2.
衝立を抱えメイドのマリアと部屋に戻って来たフェイが、お父様のジト目に首をかしげながら衝立を設置する。 そして終えた後フェイは離れ、私は二人のお針子と衝立内へと入った。残ったマリアが手際よく私の服を剥いでいく。
「ああそうそう、今年のデビュタントですけれども、少し物騒な噂が広がっているのをご存知ですか?」
「物騒? …さぁ、知らないな。でも私の大事な娘が参加する催しに物騒とは。んー、それは余りいただけないなぁ」
衝立の向こう、席に残ったマダムとお父様の話し声が聞こえる。
「因みにどういったものだい?」
「何やら、大勢の人が亡くなる事故が起こる――、らしいですわ」
「なるほど。よし、わかった! やはりデビュタントは欠場しよう!」
「今更無理ですよ、旦那様」
速攻でフェイの突っ込みが入る。
「いやしかし、ルメリアが危険な目に会うかもしれないんだぞ?」
「でも公の場でのルメリア様の『初』御披露目ですよ? 変なケチを付けられる前に、ここで一発かましておくのもありでしょう」
「ううむ…」
「それに俺も側についてるんで」
「ん? フェイ、従者は会場には入れないぞ?」
「――は!? マジですか!?」
「ああマジだ」
……お父様。
お母様とフェイに感化されて時折お父様まで不思議な言葉を使う。それはどうかと思うと、衝立のこちらで私は小さなため息を吐き、衝立の向こうでは「ぐぬぬ…」とフェイが唸った。 でも直ぐに――、
「まぁでもそこはどうにかするけどね」
と、お父様。
「ですよねー」
と、フェイ。
二人の呆れた会話に、今度は脱力のため息を吐いた。
「しかし――、」と、声を改めたお父様が言う。
「マダムが言った言葉がそのままであるならば、それはどちらかと言えば脅迫のような気がするが、その出所はわかっているのか?」
「あら、男爵様はご存知ないのですわね。ここ最近街で出回る噂の出所は全部ひとつですわ」
「ひとつ、とは?」
「ええ、レステート伯爵家が抱える預言者ですわ。未来を言い当てることが出来るという。実際それはかなりの確率で当たるのです」
「レステート伯爵? …預言者?」
お父様が低い声で繰り返し、私は眉をひそめた。
未来を言い当てる……、
―――それは、
「あっ、ルメリア様! 動いちゃ駄目ですよ! 今、針使ってますからねっ」
「え、あ…っ、ごめんなさい」
思わず体を揺らしてしまったようでマリアに叱られた。
「お嬢様、後ここだけ詰めたら終わりますので、もう少しお待ち下さいね。 では今度は少し腕を上げてもらえますか?」
「ええ…、わかったわ」
お針子の一人に宥められ、その指示に従っているうちに肝心なところを聞き逃したようで、気が付いた時にはお父様が思案げに「なるほどな…」と呟く声がした。
「どう思う? フェイ」
「………それだけでは何とも言えませんよ」
「だろうな」
お父様とフェイの間で交わされる会話。何が「なるほど」で、何が「どう」なのか?
仕方ない、聞き逃したとこは後でフェイに聞こう。
そう思ったところで「終わりましたよ」と声が掛かった。
**
「うん、素晴らしいよルメリア! 春の女神ブリギッドも嫉妬しそうだ!」
衝立から出た私を立ち上がり向かえたお父様はそう言って私のこめかみにキスを落とす。
お母様の影響か、お父様の親愛の表現は昔と比べたら随分と過度になって大変こそばゆい。なので人の目があるところでは遠慮したいところなのだが、当の本人は全く気にしていない。
相好を崩し、完全に蕩けた顔となったお父様。 人の美醜にさほど関心がない私から見ても整った容貌を持つと思われるお父様だが、今はとても残念な感じになっている。
その残念な顔のままお父様は少し体を離し、上から下まで私を見渡した後ちょっとだけ眉を寄せた。
「でも少し胸元が開き過ぎじゃないか?」
「俺もそう思いますね」
フェイまで渋い顔で頷く。
私は身に着けた衣装を見下ろした。
デビュタントの衣装に制限はないが、基本白色で差し色として使えるものも淡い色だけ。私が着ているものも白一色で、お父様が難色を示す胸元はギャザーレースがふんだんに使われている。
開いていると言えば普段着ているものよりも開いてはいるが、私は別に気にもならない。
「そうですか? 夜会なら皆こんな感じなのでは?」
「皆がそうだとしてもルメリアは駄目だ」
お父様は眉間にシワを寄せ首を振る。
デビュタントまではもう二週間しかない。今更衣装の変更を言い出しそうな雰囲気にマダムが慌てて取り繕う。
「で、でも男爵様、お嬢様のこんなに素晴らしく優美なデコルテは見せつけるに限りますわ! 殿方なんてイチコロです!」
「いやいやいや、それこそ絶対に駄目だろう! そんなもの見せなくてもうちのルメリアが素晴らしく美しく綺麗なのは間違いない。それに、これ以上変な虫が湧いても困る。というか――、もし不埒な目でルメリアを見るような男がいたら磨り潰してしまうかもしれない。 …だろう、フェイ」
「ええ、旦那様の言うとおりですね。もう二度と湧き出ないように殲滅しちゃいますねぇ」
ふふふ、あははと笑い合う二人。そういう時だけ急にしっかりと息を合わせてくる。
