29 : ただいま
地獄に、落ちるつもりだった。
朝日に照らされ、鳥の鳴き声を聞きながら俺達は詰め所の前に放り出されていた。手には大金の入った袋、武器も所持品も全て返されて路地に立っていた。
「ロート」
「何」
「何だこの状況……」
「アタシも聞きたい」
昨晩捕まった当初は、鎖を繋がれ部屋に閉じ込められ、尋問されてと散々だったが──まあ屋敷を爆撃したのだから無理もない──突然掌返しに対応が変わった。
「最後の方とか態度も気持ち悪かったしな」
街に蔓延る悪を討ってくださってありがとう、どうかこのことは内密に、なんて言って金を握らせる。何がどうなったのかはわからないが、とにかく無事で済んだのだ。
「多分というか間違いなく、この金はおそらく口封じよね」
俺は頷く。渡しておくから黙っておけという圧を感じた。……それにしても、俺は親父から絶縁される覚悟で飛び込んだというのに、こんな結果になって気恥ずかしさもある。
「とりあえず……どうする?」
「帰ろうぜ、ロート。二股の黒猫亭に」
案の定シュヴァルツ達は逃げていたらしく──薄情極まりない──捕らえられていたのは俺達だけだった。大将らしき男や組の連中も捕縛はされていたが、どうなったかは知らない。
「行こう」
「……うん」
俺が促すとロートは、小さく頷いて歩き始めた。朝日が長い影を描く。石畳の上を俺達は歩く。
「戻ってきた!?」
ゆっくりと歩いて戻ってきた俺達を出迎えたのは、疲れ切った顔をしたシュヴァルツだった。宿の入口から飛び出し、真っ先に駆け寄る。全く無事な俺達を見て、長い長いため息をつく。続いてロゼが飛び出し、ブラウとクヴェルは扉の向こうから覗いている。
「何してんだバカヤロォォォ!!」
駆け寄ってきたシュヴァルツが勢いよく俺を殴りつける。力は貧弱とはいえ、勢いよくぶつけられた拳は痛い。倒れそうになった俺のマフラーを掴み怒鳴る。
「すぐに逃げ出せば、捕まることもなかったのに!! なんでわざわざあいつらのとこに飛び出していったんだ……」
最後の方は弱々しい声になっていた。
「啖呵切った手前、ロートが残るって言ったなら残るしかないって思った」
「ロートも馬鹿だ!! 牢屋送りになったら元も子もないだろうが!」
「まあ無事に戻ってこれたんだし……」
「親父さんや師匠になんて伝えるか真剣に悩んだぞ! 二度とするな! ロートもだ!!」
シュヴァルツの怒鳴り声に圧倒される俺達。その声を聞きつけて、周りの民家から色んな人が顔を出した。ロートの姿を見つけ、どたばたと飛び出してくる。
「無事だったの!? ロートちゃん!」
「本当に無茶して……怪我は?」
「あいつらを追い払ってくれてありがとう!」
囲まれ、心配されている姿を見ると、彼女が本当に大切にされているのだとわかった。そちらばかり見ていると、チョップが頭に振り下ろされる。
「ってぇ!」
「……当然の報いです」
叩いたのはブラウだ。むっつりとした表情で俺を見下ろす。上着の裾を、頬を膨らませたクヴェルが引っ張っていた。
「坊っちゃんが何かをしでかせば、私にも被害が及ぶのですよ」
「悪かったって……まあとにかく無事で済んだわけだしさ」
「二度と、しないでください」
目を逸らして口笛を吹く。もう一度裾がぐいと引かれた。
「もうだめだからね、ヴァイスにぃ。みんなでかえってこなきゃ、ぼくイヤだよ」
「……おう」
弟分にそう言われれば、否定できない。ブラウの冷めた視線を浴びながら、俺は目線を反らした。
「ロート!!」
入口の扉が開く。中から現れたのはツュンデンさんだ。目を見開き、口を小さく開けてこっちを見ている。ロートがそれに気づき顔を上げた。たっと地面を蹴る音を立てて、ツュンデンさんが駆け出す。
「母さ──」
ツュンデンさんは勢いよくロートを抱きしめ、何度も何度も頭を撫でた。ロートはその瞬間気恥ずかしさか、困惑かで顔を赤らめる。しかしすぐに、戸惑う素振りを見せながらも手を背中に回した。
「……ロート」
小さく、それでも凛と声を張る。ロートは答えない。
「今まで、ずっと……守ってくれてありがとう」
「──────ッ!!」
ロートの目が見開かれる。唇が何かを言おうと微かに震えたあと、ただ黙って肩に顔を埋めた。
ツュンデンさんは、ロートに対して「ごめんね」、や「許して」とは言わなかった。ツュンデンさんはずっとロートに守られていたことに気がつかなかった。気がつけなかった。
あの日、俺達とロートが別れたあの日。深く沈んでいたのは、ロート自身の口からようやくそれを伝えられたからなのだろう。娘の苦しみを背負ってやれなかった自分自身に対しての後悔と悲しみが、押し寄せたに違いない。
未だその波は彼女を襲っているのだろうか。それでも彼女は、謝罪ではなく感謝を告げた。きっとツュンデンさんは、謝罪をロートが望まないと知っているから。
この母娘の間に生まれた溝は、そうそう消えやしないのかもしれない。不器用な二人だ。すれ違うことだって、きっと少なくはないだろう。それでも、きっと大丈夫だと思う。
「母さん」
二人共冒険者なのだ。少々の溝など乗り越えて、埋め立てて見せるだろう。
「ただいま」
