圧倒的後日譚②
20XX年から一年前 11月20日 東京
「どうぞ、お入りください」
式場スタッフが恭しい態度で祥子と正治に頭を下げる。
「もう、お父さん。娘の花嫁姿を見る前に泣かないの」祥子は正治の肩をつつく。
「だって、佳澄が...佳澄が…」正治は新婦控室の前で早くも号泣している。
祥子は正治を無視して控室に入る。そこには純白のドレスに身を包んだ、娘の佳澄がいた。
「すごくきれい、似合ってるわ」祥子は娘に微笑みかけた。
「ありがとう。器量よしは親譲りだからね」佳澄も白い歯を見せて笑い返す。
正治が控室に入ってくる。最愛の一人娘の晴れ姿を見るなり「あああ」と泣き崩れた。
「お父さん、ほんとに涙もろいんだから」笑いながら祥子は呆れる。
「お父さん、お母さん」佳澄が両親に向き直る。「今まで本当にありがとう。これから私は『村田佳澄』になります。お父さんとお母さんの娘でよかった。幸せでした。そしてこれからもっと、幸せになります」頭を下げた。
正治は呼吸困難を心配するほど泣きじゃくっている。祥子も胸が熱くなった。
幸せ――祥子は娘の言葉を反芻する。私が諦めていたもの、正治が与えてくれたもの、そして、娘に与えてあげたもの。
タイムトラベル最終日に、自身をタイムトラベラーだと明かした祥子と正治は、「現在」に帰れなくなった。そして「過去」で結婚し、佳澄が産まれた。今日に至るまで、祥子は佳澄を大事に育てた。自分が母からそうしてもらったように。大学を出た佳澄が、国家公務員として厚労省で働くとまでは思っていなかったけれど。
祥子は諦めかけていた幸せを、正治からもらい、佳澄に与え、そして三人で分かち合った。
幸せになれるよう、全力でサポートします――祥子は、タイムトラベルに行く前に言われたことを、ふと思い出した。私を立ち上がらせてくれた、大事な言葉だ。残念ながら言った人の顔と名前は、記憶から消されてしまって思い出すことは出来ない。
「あ、そうだ。さっき私の会社の上司が、お母さん達に挨拶したいって連絡がきたの。ラウンジにいるみたいだから、よろしくね」と佳澄。
「うん、わかった。じゃあまた後でね」
そう言って祥子は控室の扉をそっと閉めた。落ち着きを取り戻した正治と共に、長い廊下をラウンジに向かって歩く。
「やあ、後藤さんですね」
祥子と正治が声のする方を見ると、大柄で顎髭をたくわえた同い年くらいの男性が、白い歯を覗かせてこちらに歩いてきた。
「大下と申します。この度はおめでとうございます。いやあ、佳澄さんは頭脳明晰、容姿端麗ですから、ウチの課でも悔しがってる男性社員がいっぱいいますよ」大下はそう言ってガハハと豪快に笑った。
娘の上司は豪放磊落を絵に描いたような人だな、と祥子は内心で苦笑する。
「それと、こっちがウチの家内です」大柄な大下の陰に隠れていた女性が「はじめまして。この度はおめでとうございます」と丁寧にお辞儀した。
刹那、祥子は言葉を失った。
目の前に立っていたのは、祥子の母…だった人だ。
動悸で上手く呼吸が出来ない。表情を取り繕うのに必死で、隣で正治のする世間話が遠い耳鳴りのように乱反射している。
正治の冗談に屈託なく笑う女性は、「あの日」の母とは全くの別人のようだった。
頭が真っ白になりそうな一方で、祥子は自分が変えた「過去」が引き起こした奇跡を噛み締めていた。そして、母の記憶がなくなっていないことに感謝した。
「あなた、この後の予定なんだけど…」女性はメモ帳とペンを取り出そうとして床に落とした。「過去」が変わっても、おっちょこちょいは変わらないらしい。
祥子の足元に転がってきたそれは、ハートの柄が可愛らしい、古びたボールペンだった。
祥子が拾い返すと、女性は「ありがとう」と微笑んだ。
「おいおい、まだそんな古い物使ってたのか。今どき紙の手帳にペンなんて使ってるの世界でお前くらいだぞ」大下が苦笑する。
「だってこれは、大事ないただき物なんだもの。思い出せないほど遠い昔だけれど。女はモノを大事にする生き物なの。ねえ」女性はそう言って、祥子に笑いかける。
祥子は限界だった。こらえていた涙が、指の間から静かに伝わる。
祥子によく似た女性は、突然のことに狼狽えるばかりだった。
「いやあ、気持ちは分かりますよ。ウチのも去年結婚式だったんですけど、家じゃあんなに鬱陶しかったのが、いなくなると寂しくなりますからねえ」事情を知らない大下は、祥子に的外れな慰めの言葉をかける。
正治は知ってか知らずか、黙って祥子の肩に手を回し、そっとさすった。
「ではまた後で」大下夫妻は揃って踵を返した。遠ざかる女性の後ろ姿に、祥子は心の中で話しかける。
私、こんなにおばさんになっちゃった。あなたのように娘も産んで、あなたの娘に負けないくらい、いい子に育てたよ。お母さんも幸せになったんだね、おめでとう。
でもちょっと、ほんのちょっとだけ、寂しいな。
新郎新婦入場の時間が近付いてきた。二人は改めて愛娘を迎えるために、控室に向かう。
「私今、とっても幸せ」祥子が呟く。
「俺もだよ」正治が優しく頷く。
真っ直ぐ続く一本の道を、二人は手を取りながらゆっくり歩いた。
12/23
第10部分、加筆修正
最終部分、全て書き換えました。
一度読んだ方も、もう一度読んでいただけると幸いです。




