41.フェイ先生と、炭酸水と、禁酒法
獅子丸食品とのソース共同開発プロジェクトも順調に進んでいたある日の夜。
特別寮のダイニングで、いつものようにソファーに深く腰掛け、グラスを片手に「ぷはぁーっ!」と美味そうに喉を鳴らしているフェイ先生を眺めていた僕は、今さらながら、この世界のある決定的な事実に気がついた。
「(……そういえば、フェイ先生が毎晩のように嬉しそうに飲んでるのって、ビールでもワインでもないな……?)」
ガラスの器の中でパチパチと弾けているのは、ただの炭酸水か、あるいはそれを季節のフルーツの果汁で割っただけのノンアルコールの「果実水」だ。
僕の元の世界の感覚だと、大人の女性が夜にグラスを傾けている姿=お酒、という先入観が強すぎて完全に盲点になっていたけれど、よくよく思い出してみれば、この世界に来てからアルコール飲料というものを一度も目にしたことがない。
スーパーの棚にも、ビールテイストの炭酸飲料すら置いていなかったのだ。
不思議に思った僕がそれとなく尋ねてみると、フェイ先生はグラスをテーブルに置き、少し真面目な顔をして教えてくれた。
「あぁ、寮長は知らないのね。この世界、お酒を飲むのは法律で完全に禁止されてるのよ」
「えっ、禁酒法があるんですか?」
「そう。今を遡ること数百年ほど前までは、普通にビールやワインみたいなアルコール飲料も作られてて、みんな飲んでたらしいんだけどね……。なにせ私たちは『獣人』でしょ? 野生の血が流れてるのよ」
フェイ先生は自分の尖った犬歯をトントンと指先で叩いた。
「獣人はお酒が入って理性のタガが外れて暴れだしたら、もう本当に手が付けられないの。街一つが物理的に壊滅しかけるような大騒動が何度も起きて、最悪の場合、暴れる獣人がその場で銃殺刑に処されるケースも多発したらしいわ。それで国が『あ、これマジで人類滅びるわ』ってなって、法律で飲むためのアルコールは一切合切禁止になったのよ」
なるほど、2mオーバーの巨躯の獣人たちが、お酒で理性を失って本能のままに暴れ回る光景を想像し、僕は背筋が凍りついた。
銃殺刑が多発するほどのディストピアな歴史があったとは、この平和な世界からは想像もつかない。
「じゃあ、獅子丸食品の主力商品の『みりん』とか、僕が料理で使う『料理酒』は大丈夫なんですか?」
「あれは調味料や殺菌用アルコールとして厳格に管理されてるからセーフ。だけど、それを直接飲用したり、万が一飲んだ状態で傷害や器物破損なんて起こしてみなさい。この世界じゃ死刑や終身刑みたいな一発で人生が終わるレベルの重罪が待ってるわよ」
「……料理以外では絶対に使いません」
僕は固く心に誓い、頭のパンダ耳をブルッと震わせた。
「まぁ、お酒がなくても、このシュワシュワした炭酸水と寮長の美味しいご飯があれば、私は十分に幸せだけどね!」
いつものお調子者な笑顔に戻ったフェイ先生は、グラスを掲げて僕にウインクしてみせた。
元の世界とは根本的に異なる、野生の血ゆえの厳格な法整備。
僕は長袖の袖を少し引っ張りながら、この世界の平和が、そんな過去の教訓の上に成り立っているのだと深く納得するのだった。




