように笑った。うむ、どうやら無事のようであるな。⋯しかし、何者だあの男?見たところ同じ生徒のようであるが⋯
「嫌がってんじゃねぇか、その辺にしとけよ。それ以上やるってんなら、俺が相手になるぜ?」
「こいつ、ふざけやがって⋯っ!この⋯っ!」
「お、おい待て!こいつもしかして⋯」
下衆の一人⋯何かに気づいたようであるな。
「その荒々しく跳ねる紅髪に、無造作に結ばれた襟足!獲物を狙うような鋭い目つき!極めつけは、その肩に担いだ竹刀っ!間違いない⋯!こいつ、“竹刀百本取り”の阿久津秋人だっ!」
「え、なんでそんな説明口調⋯?」
流石は夏美よ⋯有事の際もツッコミは欠かさぬか。
「その異名で呼ぶんじゃねぇよ⋯で?どうすんだ⋯?」
「く、くそっ!覚えてやがれっ!!」
「えっ、雑魚敵なの?」
夏美のツッコミはさておき⋯下衆共は捨て台詞を吐き、その場を去っていった。
やれやれ⋯現世にもあのような下卑た輩がいるのだな⋯おっと、大事な事を忘れるところであった。
「其方、よくぞ余の臣下の窮地を救ってくれた。礼を言うぞ」
「臣下⋯?まぁ、いいって事よ。じゃな。」
紅髪の男はそう言うと、正門へは向かわず別の方向へと歩いていった。あの方角は、道場であろうか⋯?
心春が前に出て、赤髪の男に向かって声をあげる。
「ありがとう〜!“竹刀百本取り”の人〜!!」
「あ、コケた」
遠くで、赤髪の男が盛大にずっこけていた。
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