「────おかえり、ロート」
「教会はどうなった?」
「衛兵達とか、御役所が再建に動くってさ。すぐに簡易建物が作られるから、シスターや子供達は再建までそこで寝泊まりだって」
「なら一安心か」
衛兵達の動きには不審点が多いが、口封じのためなら真面目に動くだろう。
「今シスター達はどこに?」
「酒場や宿屋、道具屋とかあちこちで別れてるそうだ。後で顔出しに行ってあげたほうがいいぞ」
「そーする」
口ではそっけなく言いつつも、ロートは安堵の表情を浮かべていた。
「そういや、捕まってた女の人達は?」
「皆保護されたり、家に帰ったりしてるって。彼女達も念入りに口封じはされてたね」
街の人達が帰ったあと、シュヴァルツからあの後の街の動きに関して聞く。やはり徹底的な口封じが行われているらしい。
「近日中にはこのあたりの住民に『迷惑料』として金が配られるそうだよ。屋敷は即刻調査が入った。もう封鎖が行われているらしい」
「怪しいことは色々ありますが……本当に、無事でよかったですわ」
ロゼが微笑む。俺とロートは丸机を挟んで座り、いつものカウンターに三人が──ロゼ、シュヴァルツ、クヴェルが──並び、ブラウは壁にもたれツュンデンさんは向かいで立つ。またこうして、みんなで並ぶことができた。
「…………」
なんとも言えぬ沈黙が流れる。それを破るように、ロートがあー、と声を出した。取り出したのは封筒とペン。
「迷宮案内人、の、辞表。アタシはほら、あいつらとの契約でやめられなかったからさ……」
妙にしどろもどろだ。とにかく、契約をしていた連中が捕まった以上、ロートにこれ以上迷宮案内人を勤める義理はない。少し視線をそらし、まごついていたが
「あーもう面倒くさい!」
と声を上げた。音を立てて机に手をつく。
「手前勝手ながらお頼み申す」
俺はロートと向かい合う。周りの皆も黙ってロートを見ていた。
「今一度仲間に加えてもらいたいと思う所存」
膝を付き、頭を垂れる。そして勢いよく、一枚の紙を叩きつけた。そこには、『ギルド加入証明書』。そして刻まれたロートの名前。ギルド名の部分は空いている。
「不肖ロート、偉大な母の名にかけて、必ずや貴殿らの役に立つ!」
そして顔を上げた。その目は、今まで見たどんな宝石よりもきらきらと輝いていた。
「『燕の旅団』にこの身この命、この胸に燃える夢! 全てを賭ける覚悟はある!」
自然と、俺の口からは笑みが漏れていた。命も夢も、賭ける覚悟ならそりゃああるだろう。
俺は手を伸ばす。
「あの日、地獄まで共にすると誓ったんだ。その言葉、違えるなよ」
ロートは笑って俺の手を取った。「上等」と呟き、立ち上がる。俺も共に立った。
「誓ったからには、二度と抜けれはしないと思ってもらうぜ」
「もう二度と、抜ける気はないわよ。リーダー」
俺は紙とペンを掴み、空欄に「燕の旅団」と書き込んだ。
「銃士ロート、お前の夢、俺が預かった」
互いににやりと笑う。ようやく五人だ。
「やったあぁぁぁぁぁ!! ロートさあぁぁぁぁん!!」
「長ったらしく喋ってないで、とっとと書けばいいだろ書けば」
「おかえりなさい! ロートねぇ!」
「ようやくですか」
ロゼとクヴェルがロートに抱きついた。シュヴァルツとブラウの小言を聞きながらも俺達は笑う。その小言にロートは反論。ツュンデンさんの方へ顔を向ける。
「ちょっと母さん!? 仲間に入れてもらうときは名乗り口上しっかりしろって……」
「決まってたよ? ロート!」
「騙してんじゃない! なによこの空気!!」
顔を真っ赤にして憤慨するロートへ、ロゼが笑う。
「またロートさんと冒険できるのが、本当に嬉しいです!」
「……ははっ! アタシもだよ、ロゼ!」
ふとツュンデンさんの方を見た。口元は確かに笑っていたが、目元は手で覆っている。肩を震わせる姿、カウンターの上にぽたぽたと雫が落ちていることに、俺は気づかないふりして目を逸らす。
「五人目の仲間を祝って、祭りだ祭りだぁ!!」
「うっわうるさいぞヴァイス!!」
「はしゃいだっていいじゃありませんかシュヴァルツ様! おめでたいんですから!」
俺は書類を取って高く掲げる。
「よぉし! 書類出して迷宮潜るぞ!!」
「はぁ!? 急すぎるだろ!」
「こんな日は、アレ作らないか? ロート!」
俺の言葉に、ロートは一瞬ぽかんとしたが、その後思い出したようにして笑った。
「そうね! こんな日にこそぴったりだわ!!」
ピンと来てないのか、ブラウとクヴェルが共に首を傾げた。
「デケぇ鍋と油を持て! 肉取りに行くぞ!!」
俺達は武器を担いで、一気に宿を飛び出した。「道標の楔」を使うまでもない。一層手前にいいのはいるだろう。眼下に浮かぶのは燃え盛る火柱。始めてアレを見たときは、驚いて大声を上げたっけか。
「あらあらロートちゃん、ヴァイス君」
「そんなに急いでどこに行くんだい?」
「昼飯狩り!」
俺とロートは並んで通りを駆ける。街の人達が走る俺達を見て手を振った。少し遅れて後ろからシュヴァルツとロゼの声が響く。何か文句を言っているようだが気にしない。
乾いた木枯らしが、俺達の背中を押していく。柔らかく照りつける、冬の陽射しは燦々と。