31 : 赤
「あれ、クヴェル君何描いてるの?」
ある昼下り、二股の黒猫亭にて。夢中になってスケッチブックに絵を描くクヴェルに向かい、ツュンデンは声をかけた。クヴェルはパステルを置き、笑いかける。
「あにうえたちだよ!」
「へぇ……ん? これは何をしてるところなの?」
並ぶブラウ達の姿の横に、薄黄色い線に包まれた大きな影らしきもの。ツュンデンはその影を指差し尋ねた。
「うーんとね、あにうえたちがすっごく強いのとたたかってるところ!」
そう言って、またスケッチブックに向き直す。
穴を抜けた俺達を迎え撃つのは、凄まじい竜巻だった。巻き上げられた砂が打ち付けるように俺達に降り注ぐ。それら一つ一つが凶器の勢いを伴い、思わずうめき声が漏れる。
「略式霊槍、真空波!」
前に飛び出したのはブラウ。槍を弄くり風を発する。かつて熊の衝撃波を相殺したものだ。しかし一瞬砂塵が晴れただけ。すぐに猛烈な風が迫ってくる。
短く吐いた息が口元にかかる髪を揺らした。ブラウは脚を踏ん張りながら槍を振るう。なすがままの状態から、ようやく立て直すことができた。
「くっそ……! 姿すら見せてねえぞ!」
ここに入って見えたものは、吹き荒れる砂と竜巻だけ。竜巻の向こうに大きな影は見えるが、どこか何の部位などと判別するには至らない。
そも今回の目的は、ここを抜けて次の階層へ飛び込むことにある。入口はおそらく広場の向こう側だろう。しかし広場の中央付近には、神霊が陣取ってしまっている。
「どうにかして隙をつけと言っても……!」
「こんなの、どうすればいいのです!?」
俺の頭上で、激しい割れるような音が響き渡る。その瞬間確かに、風は止まった。見上げる前に俺は叫ぶ。
「避けろォ────ッ!!」
地べたを転がるようにしてその場から離れる。その刹那、耳を突き破る如く凄まじい音を立てて地面が爆ぜた。
降り注いだのは神の雷。先程まで俺達が立っていた部分は一瞬で焼け焦げる。元々乾いた岩の大地が、打ち砕かれ砂に変わる。
思わず息を呑んだ。これが神霊の力だというのか。人を浮かせる嵐を起こし、大地を砂に変える雷を下す。
「こんなのから……どう隙を突くんだよ!?」
ロゼを抱いたシュヴァルツが叫ぶ。全員無事だ。吹き荒れる嵐に飲まれ全身が空を舞った。どうにか体制を保ちながら思考を回す。
相手はまだ影しか見えない。地面が近づいた矢先、ブラウが槍を突き立て俺に手を伸ばす。その手を俺は空で掴み取った。もう片手を伸ばし、ロートの手を掴む。ブラウが力一杯引き戻し、俺は叩きつけられるように着地した。
地に足をつけ、踏ん張ったことを確認し俺はマフラーを抜き取る。深い青のマフラーは風に飲まれ自在に乱れ──シュヴァルツがそれを掴みとった。勢いよく引く。
「お前を引っ張るのは二度目か!?」
「んなこと言ってる場合か!」
さっきのようにこっちが隙を見せれば、また嵐に飲み込まれ吹き飛ばされる。地面に槍を、杖を突き立て嵐を堪える。とどまっていてはまた雷を落とされるので、這うようにしてでも先に進む。
岩壁伝いに大きく迂回した。中央部から離れれば少しは風が弱まる。しっかと壁の凹凸を握れば飛ばされる心配もない。
しかし進める距離は限られている。広場の奥は狭まり、その入口を神霊は塞ぐ。それ以上先に進めない。ようやく嵐の中に、その姿を捉えた。
「あれが……神霊、セトなのか」
見上げる如く巨大な体、四角い耳に突き出した鼻。そんな獣の頭部を持つ巨大な影。吹き荒れる嵐の中で、揺らめく炎を湛えてこちらを見据える。これより先には進ませぬ、そう意思を込めて見下ろす姿は──気に食わない。
この嵐を乗り越えなくては、先に進むことはできない。一生二層に留まるのはゴメンだ。
考えろ、思考を回せ。ここを乗り越えた冒険者はいるのだ。二十年の伝説、「ゼーゲン」、腹立たしいニワトリ野郎がまとめ上げる「鷹の目」、彼らはここを乗り越え先に進んだ。ならば、俺達にできない訳がない!!