結局お父様に押し切られ、衣装は首に幅広のリボンを設えそこから胸元にかけてをレースで覆うという仕様に変更となった。
その変更した部分のイメージを見る為に今度はマダムも衝立の中へと入りレースのサンプルを合わせる。
「ごめんなさい、お父様が無理を言って…」
「いえいえ、比較的簡単な変更ですので大丈夫ですよ。それに最近は肌を見せるのが流行りですがこうやって透ける素材で見えそうで見えないというのもそそるものですわ」
「でもそれじゃあまた旦那様に駄目だと言われますよ?」
「あら? そうねぇ、じゃあ今のは内密に」
笑いながら目配せをし合うマダムとマリアに私はハァと息を漏した。
「お父様は過保護過ぎるんです」
「そりゃあ旦那様はルメリア様をとても愛しておられますからね」
仕方ないですよ、と直ぐ様返されたマリアの言葉に、私はきゅっと唇を結んだ。
―――愛して。
「……いいえ、過保護なだけだわ」
もう一度、改めて繰り返し視線を伏せた私に、マリアが「ルメリア様…」と小さく零した。
フェイやお父様までではないにしろ、この家の者なら知っている。私が愛というものを拒むことは。
少しだけ微妙となった雰囲気の中、マダムがお針子に手早く指示をだし衣装をさっと纏め上げて、
「私の一存で決めましたけど、こんな感じでどうかしら?」
と、鏡越しに笑顔で言う。
気を使わせてしまったようだ。
私は鏡を見返し首を縦に振った。
「私は元のままでも充分に良かったので、マダムが良いと思われるのならそれで大丈夫です」
「あらまあ」
マダムはパチリと目を瞬かせ顎に手を添えた。
「うーん、そうですわねぇ。 お嬢様は正直、とてもお綺麗なので何でも似合うのですが…。 でも世間の噂とは随分違う感じでいらっしゃるようですので、確かに大胆なものよりもこういった楚々としたものの方がお似合いかも知れませんね」
まさにフィッシャー男爵のご慧眼ですわ。と、私が過保護と結論付けたお父様を擁護するようにそう言った。
だけど、その話しの中から私が拾い上げたのはまた別の言葉。
「噂、ですか…?」
――あ、という顔をしてマダムは添えていた手で口を覆った。
「それはさっきの、会話の中の人が言ったものですか?」
預言者――と、ここ最近の噂の出所はひとつだと、先ほど言ったのはマダム自身だ。
少しして、言いにくそうに答える。
「…やっかむ人たちが多いのだと思いますわ。お嬢様はなにぶん少しお綺麗過ぎますので…」
聞いたことの答えにはいまいちなっていない。だけど一瞬強ばったその表情で、自分の考えが間違ってはいないとわかった。そしてその内容も、話しの流れから余り良くないものだということも。
もう少し聞きたいことはあるけれど、お父様のダメ出しを受けた上で更に私が問い詰めては酷だろう。
別に無理にマダムから聞かなくても、噂と言うならば社交性のあるあの人ならきっと知っている。幸いなことに後日会う予定も入っている。
「マダム、もう外に出てもいいかしら? お父様にももう一度確認してもらわないと」
「え? ――あ、ああっ、そうですわね」
これ以上その件に触れるのは止めて話しを戻すと、マダムは明らかにホッとした様子で。お針子たちと最終確認をしてから衝立の外へと出る許可が出た。
出てきた私を見たお父様は大きく頷き満面の笑み。取りあえず、今度はちゃんとお眼鏡に敵ったようだ。
**
お父様は本当にこの打ち合わせを最優先にしたらしく、終わると同時に仕事へと戻って行った。それはもう、もの凄く後ろ髪を引かれながら。
「旦那様にめちゃくちゃ恨みがましい目で見られたんですけど?」
と、笑顔のフェイが言う。その理由など絶対に百も承知の顔だ。
今は応接間から移動して居間に二人。私は一人掛ソファーに腰を落ち着け傍らに立つフェイを見上げる。
「ねぇ、さっきの話しだけど」
フェイの話しをまるっと無視してそう切り出せば、途端スンとした表情に変わった。
「預言者の話しですよね?」
皆まで言わなくても的確に返る。流石私の従者。
「未来を言い当てると言っていたわ。 それって、お母様と同じということかしら?」
「さぁそれは何とも。まだ何も起こってないですし、言うだけなら何とでも言えますし」
「でも当たるとも言っていたわ。それに噂も」
「――噂? …デビュタントの件以外に他にも噂が?」
「みたい」
「へぇどんなです?」
問う声が低い。
「…私も、どんなのかは知らないわ」
これは誤魔化した方が良さそうな雰囲気だったのでそう話す。 私に関することなのに私以上に気にかける人が二人もいて、それが度を越すことがしばしばなので気を使う。
一人はもちろんお父様、そしてもう一人。フェイは目を眇め「ふーん…」と呟いた後言った。
「で、やっぱり気になります?」
話しは戻った。
「そりゃそうだよね?」
「ですよねー」
「でも丁度良いの」
「?」
「四日後に約束もあるし」
「――はっ…、それは、」
「噂とか色々聞いてそうでしょ?」
フェイが眉を寄せた。
知り合いも少ない私の貴重とも言える友人。彼が関わるとフェイはいつも渋い顔をする。だけど私はしれっと答えた。
「仕方ないよね、だって約束は守らないと」