姫をさらえ
カストルムの路地裏を足早に歩いていく男がいた。
青いターバンを巻いている。
ターバンでおおわれていない目元の肌は浅黒かった。
男はファルの兄、ファリオだった。
しきりに振りかえったり、
きょろきょろと見回しながら歩いている。
やがて一際人気の無い路地にある一つの扉をノックした。
「誰だ?」
「羊を売りに来た」
閂のすれる音がして、扉が開いた。
ぎょろっとした目のやや太った男が扉を開けている。
ファリオは滑りこむように素早く扉から中へ入った。
太った男が間髪入れずに、扉に閂をかけた。
「外はどんな具合だ」
太った男はファリオがターバンを取るのを待たなかった。
「定時連絡がないんだ」
「西側は全員捕まったからな。他もかなりやられてる。
残ってるのは、ここが一番多いんじゃないか?」
「嘘だろ!」
「いやいや、本当だ」
ファリオはテーブルに置かれていた水差しに気づいて、
グラスに水を注いだ。
しかし、中身は空だった。水は一滴も出なかった。
「のどが渇いた」
「俺もさ」
そのとき、隣の部屋から怒鳴り声が聞こえてきた。
太った男は首をふりながら、隣の部屋の扉を開けた。
ファリオは部屋に入った。
「早く城を攻めねば手遅れになると言っているんだ!」
「そんなことしてなんになる! 犬死するだけだ!」
「大丈夫だ、死にはしない!
カストルム伯殿は人道主義だからな。
数か月、牢屋に放りこまれるだけだ!」
「皮肉を言っている場合ですか?」
「……ファリオか」
ファリオが来たとわかると、
口論していた人物が二人とも椅子にすわる。
彼らの一人、背の高い男が煙草に火をつけた。
「のどが乾きませんか?」
「水代わりだ。何の用だ?
いい知らせか、悪い知らせか?」
「いい知らせです」
ファリオは手前の椅子を引いて腰掛けた。
「部屋を追い出されました」
「そりゃあ皮肉か?」
背の高い男はのどの奥で低く笑った。
「金ならないぞ」
「家賃なら払ってました。
むしろ、今月の分を返されたくらいです。
プラス、宿代まで」
「ずいぶん手厚いな。追い出される理由は?」
「主人はぼかしてましたが、
誰かが来るからそのために追い出す、
みたいなことを言ってましたね」
「誰か来る……?」
「ええ。住んでたやつ、全員追い出してました」
「お前のアパート、どこにあった?」
「城のすぐ目の前ですね」
「お前、弟がステラ姫の友人だとか言ってたな」
「妹です。妹」
「おっと、すまん」
背の高い男は煙草を灰皿に押し付けた。
「ともかく、移動するか。そのアパートまで行こう」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。どういうことだ?
何の話をしている?」
その場にいた男の一人が困惑した様子で言った。
あわてて煙草を消している。
「ファリオがアパートから追い出されたって話だろ?
どこがおかしい?」
「住人が追い出されている、ということは
相当重要な人物がそのアパートに移されるのだろう」
「根拠は?」
「根拠ぉ?」
男は面倒くさそうに目を回した。
「住人を追い出す理由が他に思いつくか?
いいから急げ。
遅れて後悔するより早とちりの方がマシだ」
彼らは隠れ家を出ると、足早に歩いて行った。
「ファリオ、」
ファリオは背の高い男に呼び止められた。
「いいのか?」
「なにがですか?」
「妹の目の前で、
お友達をさらうことになるかもしれないぞ?」
「構いません」
ファリオは肩をすくめた。
「このままじゃ、どのみちファルも死んでしまう。
むしろやらなきゃ。
妹に嫌われるだけであいつを助けられるなら、
喜んでやりますよ、俺は」