たっぷりと長い間を開け思考を止めた。
「ロート」
俺は呼ぶ。
「何かしら、リーダー」
ロートは答えた。吹き荒れる嵐の音は今や遠い。
「俺達の最初の潜入、あのときに撃った玉の中に一発、貫通弾があっただろう」
「鉄線花のこと?」
赤毛の魔熊を貫いたあの弾丸。俺はあの強さを覚えている。硬い毛皮を裂き、その肉を穿ったあの威力を。
「あれを撃てるか、ロート」
「……鉄線花では、この嵐を超えられない」
「雷を放つ一瞬、嵐が止む。その隙をつけ。──目を、穿て」
確かにあの瞬間、風は止んだ。俺達が奴をひきつけ落雷を誘う。風が止むあの瞬間に撃ち抜き傷を作れば、奴の横を抜け通路を進み、三層へ飛び込むチャンスが生み出せるはずだ。
「あんな一瞬で撃てっての!?」
「できるはずだ、お前なら!」
お前は、俺の仲間なんだから。
俺の言葉に、ロートは目を見開く。それから閉じて、ゆっくりと開いた。きらめく光を集めた金が、俺を捉える。それから、笑った。
「────了解よ、ヴァイス!」
一気に駆け出す。取り柄の素早さを活かす機会だ。いつ落雷が注いでも躱せるよう、一つの方向に定まらない。左右に揺れつつ足を捌いた。
小刻みに降り注ぐ落雷は、先のような威力を持たない。せいぜい人一人分の地面を焦がすのみ。恐れるに値しない。
ブラウが風に任せ流れるように滑走する。踏み込んだ脚が地を抉った。大きく槍を振りかぶる。
「略式霊槍──真空波」
放たれる風は弾丸の如く嵐の中を飛んだ。凄まじい砂塵に穴が開く。その瞬間、ロートが奴を見据えたのを、視線の端に捉えた。
これでロートは、撃つべき的を見た。
ロートが銃砲の下部分を開く。中の弾丸をヒールで押し込み蓋を閉じた。銃砲を肩に負う。地面に膝を付き上体を下げ、短く息を吐いた。
「準備は完了よ!」
「わかったァ!」
あとは雷を落とさせるのみ。地を駆け回っていた足を止めた。小刻みな雷は相変わらず降り注ぐ。もうそれらを躱すことは容易い。俺とブラウは砂塵に紛れて飛んでくる石を弾くのに努める。
「俺が躱すの間に合わなかったら、蹴っ飛ばしてもいいからな!」
「その言葉、忘れませんよ」
俺を蹴っ飛ばしていい大義名分を得たブラウは、槍を軸にし体を回転させ吹き飛んできた岩を蹴り砕く。
目の前を白い光が過ぎていった。その正体を察し俺は笑う。そろそろ避ける準備をしたほうが良さそうだ。
「爆ぜろイグニス!!」
はるか上空で破裂音。杖を突き立て体を支え、ロゼの手を引いたシュヴァルツが息を吐く。ロゼの手は組み交わされていた。加護を浴びたことにより、嵐の中あのような上空まで飛ばすことができたのか。
ちょこまかと動く人間、目の前で起こった小爆発。神霊とやらがどれだけの器かは知らないが、自分のフロアに入られたら攻撃してくるような奴だ。もう怒り心頭なのではないだろうか。
ばりばりと弾ける音、ロートとの距離を確認する。十分離れている。これなら大丈夫だ。
「風向き不明! 視界最悪! 目標地点──不鮮明!!」
ロートの声が響く。顔は見えないが、何故か手にとるようにわかった。彼女はきっと、笑っている。
そして──風が止んだ。俺の背中に脚の感触。次の瞬間体が空を舞った。ブラウの野郎! 俺は「逃げ遅れたら」蹴っ飛ばしていいといったはずだが?
銃口越しに奴を眺めて、ロートは力いっぱい引き金を引いた。
「貫け──鉄線花ッ!!」
音を置き去りにして放たれる弾丸。それを見据えた刹那目を焼くような閃光。地を割る轟音と共に雷が下される。嵐が再発、まだ弾丸は届いていない。
「イケる!!」
ロートの声が響いた瞬間、落雷の轟音よりも響く巨大な叫び声が辺りを震わせた。風が止む、浮かび上がった体が勢いよく地面に落ちた。
顔をあげると、嵐は止んでいた。抜けるような空と立ち塞がる石壁が視界いっぱいに広がっている。誰かに腰のあたりを抱えられ、走り出したのを感じた。
下から覗く。黒に近い濃紺の髪、白い肌、ブラウだ。その向こうから、砂まみれになり髪も乱れたロートが現れる。
「ご期待に添えたかしら、ヴァイス!」
「上等だ! ロート!!」
ブラウに抱えられたまま、俺は親指を立てた。ロートの弾丸は、指令通り奴の目を撃ったのだ。今俺は脚を前にした状態で荷物の如く抱えられているため、先の方向を見ることができない。
その代わりに後ろの様子は──上下反転しているものの──よく見えた。左目に当たる部分を抑え、あちこちを見回し悶絶する神霊セトとやら。広場を通過する俺達に気づく様子もなく、ただ言葉にし難い声を上げ続ける。
「見えたぞ!! 一層と同じ──大穴だ!!」
シュヴァルツの声。冷えた風が前方から吹き込む。匂いが変わった。これは確かに、階層移動の大穴だ!
「飛び込めえぇぇぇぇぇ──────!!」
そう叫ぶ俺の視界が、一瞬で真っ暗になる。目を閉じたわけではない。上空に光の差す穴が見えた。つまりここは──すでに大穴の中。
重力に従い落ちてゆき、頭上の光は遠ざかる。ブラウの手が腰から離れ、体を回して下を見た。暗闇の先に光が見える。どうやら一層から二層区間より短いようだ。光の向こうに待つのは第三層!
「そろそろ見えるわよ!!」
ロートの声と共に視界が眩く光る。眼下に待ち構えるのは──!
「第三層、『飛翼の天廊』!!」
岩壁の向こうで双子の男女が話している。
「…………ところで、やけに神霊サマ怒っとりなさったなぁ」
「せやねぇ、なんでやろか。……兄ちゃん達も、運が悪いなぁ」
「抜け穴の外からでもわかるくらい、嵐が起きとるっちゅーんは相当やで? 生きて先いけるやろか?」
「うちは行けると思うよ? だってほら、あの、何ヶ月か前に来た四人組。あの子達」
「あああの、神霊サマを刺激したアホなリーダーがおったとこか」
「そうそう。あの子らも越えれたんや。多分いけるんちゃうかねぇ」
「そういえばあの子ら、今頃三層か」
「三層の神霊サマと会っとるかもねぇ。お名前なんて言ったっけ?」
「確か──ああ、鷹の……なんとかいう子らやったやろ」
噎せ返るような血の匂いの中、荒い呼吸があたりに響く。長剣を杖にし体を支える青年。彼は血を流し、髪を乱しながらもしっかりと目は上を向いていた。
その肩にぐったりともたれかかる小柄な体。頭の上に覗く狼の耳、気を失っているのか顔は上がらない。その背後には倒れ込む二人の影。
「────くしょう……」
青年は呟いた。視線の先に立ちはだかる巨大な影。それを見据え、彼は血を吐きながらも叫ぶ。
「畜生があぁぁぁぁぁぁ!!」
────これは、ギルド「燕の旅団」が三層に到達する半月前の出来事。